Daliah
もともと音楽なんかにゃ縁はなかったが、あのクソったれな不況の始め頃にあちこちをたらい回しにされ、ただの一般ギャルだった私はそもそもライブハウスという単語の意味すら知らずに「面接受けたいです!」なんて電話を入れた。
3年前の珍事。遊ぶ金欲しさにやった。反省はしてない。
まぁ、そんなこんなで初シフト時に「何!? バンド!? そういうアルバイトなんですか!?」などと不躾に宣った私を、笑って許してくれた店長の寛大さには感謝している。
昔の話だ。
紆余曲折を経たウン年後、本日は、我がバンド「ダリア」の久し振りのおライブなのである。
朝起きた瞬間からなんともむず痒いような面はゆいような緊張を堪え、ギター様背負ってふらふらと2時間前に1人会場入りした。
会場入りっつっても、そこらのライブハウスの楽屋裏などなんとまぁひどいものだ。
舞台と板一枚で区切られた、コンビニの1/4程度のスペース。そこに、今夜の出演者たち総勢20名と、それぞれの楽器が詰め込まれてるっつんだからもう狭い狭い。
転びそうにながらギター様を立て掛け、振り返ると美少女がいた。
意識あるんだかないんだか分からないような淀んだ目で挨拶してきた。
「おはようございまし」
「しじゃねぇよ」
びし、と彼女――ベースの悠ちゃんは改めて敬礼した。
「ます」
「何がよ」
「ますます」
「火」
「火ます」
私がタバコをくわえると、悠ちゃんは愛用のS&W型のライターで火を点けてくれた。
煙を吐き出し、眠そうな双眸を観察する。一発で分かった。この子、いつもよりほわほわ度が足りない。私の悠ちゃんはもっと萌える子だ。
頭を抱き寄せ、ぽんぽんと叩いて差し上げる。
「また寝てないんでしょ悠ちゃん。ダメよ、睡眠はマジ大事」
「分かってる……分かってるよ。分かってますってばー」
ひにゃーとか唸りながら身もだえる。
悠ちゃんは緊張しぃだ。プレッシャーに悉く弱いし、そもそも人類の視線が苦手。なんでバンドなんかやってんだろうこの子。
「で、他のおばかさんたちは?」
「はいぃ。準備に駆り出されてるのでありますお姉様ー。というかお姉様遅刻なのでありますお姉様ー。ここだけの話、非常に言いにくいのでありますがお姉様ー」
「は?」
待てや。ちゃんと間に合ってますよ? いやでも、開始2時間前にしてはヤケにごちゃごちゃしてるなとは思ってた。
察する私。いやな予感だけは当たるのが人生。
「ご、ごめん。いま何時だっけ」
「6時」
いやん、あのペンギン目覚ましいつの間に。
+
まぁそんな感じで、久し振りの再結集と相成った。
それなりに面白かったと思う。
さすがにノリノリだった頃ほどの勢いはないけれど、微妙な出来の新曲も出したし、ファンの子たちとも再会できた。こんな素人持ち上げてくれるってありがたい。
ライブ終わった途端に悠ちゃんはダウン。
いまだに風邪引いて寝込んでるらしい。さすがキングオブナイーブ。神経症のお姫様ってタイトルで新曲贈ってやりたいくらいの可憐さだ。
で、元気な私は現在スーパーにいた。
知り合いに絶対見られたくないくらいの低姿勢で、やたらめったらいかついおじさんに声を投げる。なにこの寿司職人、マジ恐ぇ。
「すんませーん。プリンって、どこですかねー」
「あちらの方でございます」
「バナナはどの辺ですかねー」
「こちらの方でございます」
「私の明日はどっちですかねー」
「前方方向、顔を上げて歩き続ければいつかはきっと」
「おじさん面白いっすねー。ちなみに、バケツプリンとか置いてますかねー」
「はい。2Lと5Lがございます」
「5Lの方、お願いできますかねー」
「かしこまりました。お買い上げありがとうございます」
「不況の終わりはどこらへんですかねー」
「いまだ見果てぬ未来の先にございます」
「芸術様の真理はどの辺にありますかねー」
「永劫目を逸らさず、芸術とは何かを問い続ければいつかきっと」
「おじさんの笑顔はどこにありますかねー」
「ここにございます」
みしり
その凄絶なエガオにゃ死ぬかと思った。待ってろ悠ちゃん。いまこのお姉様が、バケツプリン持って行ってやるからなー。
+
「え、風邪じゃないって?」
「おふ」
はもはもと山盛りプリンをほおばってこくこく頷く悠ちゃん。ほわほわしてる。写真に撮って額縁装飾したいくらいの萌え画だった。
私はもりもりバナナを片付けながら、ごくごく500ミリコーラを嚥下してぷはー。
「うげっぷ。やばいぜ、こりゃお見舞いじゃねぇ。軽く晩餐だぜ。我ながらやってやったぜ」
「もぷまぷー」
はもはもと山盛りプリンを頬張りながら、パジャマ姿の病床少女がスプーンを振り上げる。5Lでけぇ。悠ちゃんにとってはきっと幸せの山なのだろう。奮発した甲斐あるわぁ。
「で、風邪じゃないって何。じゃなんで寝込んでたのよアンタ。私がプリン出すまでうーうー唸ってたくせに」
「うぅ、ちょい待って。ケータイ、ケータイ……」
本の山を崩してケータイを探す悠ちゃん。なにこの可愛い生物、なんて無防備な後ろ姿。
「ん」
スプーンを口に銜え、悠ちゃんはケータイの画面を私に見せた。
んだこりゃ。
メール?
半角英字でアドレス出てるって事は、登録されてない人からか。
件名――「例の新曲について」。
眉を潜める。
ああ知ってるさ。
いやな予感だけは当たるのが人生だ。
私は静かに、メールの内容に目を通した。
「…………」
ああ、そうか。
これに深く傷ついて、私の悠ちゃんが寝込んでたわけか。
「……お姉様。顔恐い」
「…………そう?」
「もふまふ。鬼恐い」
「ま、いいんだけどね」
ひょい、とケータイを投げ返す。立て肘ついてコーラを呷った。
「しかし、そう。そっか」
「んむ?」
「ダメよ悠ちゃん、たかだかそんなメール1通で寝込んじゃうなんて」
「…………」
悠ちゃん不満げ。
スプーンをくわえ、不機嫌な視線を持ち上げて言葉を探す。
見付けたらしい。
「刺さった」
「分からんでもないけどね」
心にぐっさり刺さったのだろう。
神経症のお姫様。
私もスプーンを手にとって、幸せの山にぐっさりと突き刺した。
舐める。溶ける。濃い後味が、舌に残った。
「……甘ぇ」
「むぅ~」
まじまじと、悠ちゃんはケータイに目を落としていた。
件名 :例の新曲について
本文 :引退しろ。死ね
「……ぐす」
「泣くな悠ちゃん。それはメール。たかがメール。ただの文字の羅列だってば」
「お姉様、ゲシュタルト崩壊の妖精呼んで。早く呼んで。いますぐ呼んで。急いでぜんぶ忘れたい」
「プリン喰う?」
「はむほむっ!」
もふもふプリンを頬張った。
いやはや、なんとも繊細ね。
いいかい悠ちゃん。
こういうのはね、潔くスルーするのが大事なんだぜ? そうじゃないと人前に立つなんてやってられない。
ああそうさ。
嫌味も罵倒もすべて1人で浴びるんだ、私たちは。いちいち真に受けてたら保ちやしない。
……幸せの山が削れてく。
とても緩慢に、少しずつ、どろどろ溶け落ちるように。