勝負服のため息
「観たい映画があるから付き合ってよ」
不機嫌を一片も隠しもしない年子の妹に叩き起こされたのは、休日の朝早く。まあ早いとはいっても、ベッドサイドに置かれた目覚まし時計は九時を告げていたけど。
開け放たれたカーテンからは朝の眩しい日差しが差し込んでいて、寝起きには辛い。もはや凶器に近い陽射しから逃れるように、深く深く布団を被り直した。
しかしその最後の砦も、遠慮というものを知らない妹によって容赦なく剥ぎ取られてしまい、朝の空気を浴びるしかなかった。捲れたパジャマの合間から吹き込む朝の清清しい(というより肌寒い)空気に身体が震える。
私はまだ完全に開ききらない目で、ベッドのすぐ側で仁王立ちしている洋風系美少女を見上げた。
(おやまあ)
今日は彼氏とデートだとか言っていたはずの彼女が、何故まだいるのだろう。九時に待ち合わせだとか夕飯の時に聞いた気がするから、とっくに出かけていてもおかしくないはずなのに。
「まだねむい」
「もう朝!」
「朝って、まだ九時じゃない。せっかくの休みなんだから寝かせて」
「起きるの!」
重い瞼を擦って、しぶしぶ起き上がってやった。
クロゼットに頭を突っ込んでぽいぽいと余所行きの服を放り投げてくるリーナを、私はじとっと睨み付ける。しかし彼女はどこ吹く風で勝手に選んだ服を押し付けると、あと十五分で着替えてよねと厚かましく命令までしてくる。
私はいつも休日の午前中は――何かよほどの用事がない限り――睡眠にあてるのだと決めている。そして、妹はそんな私の寝汚さをよくよく承知しているから、用事がない限り休日の午前に起こしてくることはない。というよりも、寝ている私は多少の物音じゃピクリともしないから、そのまま放置で出かけていく。それなのに休日の午前中の朝早くに自分を叩き起こすんだから、よほどのことがあったのだろうな。
全身上から下までばっちりとお洒落した、血の繋がらない妹を眺めて、小さな溜め息をついた。
「……映画って、何か観たいものでもあるの?」
「上映しているものならなんでもいいの!」
「上映してなきゃそもそも観られないけどね……なあに? 映画が観たいわけじゃなくて?」
「映画が観たいの」
「はぁ……?」
放り投げられた服上下を手にとってもそもそと着替えながら、とりあえず何が観たいのかエリナに問いかけた。しかし、妹から返ってきたのはいまいち要領を得ないの回答で、私はワイシャツに袖を通しながら首を傾げる。
ちらりと覗き見た妹の眉間にはこれでもかというくらいに皺がよっている。私はシャツのボタンを全部閉め終えると、クッションを抱えて床に腰を下ろしたエリナに手を伸ばす。そして、遠慮なしにぐにぐにと眉間の皺を解きほぐしてやる。
「……なに、あの坊やと喧嘩でもした?」
「してないもの」
「デートは? すっぽかした? すっぽかされた?」
「…………」
「リーナ、」
「……ヘタレふにゃふにゃ野郎なんて、だいっきらいよう」
じわりと目尻に浮かんだ涙を隠すためだろう、自分の腰にぎゅっと腕を回して下腹部に顔を埋めてきた妹。
私はまた溜め息を吐くと、リーナの指通りのいいさらさらの髪に指先を絡ませ、手持ち無沙汰にそれを弄ぶ。そして考えた。
きっとちゃっちいことで喧嘩でもしたか、それともまたカレシが呪いじみた不運ぶりを発揮して、待ち合わせ時刻を過ぎても現れなかったとか、そういうことなんだろう。
毎度毎度、くだらない痴話喧嘩に引っ張り込むのはやめてほしいと思いはするけれど。こんな時でしか甘えてこない妹をぎゅっと抱きしめると、今日も綺麗な天使の輪っかを撫で、しょうがないなあと笑ってやった。
「映画行くんでしょ、泣いたらせっかくのお化粧が落ちるよ」
「泣いてなんか、ないんだから」
「そう。映画のポテトは君の奢りだからね」
「奮発してから揚げも付けてアゲマス」
「おやおや、太っ腹だこと」
つんと華奢な顎を反らして高飛車に言い放つリーナの目尻は、うっすらと染まっていた。(たぶん私を起こすまで泣いていたのだろう)もちろんそれは見なかったふりをする。私はベッドのすぐ近くに転がっていたカバンを取り上げ妹の背を押した。
「あと十分ほど頂戴。化粧するからリビングで待ってな。それから出かけようか」
「ん、」
(とりあえず、あの無自覚女泣かせ、今度会ったらカラクリの刑だ)