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美恵子

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 穏やかな昼下がり、私は共同キッチンで野菜を刻んでいる。刻んだ傍からくつくつ音を立てているスープスパの鍋へ入れて行く。
 外は明るく電気を付けなくて丁度良い位。隣の隣の部屋からは美恵子さんの弾くピアノの音が聞こえて来る。美恵子さんのピアノの曲の弾き方は出鱈目でクラシックもジブリも自分が作った曲も混ぜて、しかも続けて弾く。
 具材が煮えて麺の固さが丁度良くなったらコンソメと塩胡椒を入れ、牛乳も入れて上からとろけるチーズを乗せる。
「美恵子さん」
 私は隣の隣の部屋のドアをノックする。
「お昼、できましたよ」
 私の部屋でテーブルにランチョンマットを敷いて美恵子さんの食事をセットする。
「美味しそー! 良い匂い……ピーマンと人参嫌い」
 そう言って美恵子さんは口を尖らす。
「大人なんだから食べて下さい」
「うそうそ。ちゃんと食べるよ。英美ちゃんお母さんみたいだね」
 一瞬で美恵子さんは無邪気に笑う。その輝く笑顔が私は好き。
「子どもなら立派に育ってもらわないといけませんね」
 私が言うと100パーセントミカンジュース、と言って美恵子さんは私にもカップを渡して来た。


 幸せな夢を見た。美恵子さんと一緒にお昼を食べる夢。夢の中で私は美恵子さんの食事をいつも作ってあげて話しながら食べていた。

 美恵子さんも私も同じカフェバーで住み込みのバイトをしていて、でも私は早番で美恵子さんは遅番でバイトの時間自体1時間位しか被っていなくて、私は料理人で美恵子さんはピアノ弾きで中周りと外周りと働く場所も違って接点なんて殆どないのだけれど。美恵子さんはバイトの時間より早く来て先に賄いを食べる。偶に私が作らせてもらえることもあり、持って行くと「ありがとう」と言って美恵子さんは受け取った。

 風邪を引いて寝込んだ美恵子さんにおかゆを作って持って行ったことがある。美恵子さんは賄いを受け取ると同じように「ありがとう」と言って受け取ったが熱が酷くて殆ど食べられなかった。

 非番の日にランチを作っていると共同キッチンの隣の隣の部屋からピアノの音が聞こえて来た。私はきっと美恵子さんだな、と思った。ここのバイトの中でピアノを弾くのは美恵子さんだけだったから。美恵子さんはピアノで食べて行きたいようだったが、今はカフェバーで接客をしながら偶に請われればピアノを弾いてチップを貰っていた。
 自分ひとりの食事だったから早く作ってしまうこともできたのだけれどこの穏やかな時間を少しでも長く感じていたくてわざと丁寧に食材を刻んだ。

 私が美恵子さんにランチを作ってあげることはまずない。私はお昼時を挟んでバイトをしていて、ランチタイムは混むので大体食事をせずに働き続ける。ティータイムになって手が空いてきたら厨房で軽く賄いを作りその場で掻き込むように食べるのが常だった。


 私が美恵子さんがバイトを辞めたのを知ったのは美恵子さんの姿が見えなくなったと気付いてから暫く経ってからだった。お店の常連さんの家に半ば身受けされるように入ったらしい。

 美恵子さん。
 今も昼下がりにピアノを弾いていますか。クラシックとジブリとオリジナルの出鱈目なアレンジの選曲で。
 美恵子さん。
 貴女に私の作ったランチを食べて欲しかった。
作品名:美恵子 作家名:幻夜