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篠原 春の風

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風が心地よくて、目を閉じる。頬に当たる風が優しい。空は、少し霞がかって、ぼんやりとしているが青空には違いない。そよそよと、息吹く草の匂いや、木々の匂いを運びながら、流れていく。とても優しい気持ちになれるのは、この風が優しいからだろう。ここにいる、ここで青空を見上げていられるのは、たくさんの人の支えによって可能になったことだ。その中でも、一際、逢えて良かったと思える人がいる。正確には、ずっと護ってくれてありがとうなのかもしれない。とても遠い約束を、律儀に守ってくれているその人は、ずっと変わらずに傍らにありつづける。
 言葉にできないほどの感謝を心では感じているけれど、言葉にしても伝わらない。「ありがとう」という言葉は、たくさんの意味を載せられるけど、ひとつの音でしかない。
 かしゃんかしゃんと音が近づいてくる。そろそろ、戻りなさいということだろうと、振り向いたら、その人が空の車椅子を押していた。
「風が冷たくなるわ。」
「・・・休みじゃないのに・・・」
「たまには、早退というものもあるのよ。いい天気だから、きっと日向ぼっこしてるだろうと思ってね。」
 近くで空の車椅子を止めて、ベンチのとなりに腰を下ろした。ふわりと、風が、その金の髪を掻き上げて、こちらの頬を掠めた。それに気付かなかった、その人は上を向いて、空を見上げている。
「心配しなくても、至極、順調だよ。」
「一緒に太陽を浴びたかっただけ。」
「・・・ありがとう・・・」
「いいえ、これは、私のわがまま。」
 過ごしやすい気温と、心地よい風と、温かい太陽の光、そして、傍らに在り続ける守護者。ほっと深呼吸する。これらが揃っていれば、とても心地良いのだと、自分の身体すら知っているのか力が抜ける。その人の肩に寄りかかった。
「花がね、たくさん咲いててさ。それで、風が気持ちよくて。」
「ええ。」
「こんなところにいれば、よくなるんだと、よくわかるよ。・・・・これに溺れてると、浦島太郎みたいに時を忘れて帰れなくなりそうだ。」
「それでもいいわよ。・・・いえ、ダメね。せめて退院して貰わないと。」
「退院か・・・先生に頼んでよ、それは。もう帰りたいって言っても、頑として首を縦に振らないんだ。」
 まだ、長く歩くことすらできないくせに・・・と、その人はからかうように言う。病室から中庭に降りるのすら、車椅子が入りような状態では、そう指摘されると困る。ようやく胸に深く突き刺さっていたチューブは外して貰った。だが、点滴が全部なくなったわけではない。それらが、全てなくなれば退院もさせてもらえるだろうが、先は長そうな気がする。
「だいたい、リハビリだって終わらないのに、退院なんて許可されるわけがないわ。」
「ああ、そうか。退院しても通わないといけないのか。」
 肩から吊られた右腕は、あまり感覚がない。手に至っては、動かすことも困難な状態だ。少しずつ動かせるように、物療担当の先生が指導はしてくれているが、こちらも先は長そうだ。
「虐められてるのかと思うくらいに痛いよ、あれ。」
「・・・あら、可愛がってくださってるのね? 物療の先生。」
「冗談じゃない。泣きたくなるくらいに痛いのに・・・・たまに、涙が零れそうになる。」
「泣いたら、かわいいから、もっと虐められるわ。」
「人ごとだと思って・・」
「ねぇ、話すだけなら部屋でもできるわ。そろそろ戻りましょう。」
 太陽が傾いて、ベンチが日陰になった。すると、その人は自分の着ていた上着を、肩にかけてくれる。何気ないことだが、とても嬉しいと思う。そんなふうに、傍らでずっと護ってくれるその人がいるから、ここで青空を見上げていられるのだ。
「逢えてよかった。」
「ん? 」
「雪乃に逢えて良かった。『ありがとう』で足りないくらい感謝してる。」
 そう言うと、怪訝な顔をして、「逢えて?  かなり言葉がおかしいわ。 私は、あなたが生まれる前から、あなたのすぐそばにいるのよ。『そばにいてくれて、ありがとう』が妥当だと思うわ。」 と、きつい指摘をされた。
「生まれた時に、初対面だったんだから、やっぱり、『逢えてよかった。』で、正解だと思う。」
 言い返したら、「生意気なこと。」と、微笑んで車椅子の背後に回る。
「さあ、乗って。」
「自分で動かせるから、押さなくていい。」
 照れくさくて、そう言い張ったら、「年下のくせに、生意気ばかり言わないの。」 などと返される。確かに年は離れているけど、こちらだって、成人はしている。
「お願い、身体を冷やすのはよくないから、大人しく言うことをきいて。」
 真面目に、そう告げられたら、大人しく車椅子に座るしかない。急ぎ目に、移動して、館内に戻った。その室内温度が温かいと思うぐらいに、外は寒かったらしい。ここから、出られなくてもいいのかもしれない。もしかしたら、そんな結末なのかもしれない。遠くない終末というのが、どうなるのか、わからない。ただ、その人が最後まで傍にいてくれるなら、それだけで十分だと思う。
「・・・ごめん・・ありがとう・・・」
「部屋に戻ったら温かいものを作るわ。」
 その人と随分と以前に約束したことがあって、それは、まだ有効なのだろうか、と、ぼんやりと考える。それを、その人に叶えることは容易いが、今でも、それを願っていてくれるかどうかは知らないし、叶えても、とても短い時間しか有効にはできないだろう。
「あなたが生まれてよかった。言葉にできないくらい嬉しいことだったわ。」
 背後からぽつりと漏らされた言葉に、もう一度、「ありがとう。」 と、口にした。たくさんの意味を載せて。
作品名:篠原 春の風 作家名:篠義