「不思議な夏」 第七章~第九章
-----第七章 草津の湯-----
佐伯亜矢は娘が志野のことを毎日「お人形のようなお姉ちゃん」と話し、逢いたがっていた事を伝えた。志野は自分が誘われたのは瑠璃が慕ってくれていたことだと解り、嬉しく思った。毎日夕方に母親の亜矢が夕飯の支度をしている時間は外で一人で遊んだり、部屋で人形で遊んだりしていた。これから志野は許す限り瑠璃と遊んでやることにした。
小さな子供は純真で可愛い。瑠璃と接していると自分の子供のようにふと感じる。貴雄との間に早く自分の子供が欲しいとより強く感じられる日々であった。
世間は夏休みという習慣がある時期に入っていた。もちろん戦国の世にはそんな風習は無かった。お盆は行事が行われていたが、質素なものであったから今のように旅行に行くとか、揃って食事に出かけるというような事も無かった。はっきりと言って、貧しかったからなのかも知れない。志野には今の暮らしが夢のようだ。何と言っても、食うに困らない。着るものに困らない。危険が無い。遊ぶことに困らない。移動に困らない。昔のような暮らしにはもう戻れないだろう・・・
「貴雄さん、志野は幸せです。瑠璃ちゃんとも仲良く慣れたし、ねえ貴雄さんの子供が志野は欲しいです・・・いけませんか?」
「突然なんだい!子供が欲しいなんて・・・ビックリするじゃない。約束事があっただろう?忘れたかい」
「いいえ、知っておりますよ。思った事を口にしただけです。怒らないで下さい・・・」
「怒ってはいないけど・・・気持ちは同じだよ志野、我慢して。そうだ、それより鳥より速い電車に乗せてやるって言ってたよね?」
「はい、お会いした次の日にでしたよね」
「そうだったね。じゃあそれに乗って旅行に行こう。涼しいところへ二三日行こう。どう?」
「はい、嬉しいです・・・お願いがあります」
「なんだい?」
「瑠璃ちゃんも連れて行ってあげたいのです。ダメですか?」
「そうか・・・仲良くしているものなあ。佐伯さんと話してみるよ」
「本当ですか!貴雄さん、ありがとうございます」
貴雄は二人で行きたかったけど、成長してきた志野の優しさに応える事も、自分の役目だとそう考えることにした。
次の日、早速貴雄は佐伯の家を訪ねた。
「こんにちわ・・・木下です。お話したいことがあってきました」
「あら、木下さん。志野ちゃんは?」
「今日はボクが話したいことがあって来ました」
「そうですか、じゃあ上がって下さい。どうぞ・・・」
「お邪魔します。大丈夫ですか一応男性ですけど・・・」
「ハハハ・・・何を言うの、冗談言わないでよ」
「そうですね、ハハハ・・・」
「コーヒー飲まれますか?」
「はい、頂きます。ありがとうございます」
「木下さんはお幸せですね、志野さん、とても可愛いし、優しいし、それになんというか気品があるし。今時珍しいですよ。どちらでお知り合いになられましたの?」
「それを説明するのは難しいですね。怒らないで下さいね、偶然でしたが、倒れているのを発見して病院へ連れて行ったことがきっかけなんです」
「そうでしたの。それであなたに感謝されている気持ちが強いのね。まあいいわ、それでお話って何でしたの?」
「そうそう、志野と今度旅行をしようと思いまして、話したところ、瑠璃ちゃんとも是非一緒したいと言いますので、佐伯さんのお気持ちが宜しかったら、ご一緒なされませんか?」
「まあ、それは嬉しいお誘いですこと!瑠璃はとても喜びますわ・・・是非連れて行ってやってください」
「佐伯さんもご一緒されますよね?」
「はい、でも・・・二人一緒だと・・・お金がかかりますわよね・・・家は主人がいないので母に世話かけているんです。旅費を頼むのはちょっと心苦しいから・・・瑠璃が良いと言うなら、志野さんを信頼しておりますので、連れて行ってやってくださいませんか?」
「それは・・・責任が重いので難しいです。では、佐伯さんの分はボクが出しますので、瑠璃ちゃんの分もですが、安心してください」
「そんな、甘えることは出来ませんよ。知り合ったばかりなのに・・・」
「遠慮しないで下さい。ボクは一応ここのオーナーですから」
「ええ?このアパートの持ち主さん?と言うことですか?」
「はい、内緒にしていましたけど、そうなんです」
佐伯は志野が素晴らしい女性なら、木下もそれにふさわしい資産家の息子なんだとため息が出てしまった。
家に戻ってきて貴雄は志野に、みんなで行けるようになったことを話した。
「貴雄さん、良かったです。楽しみですね・・・どちらに連れて行っていただけるのですか?」
「明日にでも、旅行会社に行っていろいろと相談してみよう。志野も一緒に来るかい?」
「はい、ご一緒します」
貴雄は志野のふるさとにこの機会に立寄ろうと考えていた。旧真田村のある上田市で帰りに一泊して、たずねてみようかと。すっかり景色は変わっているだろうから、志野がどこに住んでいたか探せないであろうが、そこに行かせてやりたいと強く思っていた。
真田村は上田市内にその地名を残す場所がある。真田氏発祥の地とされる記念碑もある。志野がその地で思い出すかどうか解らなかったが、草津温泉か万座温泉に泊まって帰ろうと、決めていた。
旅行会社のパンフレットを見て、志野は「草津へは一度行ったことがあります」と言った。「近いの?」と聞くと、「いえ、10里ほどあるので、鳥居峠を越えて丸一日かかりました」そう答えた。山道なのでそのくらい時間がかかるのだろう。昔から栄えていた湯治場ではあったが、庶民にはなかなか行ける場所ではなかったようである。
貴雄は自分たちの計画のために、東京経由高崎~軽井沢の新幹線と軽井沢からレンタカーで草津を往復し、上田~長野~名古屋の路線を使って二泊するコースを考えてもらった。一泊目はもちろん草津、二泊目はいろいろ考えて、善光寺参りをして、戸倉上山田温泉に泊まろうとなった。夏場の蒸し暑さを逃れて、涼しい信州へ出かけるのは貴雄にとっても楽しみであった。
志野は今日までに伯父の勧めてくれていた養子縁組が成立し、晴れて木下志野、生年月日1994年4月2日、そして伯父の住所が本籍地となった。行こうと思えば学校にだって行ける。そして16歳の誕生日が来れば、婚姻届も出せるようになっていた。後は厚生年金と健康保険への加入に就職することが必要になる。何とか小牧の伊藤さんの呉服屋に就職出来ないか、待つだけになっていた。
旅行の予定は8月お盆前の平日にした。混雑を避けるためと、料金を安くするためでもあった。もちろん貴雄の勤務が土日休めないこともある。志野がもし呉服屋に就職すれば当然土日は休めない勤務になるだろう。これからは出かけることも、家にいることも平日が多くなる。
出発の前日、志野は佐伯を訪ねた。いつものように瑠璃と仲良く遊んで、明日からの旅行の話もしていた。着てゆく衣装も一緒に選んであげた。遠足の前日のように二人とも、いや正確には瑠璃だけだが、そんなウキウキした気分の時間を過ごしていた。亜矢は、木下に費用を出してもらっていたことが申し訳なく感じていた。何とかして少しずつにでもお金を返してゆこうと思うようになった。
佐伯亜矢は娘が志野のことを毎日「お人形のようなお姉ちゃん」と話し、逢いたがっていた事を伝えた。志野は自分が誘われたのは瑠璃が慕ってくれていたことだと解り、嬉しく思った。毎日夕方に母親の亜矢が夕飯の支度をしている時間は外で一人で遊んだり、部屋で人形で遊んだりしていた。これから志野は許す限り瑠璃と遊んでやることにした。
小さな子供は純真で可愛い。瑠璃と接していると自分の子供のようにふと感じる。貴雄との間に早く自分の子供が欲しいとより強く感じられる日々であった。
世間は夏休みという習慣がある時期に入っていた。もちろん戦国の世にはそんな風習は無かった。お盆は行事が行われていたが、質素なものであったから今のように旅行に行くとか、揃って食事に出かけるというような事も無かった。はっきりと言って、貧しかったからなのかも知れない。志野には今の暮らしが夢のようだ。何と言っても、食うに困らない。着るものに困らない。危険が無い。遊ぶことに困らない。移動に困らない。昔のような暮らしにはもう戻れないだろう・・・
「貴雄さん、志野は幸せです。瑠璃ちゃんとも仲良く慣れたし、ねえ貴雄さんの子供が志野は欲しいです・・・いけませんか?」
「突然なんだい!子供が欲しいなんて・・・ビックリするじゃない。約束事があっただろう?忘れたかい」
「いいえ、知っておりますよ。思った事を口にしただけです。怒らないで下さい・・・」
「怒ってはいないけど・・・気持ちは同じだよ志野、我慢して。そうだ、それより鳥より速い電車に乗せてやるって言ってたよね?」
「はい、お会いした次の日にでしたよね」
「そうだったね。じゃあそれに乗って旅行に行こう。涼しいところへ二三日行こう。どう?」
「はい、嬉しいです・・・お願いがあります」
「なんだい?」
「瑠璃ちゃんも連れて行ってあげたいのです。ダメですか?」
「そうか・・・仲良くしているものなあ。佐伯さんと話してみるよ」
「本当ですか!貴雄さん、ありがとうございます」
貴雄は二人で行きたかったけど、成長してきた志野の優しさに応える事も、自分の役目だとそう考えることにした。
次の日、早速貴雄は佐伯の家を訪ねた。
「こんにちわ・・・木下です。お話したいことがあってきました」
「あら、木下さん。志野ちゃんは?」
「今日はボクが話したいことがあって来ました」
「そうですか、じゃあ上がって下さい。どうぞ・・・」
「お邪魔します。大丈夫ですか一応男性ですけど・・・」
「ハハハ・・・何を言うの、冗談言わないでよ」
「そうですね、ハハハ・・・」
「コーヒー飲まれますか?」
「はい、頂きます。ありがとうございます」
「木下さんはお幸せですね、志野さん、とても可愛いし、優しいし、それになんというか気品があるし。今時珍しいですよ。どちらでお知り合いになられましたの?」
「それを説明するのは難しいですね。怒らないで下さいね、偶然でしたが、倒れているのを発見して病院へ連れて行ったことがきっかけなんです」
「そうでしたの。それであなたに感謝されている気持ちが強いのね。まあいいわ、それでお話って何でしたの?」
「そうそう、志野と今度旅行をしようと思いまして、話したところ、瑠璃ちゃんとも是非一緒したいと言いますので、佐伯さんのお気持ちが宜しかったら、ご一緒なされませんか?」
「まあ、それは嬉しいお誘いですこと!瑠璃はとても喜びますわ・・・是非連れて行ってやってください」
「佐伯さんもご一緒されますよね?」
「はい、でも・・・二人一緒だと・・・お金がかかりますわよね・・・家は主人がいないので母に世話かけているんです。旅費を頼むのはちょっと心苦しいから・・・瑠璃が良いと言うなら、志野さんを信頼しておりますので、連れて行ってやってくださいませんか?」
「それは・・・責任が重いので難しいです。では、佐伯さんの分はボクが出しますので、瑠璃ちゃんの分もですが、安心してください」
「そんな、甘えることは出来ませんよ。知り合ったばかりなのに・・・」
「遠慮しないで下さい。ボクは一応ここのオーナーですから」
「ええ?このアパートの持ち主さん?と言うことですか?」
「はい、内緒にしていましたけど、そうなんです」
佐伯は志野が素晴らしい女性なら、木下もそれにふさわしい資産家の息子なんだとため息が出てしまった。
家に戻ってきて貴雄は志野に、みんなで行けるようになったことを話した。
「貴雄さん、良かったです。楽しみですね・・・どちらに連れて行っていただけるのですか?」
「明日にでも、旅行会社に行っていろいろと相談してみよう。志野も一緒に来るかい?」
「はい、ご一緒します」
貴雄は志野のふるさとにこの機会に立寄ろうと考えていた。旧真田村のある上田市で帰りに一泊して、たずねてみようかと。すっかり景色は変わっているだろうから、志野がどこに住んでいたか探せないであろうが、そこに行かせてやりたいと強く思っていた。
真田村は上田市内にその地名を残す場所がある。真田氏発祥の地とされる記念碑もある。志野がその地で思い出すかどうか解らなかったが、草津温泉か万座温泉に泊まって帰ろうと、決めていた。
旅行会社のパンフレットを見て、志野は「草津へは一度行ったことがあります」と言った。「近いの?」と聞くと、「いえ、10里ほどあるので、鳥居峠を越えて丸一日かかりました」そう答えた。山道なのでそのくらい時間がかかるのだろう。昔から栄えていた湯治場ではあったが、庶民にはなかなか行ける場所ではなかったようである。
貴雄は自分たちの計画のために、東京経由高崎~軽井沢の新幹線と軽井沢からレンタカーで草津を往復し、上田~長野~名古屋の路線を使って二泊するコースを考えてもらった。一泊目はもちろん草津、二泊目はいろいろ考えて、善光寺参りをして、戸倉上山田温泉に泊まろうとなった。夏場の蒸し暑さを逃れて、涼しい信州へ出かけるのは貴雄にとっても楽しみであった。
志野は今日までに伯父の勧めてくれていた養子縁組が成立し、晴れて木下志野、生年月日1994年4月2日、そして伯父の住所が本籍地となった。行こうと思えば学校にだって行ける。そして16歳の誕生日が来れば、婚姻届も出せるようになっていた。後は厚生年金と健康保険への加入に就職することが必要になる。何とか小牧の伊藤さんの呉服屋に就職出来ないか、待つだけになっていた。
旅行の予定は8月お盆前の平日にした。混雑を避けるためと、料金を安くするためでもあった。もちろん貴雄の勤務が土日休めないこともある。志野がもし呉服屋に就職すれば当然土日は休めない勤務になるだろう。これからは出かけることも、家にいることも平日が多くなる。
出発の前日、志野は佐伯を訪ねた。いつものように瑠璃と仲良く遊んで、明日からの旅行の話もしていた。着てゆく衣装も一緒に選んであげた。遠足の前日のように二人とも、いや正確には瑠璃だけだが、そんなウキウキした気分の時間を過ごしていた。亜矢は、木下に費用を出してもらっていたことが申し訳なく感じていた。何とかして少しずつにでもお金を返してゆこうと思うようになった。
作品名:「不思議な夏」 第七章~第九章 作家名:てっしゅう