やっと、この手に落ちてくる――…
後悔ばかりが、胸を締め付ける。
“やっと、この手に落ちてくる――…”
誰もいない、静かな木陰に立ち尽くす。独りきりになりたくて、まるで逃げるようにここに来てしまった。
脳裏に焼き付いて離れない、泣いていた女の子の姿。あぁ、あの子は姉さまの為に、あんなにも涙を零してくれた。なんて優しいんだろう。
あの子の、姉の死にも涙を見せない僕を責める声が蘇る。
「……きょうだいなのに、何で、舞里さんを……っ!!」
涙に途切れたあの声は、何の言葉を繋げたかったんだろう。
――助けてくれなかったの?
――慰めてくれなかったの?
どれであろうと、僕にそんな事はできやしない。
僕はとても、臆病者だから。他人より、自分が大切だから。
取り残されて、ふいに歩いてきた道を振り向いて、悔やむ事しかできないんだ。
唯一姉さまの為に出来た事は、陽一郎さんを仲介してゼリーを渡しただけ。
偶然、それが姉さまの好物だと知って、それを渡そうと思ったのは、少しでも幼い日に償いたかっただけで。
結局、エゴに過ぎない。
さくさく、と草を踏む足音。振り返れば、陽一郎さんがいた。彼の左目は涙で赤い。長く伸ばした前髪で隠している右目も、同じだろう。
「陽一郎さん……」
姉さまの一番近くにいて、ずっとずっと姉さまの『味方』でいてくれた人。
和葉姉さまと僕を密かに、姉さまと繋げでくれた人。
「ここにいたのか」
「……はい。実は、逃げてきたんです」
無理矢理、笑顔を作った。
「菜乃香さんを怒らせてしまいました」
「…………」
「自分は、姉さまに何も出来ませんでしたから」
何故か陽一郎さんは眉を下げると首を横に振って、言った。
「ゼリー、くれたじゃんか」
「あれ位、したうちに入りません。それに、」
――食べてくれたかも、分からないのに。
言いかけて、口を噤む。けれど陽一郎さんは、何を言わんとしたか分かったみたいで、優しく微笑んだ。
「ちゃんと食べてたって。……食欲ない時も、あれなら食べたんだ」
「…………ですが」
『きょうだい』なら、もっと何か出来たんじゃないか。思って、ふと違うと気付いた。
僕は、僕達を『きょうだい』と呼べない。
「郁磨」
笑顔を消し、俯いた僕の頭を陽一郎さんは撫でた。多分、優しい表情のままで。
「お前はあいつらの……和葉さんと舞のきょうだいだよ」
「……そんな、こと…」
「俺が保障する。……お前は優しい弟だって」
「…………」
何も答えられなかった。どう答えても、自分を納得させる事は出来ない気がした。
「なぁ、郁磨」
「……なんですか?」
「お前に渡さなきゃいけないものがあるんだ。貰ってくれるか?」
「……はい」
顔を上げ、頷く。陽一郎さんの言うとおり、掌を差し出せば。
「ほら」
深い青の折り鶴が、そこに乗せられた。きっちりと、僅かなずれもなく折られたそれは、
「舞から、お前に」
姉さまが作ったもの。姉さまが、僕にくれたもの。
まじまじとそれを見て、鶴の片翼に、何かが書いてある事に気付く。深い青に書かれた黒の文字は小さく、読みにくかった。
『ご馳走様』
短い言葉を読んだ途端、丁寧に折られた鶴が、涙に歪んだ。瞬きをすれば涙は零れ、それに落ちる。僕は驚きに震える両手で、折り鶴を包み込んだ。
それは間違いなく、姉さまの書いた文字。
でも、そんな感謝の言葉を、一度も姉さまから聞いた事はなかった。
「舞里……姉さま…」
僕はほんの少しの事しか出来なかったのに、手を差し伸べられなかったのに、貴女はこんな言葉をくださるのですか。
涙は、どうしても止められなかった。悲しいのか、嬉しいのか分からなかった。
混乱する頭でただ、姉さまはもう居ないのだと思い知った。
たったひとつ、僕に遺された青の鶴。
――舞里姉さま。
これは、僕を少しでも想ってくれた証だって、
自惚れてもいいですか?
作品名:やっと、この手に落ちてくる――… 作家名:天李ゆっきー