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天使と悪魔の修行 前編

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 あっく魔くん(通称あっくん)がこのホテルの前にいるのはもちろん宿題を果たすためなのです。
 ¥ジェルちゃんと違って、あっくんは誰かを不幸にしなくちゃいけないんです。――悪魔だから。

 人を不幸にするためには、まず幸せそうな人を探さなくちゃなりません。そこであっくんが考えたのがこのホテルなんです。

 そう、ここは愛し合う男女が二人だけの時間を持つためにやって来る所。一般的にはラブホテルとか、最近ではシティホテルなどとも言うようですが……。

「あ、イテテ……」
 あっくんは思い出したようにそう言うと、そっと右手でお尻を撫でました。少し前に稲光に乗って地球へやって来たのですが、いつもならきちんと耐熱ズボンを履いてくるのに、今回はつい面倒で普通のズボンを履いてきてしまったのです。稲光の熱さをなめていました。
 稲光に乗って間もなくそれに気が付いたんだけど、もうどうしようもありません。稲光は片道超特急なんですから『逆戻り』も『待った!』もありません。

 熱いのをじっと我慢して、ようやく地球に辿り着いたものの、ズボンは焼け焦げるは、お尻は火傷するはで、ひどい思いをしたんです。たまたま近くにあった公園の水飲み場で、お尻を濡らして冷やしたんだけど、それでも時々お尻がズッキンコ、ズッキンコと痛むのです。

 ――さて、そうこうしながらもホテルの前で待っていると、ターゲットにぴったりそうな男女の二人連れがやって来ました。
「あっ、この二人連れがいいかもなっ」
 ちょっぴりワクワクしながらあっくんは呟きました。
 
 その二人連れは、宵闇が薄ぼんやりと周囲を包んでいるのをいいことに、べったりとくっつき合って、そりゃあもう幸せにとろけそうな瞳で互いを見つめ合い、肩を抱き合ってその門をくぐって行ったのです。
 男性は四十歳前後、女性は三十歳前後に見えました。よくよく考えて見れば、その年頃なら普通は夫婦で、わざわざこんな所で愛し合う必要などないようなものですが、その時のあっくんはそこまでは気が付きませんでした。とにかく幸せな二人に出会えればそれで良かったのですから――。
 二人が門の中へ消えそうになったその時、大慌てであっくんは二人のあとを追いました。
 当然二人にはあっくんの姿は見えていません。悪魔の姿は、悪魔に心を売り飛ばそうとする者や、悪魔のように意地悪で、さもしい心の持ち主にしか見えないのです。
 あ、こんなことを言ってはあっくんが可哀想かな?

 あっくんは今は悪魔の姿をしているけれど、悪魔と言ってもまだ修行中の身だから、優しいところも残っているんです。
 ほんの少しだけ……だけどね!

 ――この部屋は思ってたよりはスッキリしている――それがあっくんの第一印象でした。

 女と男は部屋へ入るなり、待ち焦がれていたかのように女の方から唇を求めていき、当然ながら男がハッシと受け止め、暫しの抱擁タイムの後、仲良くバスルームに消えて行ったのです。

「はぁーあ。人の色恋ほど見ててつまんないものはないよなあ……」
 あっくんがつまらなそうに呟きました。

 ずいぶん生意気な口を利くじゃない! って思うかも知れないけど、このあっくんだって見た目は子供だけど、これでも結構修行歴は長くて、今日みたいな男女のエッチなシーンだってもう嫌というほど見ているし、正直興味もないのです。

 そんなあっくんが興味あること、それは――それは、人間が決して表面には出さないもの――『本心』ってやつなのです。じゃあどうやってその本心を知ることができるのか? ふふふ、気になりますよねぇ。

 あっ! 二人が肌を上気させてバスルームから出て来ました。そして二人は冷蔵庫からビールを取り出すと、缶をカチンと合わせて一言「乾杯!」と声を重ね、一気にグビグビッと飲むとどちらからともなくベッドへと向かいました。 
 
 こういう場合の順序ってだいたい誰でも似たようなものなんですよねぇ。

 並んでベッドの上に横になると、布団の中で男が言いました。女の瞳を見つめながら……。
「ユキ、愛してるよ」
 女が応えます。
「私も愛してるわ、ナオキ」
 それが合図であるかのように、男の手が女の肌を撫で始めるのです。

「ふん! とっととやっちゃってくれよ」
 あっくんは見飽きた映画を見るように、心の中で唾を吐きます。
 今あっくんは、このLOVEラブな二人をどうやって不幸に落とそうかと思案しているのです。「うーん……と……」

 その時です。突然どこからともなく声が聞こえてきました。
「もうそろそろ飽きてきたなぁ。こいつとのセックスもワンパターンになってきたし、いっそのこと、もっと若い女でも捕まえるかな……」

 その声にあっくんは驚きました。てっきりLOVEラブだとばかり思っていた二人の内の、男の心の声だったからです。
「そうか、これなら思ったより簡単に宿題が片付くかも知れないな」
 そう思ったあっくんは、にやりと唇の端を歪めました。
「でも、待てよ――」
 思い付いてあっくんは女の心の中を覗いてみることにしたのです。

 そうなんです。悪魔の得意技その一、人間の心の声を聞いたり、またはその中を覗き込んだりもできるんです。時には夢の中にも忍び込んで、その人の考えを操作することだってできちゃうんです。
 だから悪魔のターゲットにされるっていうことは、本当に恐ろしいことなんですよ。ただ、あっくんはまだ修行中の未熟者だから、時々失敗もしちゃうんですけどね。

「この人がいなかったら、私、生きていけないかも知れない。ずっと一緒にいたいわ。この人は私のことどう思ってるのかしら?」
 男の愛撫を受けながら、女はこんなことを考えていました。

「ふうーん、この女はそれなりに本気なんだな」
 相手は女を捨てようとさえ思ってるっていうのに……そう考えるとあっくんは、その女が少しだけ哀れに思えました。
「――でも、不幸にするのがおいらの宿題だしなぁ」

 ここで情をかけたりしては『悪魔の風上にも置けない』と、先生に叱られてしまいます。そう思い直すと、またしばらく壁側のラブソファーに引っくり返って二人の様子を眺めていました。

 ――そろそろ二人の愛の世界は最高潮を迎えようとしています。
「あぁーーーぁ」
 女が切ない吐息を漏らし、男は呻いて女の上に崩れるように倒れこみました。

「やっと終わったか……」
 あっくんがホッとしたような顔で呟きました。

 荒い息が少し治まった頃、女が甘ったれた声で男の背中に問いかけました。
「ねぇ~、いつになったら一緒に暮らせるようになるぅ?」
「そうだよな。できたら早く一緒に暮らしたいと思うよ、俺も。でもなあ……」
「でも……?」
「ああ。だって俺、子供ってあんまり好きじゃないんだよなあ。知ってるだろう?」
「うん、そのことか……でも、あの子は……」
 女が話すのを遮るように、男が口を挟みました。
「俺はさ、ユキのことは愛してるし、いつも一緒にいたいとも思うよ。もちろん一緒に暮らせるものならそうしたい。でも、あの子がなあ……、いるとなあ……」
「だけど……、私にはもう親もいないし、あの子を預けられるような人なんていないから……」