番犬男と黒人形
「別に死にたくてわざわざ突っ込んだわけじゃないさ、すまない、さっきは自分を見失っていた。
もうこれは、君の話しを信じるしかないようだね」
諦めたように視線を落としたラッツは、懐の拳銃を手にとった。
装填を始めるラッツを見たキアは驚いた表情だった。
「驚きました、そんな物を持ってきたのですか?」
「別に、ただ貴族の関係者は狙われやすいからね、護身用に持ち合わせただけの銃さ」
冷静に言葉を進めるラッツの背後にバトンの姿が身をのりだしてこちらを見ていた。
ラッツの銃弾がバトンの眉間に直撃する。
しかし妙なことに血は一滴も床に滴ることは無かった。衝撃を受けたまま、上半身を
大きく後ろに反らしてそのままラッツに飛び掛ってきた。
かわしてもう2、3発胸部と首に命中させたが、一向に止まる気配が無かった。
「キア、これはどういうことだ」
「死んだ人間に銃は効きません」
「そうか、そうだなキア、じゃあどうすれば動きを封じれる?」
キアの身をバトンの目から逸らすようにラッツは拳銃で再び応戦する。
しかし銃弾は惜しくも天井に弾け飛び、ラッツはバトンの手中に捕まってしまった。
「ラッツさん!」
キアは思わず声をあげた。今にも喰われそうなラッツを目の当たりにして、助けようと
バトンに飛びつくが、虚しくもキアの小さな身体は弾かれ宙を舞った。
「キア・・・君だけ・・・・逃げろ」
「何を・・・!」
「いいから生きろ!」
ラッツの言葉に圧倒されながら、キアは何かを悟ったかのように、ポツリと一言漏らした。
「ラッツェル・・・契約者の灯を・・・・」
そう言うと、人形から輝きだした緑の光がキアを包み、眼帯が外れ、包帯で巻かれていた左手をあらわにした。
眼帯を外した奥の目には、右目の青い瞳とは違い、真紅のバラのような色、左手には獣の爪。
たしかに人間とは言いがたい容姿をしていた。
自分の目に映っている現実に、ラッツは中々飲み込むことが出来なかった。
「キア、君は・・・」
キアはバトンの腕を掴みあげると、背負い投げのように相手の体を持ち上げリビングの床に
激しく叩きつけた。ひるんだバトンに左手の爪で大きく切り裂いた。
すると、傷口から紫色をした影のようなものが体の外へと抜け出し、キアはその影に向けて
先ほど手にしていた人形を差し出す。
紫の影はまるで小屋に戻る従順な犬のように人形の中へと吸い込まれていった。
「これは死霊を一時的に封印するための人形、これを呼び起こせるとは、あなたは一体?」
キアは振り向かずに、背をラッツに向けたまま問い詰めた。
「僕にも何が何だか・・・・さっぱりだ、僕が君の契約者?」
ふとラッツが左手に目をやると、エメラルド色のダイヤが埋め込まれた高貴な雰囲気を漂わせ
る指輪が人差し指にはめられていた。
「これは・・・」
「それは真の契約者にしか仕えない指輪、あなたが私の〝ウォーカー〟なのですね」
不満げな表情で話しを進めるキアの論中に、終止符をうたんとしてラッツが言葉をはさむ。
「待ってくれ、ウォーカーって何だ?僕は君の・・・何?」
「詳しくはあなたの屋敷で話します、一旦ここを出ましょう」
Ⅲ
キアを連れて自宅に戻ると、ラッツは紅茶を入れながら質問の続きを問うた。
「教えてくれ、君は僕の事をウォーカーと呼んだ、それは一体?」
そっと出された紅茶を子供のように嬉しそうな表情で一口分を喉に通すと、ゆっくりと口を
動かし始めた。
「この世には、〝死人形〟と呼ばれる、怨念を一時的に封印できる人形が存在する、それは
確かに封印にも使えますが、逆にその死霊たちを放出することも出来るのです。それを悪用し
て怨念を増殖させて世界のサイクルを狂わそうとする悪党もいます。そういった怨念を人形に
封印する行為〝ベトニクス〟を人形のパートナーである〝マリオネット〟つまり私を覚醒させられる人間は契約者である〝ウォーカー〟にしか出来ない、それがあなた、ラッツェル=
ベンワークということなのです」
壮大な話を聞かされたラッツは、呆然としていることしかしばらく出来なかった。
すぐに理解するには到底無理な電波的説明はラッツの脳内に何とか届いたらしく、彼が再び声を出したのは、キアが最後の言葉を言い終えてから30秒ほど経った頃だった。
「なるほど、ということは、僕が君を覚醒出来る唯一の男だって事だね?それは解るんだけど、
気になることがあってね」
まだ何かあるのかと弛緩したようなだらしない顔をしたキアがラッツをじっと見つめる。
「そのベトニクスってのを悪用して、死霊を世の中に放出してるやつのことさ」
「そいつらのことを、私たちは〝ビナーズ〟と呼んでいます〝死霊神〟なんてシャレを言う
やつもいるようですけど」
「なるほど、でも君みたいな封印する側がいても、きりが無くないかい?世界は常に生と死で
成り立っているんだ、一人一人の死霊を封印したって、結局はいつまでも死霊はこの世に
はびこり続けるはずだろう?」
核心を突いたように胸を張ったように一瞬見えたラッツの態度が気に入らなかったのか、
キアは声のトーンを下げて会話を続けた。
「では逆に聞きますが、私たちがいなかったとします、死霊が放出され続け人類は滅亡の道を辿ることになりますよ?」
もっともな返答に口まで運んでいたカップをふと胸元に下ろすラッツ。
「私たち?」
「沢山います、世界中に」
愕然とするラッツ。規模の大きさに打ちのめされたようにテーブルに肘をつけてキアを横目に
深い溜息をついた。
「で?その契約者さんである僕に、何をしろって言うんだい?」
今にも倒れてしまいそうなラッツの表情は、キアにはまるで砂漠を1週間歩き続けた男の
顔のように感じ取れた。
「人形が砕け散るまで死霊を封印し続ける事」
「いやだね、そんなことして、僕に何のメリットがあるというんだい?それだけ大勢
いるんだから、僕がいなかったぐらいで・・・・」
「あなたの父親、ビナーズに殺されたのです」
その言葉にラッツは目を丸くしてキアの瞳を凝視した。
「どういう・・・だって父は事故で亡くなったはず・・・・」
「私はここへ来る前、あなたの父親であるヒュム=ベンワークと共に死霊を封印してきました」
愕然とするラッツのカップを持つ手がかすかに震えていた。
「あなた、フランスの父親の別荘に行ったことはありますか?」
「いや・・・無いけど」
「そりゃそうです、実在しないのですから。フランスに別荘なんて嘘に決まってます」
ラッツはキッチンに戻る。水の入った銅製のポットからコップに注ぎ、手にすると
ゆっくりと飲みながらリビングのソファにもたれかかった。
「わかった、ただし殺した犯人を見つけるまでだ、それ以上は僕は追及する気は無いよ」
紅茶を飲み終えたキアは一息つくと、イスから飛び降りて玄関に向った。
振り向き様にラッツの目を見て、早くしろと言わんばかりに首をかしげて呼んでいた。
「どこへ行くんだい?」
「街に出かけましょう、何か手がかりが見つかるかもしれないです」