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後ろ姿の少年に4

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  【仕事】

 ところで買い物だけがわたしの仕事だったわけではない。買い物はいやだと駄々をこねたとき、行きがかり上、雨戸の開け閉てと風呂焚きもしないわけにはいかなくなったが、ほかに卵拾いもあった。

 風呂焚きは自分でも気に入っていた。風呂に井戸から水を汲んで入れるのは自分では危なくてできないから、あらかじめ母が入れておいてくれる。わたしは、すぐ前の雑木林から枯れ枝を集めてきて風呂の焚口に火を起こす。枯れた枝のにおいと、それが燃える匂い。次第に燃えさかっていく炎のゆらめき。これがなんとも言えず好きだった。何か優しいものに包まれているような、いつまでもここで風呂を焚きながらじっと時を過ごしていたいようなそんな気になった。風呂が古いせいか、湯船の横板から染み出た水が焚口にしたたる。それが燃えている枝に落ちて、じゅっと音を立てて蒸気となる。その蒸気と一緒にあがる焼けた木の匂いがまた好きだった。たまに牛乳の焦げるような臭いのすることがあった。変だなと思って辺りを見回しても分からない。そんなときはたいてい後で姉がわたしの顔を見て大笑いしたものである。前髪と眉毛が火にこげて茶色に変色していると言われ、驚いたわたしがあわてて手を当てると、毛はたよりなくはらはらと落ちてわたしの顔まで頼りなくしてしまうのであった。それでも風呂焚きは好きだった。

 だが卵拾いとなるとそうはいかなかった。といっても、卵拾いそのものが嫌いというわけではない。実は卵拾いはそれほどいやでなかった。それどころか、どきどきするような競争もあって、ある種、やりがいはあった。本当にいやだったのは卵を拾ってから後のことである。

 その頃わが家では、およそ一五羽くらいの白色レグホン(卵を産むふつうの白い鶏)を飼っていた。それを昼間は庭に出して放し飼いにして置く。鶏は何か危険に出くわすと、必ずクワーコッコ、クワーコッコと鳴いて知らせに来る。その番をするのが畑に出て農作業のできない祖母とわたしの仕事だった。

 鶏は臆病で放し飼いにしても庭からあまり遠くへは行かないから四六時中見張っている必要はない。ただ、クワーコッコ、クワーコッコと鳴いたときが一番危ない。そういう時は野良犬に追いかけられるかして身に危険が迫っている。すぐに駆けつけて追い払ってやらなければならない。だが、そのほかにもう一つ、駆けつけなければならない重大な理由があった。危険が迫ってなくても鶏はクワーコッコと鳴くのである。むしろそのときのほうが多い。そういう時はたいてい卵を産んだ直後で、わたしが取りに行かなければならない。卵を産んだときに鶏がどうして鳴くかはよく分からないが、わたしにはそれが「産んだよー、がんばったよー!」というお知らせのように聞こえる。まあ、わたしの勝手な思い込みで鶏の本当の気持ちとはかけ離れているかも知れないが、その鳴き声にはやや誇らしげな響きがあるように思えた。

 わたしはすぐ外に飛び出し鳴き声のする方へ全速力で駆けていって、是非ともその場所を突き止めなければならない。鶏はけっこう(駄洒落ではない)気まぐれなので、卵を産んだことも忘れて、ときどき、ふらふらどこかへ出かけてしまうことがある。そんなとき、産んだ場所を見つけておかないと後で卵のありかが分からなくなる。ありかが分からなくなれば、わが家にとってはもちろん、祖母にとっても大打撃だ。ここで急いで付け加えさせていただくが、大打撃というのは、祖母が滋養に卵を食べられなくなるという意味ではない。実は、毎週土曜日の昼頃、村はずれの、とある家の前にトラックでやってくる卵買いの男があって、その男に集めた卵を売るのが、祖母の一番の楽しみだったのである。

 祖母はわたしが拾い集めてきた卵を、ぬるま湯できれいに拭いて一つ一つ丁寧にチリ紙に包む。それをまた新聞紙で慎重にくるんで、セルロイド製の手提げの中に割れないようにしまっておく。それが二十個もたまると、いい具合に土曜日がやって来て、卵買いの男が村はずれのとある家の前に姿を現わす。そこに、集めておいた卵を売りに行って、何がしかのお金を受け取るというわけなのだ。わが家には数少ない現金収入の道だったから、祖母はその日が来るのを心待ちにしていた。だからわたしの責任は重大だった。

 鶏が鳴くと、すわ、とわたしは外へ飛び出し居場所を探しまわった。それを何度か続けているうち、わたしにも鶏の習性がおよそ分かるようになった。彼らは納屋や母屋の、人出入りの少ない薄暗い隅に卵を産むのが好きらしいのである。あるときは納屋の肥料袋が重なった隙間に、あるときは土間に積んだ藁のくぼみに、またあるときは古くて使わなくなった鳥小屋の枯れた萱(かや)の間に卵を産んだ。わたしはそういう場所を四、五箇所知っていたので、鶏が鳴くと、たいてい卵はそのどこかで見つかった。ならば、急いで駆け出す必要がないかというと、そういうわけにもいかなかった。

 ライバルがいたのである。わたしがどんなに急ごうとも、敵が卵を横取りしようと二方向からひたひたと迫って来る。鶏が鳴いて、出てゆくのが少しでも遅れようものなら、すでに、わたしより早くそこに駆けつけているやつがいる。

 それは、あるときは家で飼っている白地に黒斑の猫だった。その猫をわが家ではブチと呼んでいた。ブチは割った卵をなめ終ったらしく、満足そうに右手で顔を洗っている。そんなところにわたしがひょっこり首を出すと、ブチは『しまった!』という顔つきをして一目散に飛んで逃げた。

 またあるときは、卵が無事に産んであるのを見てほっと手をさしだし「うわっ」とひっこめることがあった。すぐわきで青大将がとぐろをまいてこれから卵に取りかかろうとぺろぺろ舌を出している。わたしはもう、青大将以上に青ざめて疾風のごとく逃げ帰る。それからあとは、もう一度卵を取りに行こうなどという気にはさらさらなれず、のどから飛び出しそうな心臓を一生懸命飲み下すのが精一杯だった。そんなときは祖母が代わって取りに行く。だが、たいてい青大将は卵を飲んで姿を消している。祖母は帰ってくるとこう言ったものだ。

「やっぱりだめだった。くやしいが、しかたがねえ。まなぶ、この次はもっと早く行くんだぞ。だがな、くやしいからってあのへびにケガをさせちゃなんねえ。あれはおれんちを守ってくれてるからな。まあ、少しくれえ卵が取られるのは仕方なかんべ」

 その青大将はいつのまにか、わが家に住みついているらしく、それからもたびたび出くわすことになった。はなはだしいときは、一つの卵で青大将とブチとわたしがにらみ合うこともあった。そういうときに、わがブチは果敢にも青大将に「かあーっ」とあらしを吹きかける。青大将も負けじと鎌首をもたげる。わたしはただ足をぶるぶる震わせ、戦いの行方を食い入るようにひたすら見守るだけである。戦いは一進一退で、青大将があきらめてするする立ち去るときもあれば、青大将の方からブチめがけて飛び掛り、ブチが体を総毛立て、泡を食ってずらかることもあった。ブチが勝てばわたしは助かった。青大将が逃げたあとでほっとしているブチの隙を突いて卵を拾って帰るのである。 
 そのときのブチの恨めしそうな顔が今でも忘れられない。
作品名:後ろ姿の少年に4 作家名:折口学