花火と指輪と夏祭り
ドンという音とほぼタイムラグなしで空に華が開く。ぱらぱらと火薬の落ちる音もすぐ目の前に聞こえるようだ。
「へえ。穴場だな」
「でしょ?」
自慢気に彼女が言う。花火は祭り会場の神社の近くにある河原からの打ち上げだ。
みんなだいたい堤防近辺に集まって見上げる形になるが、彼女が引っ張っていったのは、そこから少し離れた丘の上だ。雑木林が少しだけ途切れて夜空が開ける。
距離自体は少しあるかも知れないが、混雑もなく花火を見るのにちょうど良い。見上げすぎて首が痛くなることもないからむしろ歓迎なくらいだ。
花火は毎年盛大にやると、家を出るときに聞いたことを思い出す。盆の時期に合わせて、鎮魂の意味も込められているらしい。大文字焼きだとかと似たようなものなのだろうか。
「うわあ、大きいなあ」
ぽかんと口を開けて空を見上げている。
「毎年見てるんじゃないのか?」
地元民だろうと、俺は確かに大きいと思いながらその隣で空を振り仰ぐ。枝垂れ柳がひときわ大きく空に散った。遠くからおお、という歓声や拍手が風に乗って流れてくる。
「ううん、久しぶりだよ。小さい頃に見て以来」
「そうなんだ?」
視線は花火に固定したまま、彼女は答える。
「こうやって見たかったんだぁ」
その横顔を見ると、何度目かのデジャヴを感じる。いや、これはデジャヴというよりも……。
「やっぱり俺、お前のこと知ってるだろ」
「……思い出した?」
彼女がこちらを向いて淡く笑う。
「俺が小学生のころこっち来たときに、遊んでた女の子が居た……レイコ?」
もう朧気な記憶。俺と同じように遊びの輪に入ることのなかった子。
彼女はふふっと笑って、子供のような少し高めの声を作って言った。
「『来年は一緒に花火見に行こうね』」
そういって差し出された小指に、自分の指を絡めたことがあった。その翌年から俺はここに来なくなって、果たされないままだった約束。
僅かずつに埋もれていた記憶が戻ってくる。けれど、思い出すにつれ、それはそれで違和感とも言えるずれを覚える。
「約束、破ってごめんって言おうと思ったら、君、七年も来ないんだもんな」
「確かお前……」
そっと俺の口元に指が添えられる。しーっと子供の言葉を制するように。
「お互い様だから、細かいことはいいことにしといてよ」
ふふっと悪戯っぽく笑う顔が、子供の時の印象に重なる。ああそうだ、彼女は他の子供たちと一緒に外を走り回ることはなかったが、こういう顔をして何かを企んでいたり、大人の本から仕入れた知識を自慢気に披露したりしていたな。
いいことにしとけっていうレベルの話かという指摘は……もうここまで来たらするもんじゃないだろう。
「まあ、盆だしな」
「夏休みだしね」
何か特別な思い出のひとつやふたつあってもいいじゃないのとレイコは強引にまとめてきた。
「君とこうやって夏祭りいけたし、花火見れたし、私的には概ね満足かな」
「もう満足?」
「そうだね……君に会いたかったから。最初で最後だし」
もうレイコは花火じゃなくてこっちを見ている。花火の光で時折逆光になって表情が見えない。
その顔を見ているうちに、俺は思わず言っていた。
「…………もう少し、花火見てて」
「え?」
「いいから。すぐ戻る」
一方的に言いおいて、俺はその場を離れた。
駆け足でさっきの丘へと戻る。戻ったときにレイコがもういなかったらと思うと、足がどんどん逸る。
雑木林を抜ける先に白い浴衣が見えたときは、心底ほっとした。
レイコはまだ上がり続ける花火をぼんやり見上げていた。その後ろ姿を確認して、ようやく足を緩めることができた。
「待たせた」
少し上がった息を隠すように、端的に声をかける。
レイコは少し斜めに振り返って、少し怒った表情を作ってみせた。
「待った。何、ジュースでも買ってきたの?」
その声に含まれている笑いに、俺は握った拳をつきだした。
「何? 飴かなんか?」
そういえば見ていた屋台にはころころと可愛らしい飴もあったな。
花より団子な彼女に苦笑しつつ、受ける形で差し出された手のひらに、俺は開いたてからそれを落とす。
ころん。転がったそれが、花火の光を一瞬写し込んで輝く。
「これ……」
それはさっき彼女が一番真剣に見ていた玩具の指輪だ。赤い硝子が特徴的なそれは、やっぱり屋台から持ちだしても本物の指輪に比べても玩具のチャチさが抜けないけれど。
「待たせた詫びってことで」
「馬鹿だねほんと」
うれしそうな顔をして、けれどなぜかそのままその指輪を俺につきだしてきた。
「いらないってことか?」
怪訝な顔をすると、レイコはまた「もう」と頬をふくらませた。
「違うよ! 指輪贈るんなら、ちゃんとつけてくれるとこまでセットでしょ?」
「ああ、そういうことね……」
俺は指輪と差し出された左手を言われるがままに取った。軽くフリーサイズ仕様の指輪を広げ、白くて少し温度の低いその手を俺の左手に乗せ、指輪をはめる。軽く押さえて指に合わせた。
「ありがとう。綺麗だね」
レイコは手を掲げて指輪のはまった手をうっとりと眺めた。
「そんなんでいいのか?」
「十分だよ」
そしてその左手を、右手で大切そうに胸の前に抱き寄せる。
本当に満足そうな顔で笑うものだから、俺はたかだかこんな玩具の指輪ひとつでと、柄でもないことをしてしまったことになんだか居心地が悪くなる。
「……もうちょっと早く里帰りしときゃ良かったか?」
「ううん、小学生じゃこれ買ってもらえなかっただろうし、今でよかったと思う」
ぼそりと言うと、レイコはふるりと首を振った。
「ホントにこれで心残りない気がするよ」
そう言ったとき、レイコの身体がふっとぼやけた。え、と思う間もなく、彼女の身体が縮む。
見る間に小学生の時の、俺の知っていた頃のレイコの姿になる。
あ、と彼女も驚いた顔をしたのは、手も小さくなって指輪のサイズが変わってしまったせいだ。くるりと赤い硝子が横へと回る。慌てて落ちないように手を握りこんだ。
それから、俺をもっと開いた距離の視線で見上げた。
「ほんとにありがとう。昔も、今日も、楽しかったよ」
懐かしい子供の声で、レイコが言う。
「じゃあね」
あの頃の夏、俺が帰るときと同じように告げて、レイコの姿はすっと闇に溶けるように消えた。
そういえば彼女は一度だってまたねとは言わなかった。気は強かったけれど身体の弱かったレイコは、いつもそうやって別れていた。
あの約束だけだったのだ。次もあるとはっきり形にしたことは。
彼女の居た痕跡は、足あとも、俺が渡した指輪も、この場には何一つ残っていない。
その場に一人取り残された俺は、終盤に近づいてひときわ派手にあがる花火を見上げた。
約束は七年越しに果たされた。けれど別にこれで本当に最後にすることもないだろう。
花火の残滓すらその夜空からなくなるまで見届けてこれからの予定を決めた。
ひとまず明日はばあさんに会いに行くついでに、レイコにも会いに行くことにした。
そのためにも、まずは土産にりんご飴を買いに行くとしよう。