ゆうかのエッセイ集「みつめて…」
ライオンが獲物となるカモシカを繁殖飼育することが出来たなら…などと突拍子も無い事を、ある人が言うのを聞いた。
もしそんなことが実際出来たなら、ライオンは狩りには出掛けなくなって、マイホームライオンになるのかしら?(笑)
そして「獅子は千尋の谷に子を突き落とす」なんて言葉も無くなるのだろうなぁ。だが実際にはあり得ないこと。
だからと言うわけではないが、ライオンは獲物を追う強靭な足を持ち、獲物を捕らえる鋭い爪とその肉を喰いちぎる恐ろしい牙を持っている。生きる為に必要な道具を与えられている。
もちろん他の動物も同様なのだとは思うけど、ライオンは1つの例である。
だが…では人間は?
人間に生きる為に与えられた物って何だろう?
神はあらゆる物にも、あらゆる事にも平等だと信じている。〔個人的に〕
もちろん神と言うものがあればの話なのだけど。
思うに人間に与えられたそれは、「知恵」ではないかと、中身の余り詰まっていない、私の頭ではそう察するのです。
知恵があるから、人間は色んな事を考え色んな事を発見し、また応用させ、今日の姿に進化して来たのだと、そう思うのです。
そんな事を考えてる矢先、いつも来るお巡りさんが、店に来てオリンピック参加選手の言動について、明らかに無責任者を見る目線で話し始めた。
そう言えば今朝テレビでオリンピック参加選手の言動を報道していたなぁ〜と思いあたる。
昨今「人格」と言う言葉がもて囃され、誰かが何か常識に外れた言動をとると、すぐにその人の人格を揶揄する報道が満ち溢れる。
少し前には大相撲の世界でもあった。
「人格」を語る本もたくさん出ている。
そのオリンピック参加選手の場合、確かに
「日本という国を背負って参加するのだから、それなりの自覚があって当然!相手国への配慮も然るべき!」と怒りを込めて、その人がそう言うのもわからなくはない。
だが何せ若い。彼の知恵はまだ発展途上なのではないだろうか。その彼には 先人の知恵がまだまだ必要なのではないのか?
人格とは「知恵を持つ人間」があって、初めて備わってくるものではないだろうか??
だからこそ私は、そういう人達は人格以前に知恵が欠如しているのではないのだろうか? と心配になった。
そして同時に人間に与えられた「知恵の遺伝子」が薄れつつあるのではないだろうか…? と。
哲学者でも何でもない唯のおばさんが、不遜にもそんな事を危惧した1日だった。
☆おまけ
偶然にも「千尋の谷」を調べていたらこんなものを見つけました。
以下参照。
獅子は千尋の谷(せんじんのたに)に我が子を突き落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという。獅子には文殊菩薩(もんじゅぼさつ:知恵をつかさどる仏様)を守るという生まれながらの使命があるので、この世の何者よりも強くなければならない。親獅子は、獅子に生まれたわが身の悲しい宿命を嘆きながら、我が子を谷の底へと突き落とす。そうして、無事に帰還することを一心に願う。願いが通じて成長した獅子の子が谷の縁に現れると、親子は手を取り合ってこの世の万に勝る歓喜の舞を繰り広げる。
こんな所で知恵つながりなるとは…いやはや運命か?
作品名:ゆうかのエッセイ集「みつめて…」 作家名:ゆうか♪