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ゆうかのエッセイ集「みつめて…」

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今になって考えてみれば、あの日は確かに神様がちょっとだけ意地悪をしたのかも知れない。

初めてのあなたとのデートだと言うのに、あの雨はないだろう。
私達は仕方なく、食事の後の時間を外で過ごす事が出来ずに、カラオケに行く事にしました。

そこでのあなたの態度は、私の希望するものでは決してなかった。
だから私たちの出会いは、当然の様にその日で『始まり』と『終わり』を迎える。そう思っていました。

皆さんは初対面で相手の事を『この人嫌い』と思った事はありませんか?
一般的に第一印象と言うのはとても大切で、その一回の出会いが全てを決めると言っても過言ではないと、実際思ってる人が多いと思います。
私だって同じです。そしてその通りにしていたら、今の私と彼との関係は無かったのです。

初めてのデートの日の夜、私は彼との今後の付き合いをどうしようか…〔半分以上は断るつもりで〕と考えながらメールを打ったのです。

彼の態度に不誠実なものを感じたからです。
しかし、彼から返って来たメールには、真剣な交際を望んでいるとの事が書かれてありました。そこで、私は迷いました。

そしてある言葉を思い出したのです。
それは私の心の教訓ともなっている言葉です。

以前、もう何十年も前ですが、私は保険のセールスウーマンをしていた時がありまして、その時教わった言葉です。それは…

『人には機嫌の悪い時も、良い時もあるのだから…」というものです。

確かに人っていうのは、その時の気分や感情で苛々している時もあれば、にこやかな時もあるのです。いつもいつも怒ってばかりいる人なんてそうそう居ないでしょう。

たまたま出会ったその時に、その人はたまたま不機嫌な時だったのかも知れないし、たまたま誰かと喧嘩したすぐ後だったのかも知れないのです。

だから、たった一度会っただけで、その人の事を決め付けてはいけないのです。

「一期一会」と言う言葉もありますが、本来なら長い縁を持てる人かも知れないのに、たった一度の不愉快な出会いによって一会で終わらせてしまっているかも知れないのです。
それってとても残念な事ではありませんか?

現に私の場合、初対面の彼の印象はとても悪くて、×をいくつも付けたのです。ところがその後、殆ど毎週2回のデートを既に数ヶ月続けていますが、初日のデート以来、まず雨が降ったことが無いのです。いつも晴天。その度に自分の日頃の行いが善いからだと、お互いに言い合っているのですが…あっ 惚気てしまいましたね。

最初のデートの日の雨は、今振り返って見ると、神様の悪戯だったのではないかと思うのです。
雨降り⇒カラオケ⇒悪印象となって、そこで別れるか、続けるか、神様がちょっと試されたのではないだろうか? とそう思うのです。

もしこれを読んで以降、皆さんが誰かと初めてあって「何て人なんだろう!この人は!」って思う事があったら、是非私のこのお話を思い出して、もう一度だけ、その方にチャンスを上げて欲しいと思うのです。

それは即ち、もしかしたらあなたにとっての、チャンスかも知れないのですから…。お幸せに。

☆おまけ☆

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。
『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』という意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である。平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである。 千利休の弟子の山上宗二は著書「山上宗二記」の中の「茶湯者覚悟十躰」に、”一期に一度の会”という書き下しの一文を残している。 その考えを、幕末の大老・井伊直弼が自分の茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」という言葉にして世の中に広めたものである。(フリー百科事典 ウィキペディアより)