追憶
春一番が吹いたあとも信州の春はまだ浅く、天竜川の岸辺の氷が白く光っていた。
九十三歳を数えた母の葬儀が、川沿いの宗寿寺でひっそりと行われた。
「お大黒さんがお見えです。」
参列者の受付が始まろうとしていた矢先に、和服に身を包んだ住職の奥様が、本堂の霊前にやって来た。
「このたびはご愁傷様です。」
焼香のあと、喪主の博司は急いで座り直して挨拶をした。
「ご丁寧にありがとうございます。 その節は大変お世話になりました。 母も喜びます。」
その節は・・・・・・・。
お大黒の聡子は、博司の母を一度は『お母さん』と呼んだことがあったのだった。
博司は、読経が始まると、さきほどのお大黒の聡子の母が亡くなった日のことを思い出していた。
「博司さん、母さんが・・・・。 もうダメだって。」
聡子が電話の向こうで泣いていた。
とるものもとりあえずに病院へ駆けつけた博司に、玄関で待ち受けた聡子は泣きながら言い寄った。
「母さんに言って、一緒になるって。 私と結婚するって。 ねえ、母さんに言って。」
急ぎ病室のドアを開けた そこには、点滴のチューブを付けた聡子の母の姿があった。
母は病室の入り口に立ちすくむ博司を見つめた。
その母の目を見た時、博司はそれ以上病室の中に入ることができなかった。
その母親の哀しそうな眼差しを、今でもけして忘れることはなかった。
読経の中、参列者の焼香がつづいていたが、博司はまた涙がこみ上げてきた。
母の死が哀しいのか。 ・・・・そうではなかった。 聡子との別れが思い出されて、また哀しかったのだった。
博司は名古屋のチェーンストアーに就職していた。そして入社三年後、そのチェーンストアーは博司の故郷にも出店をし、子供服売り場を担当していた博司は、故郷の店の開店準備の一員として選抜され赴任した。
『そうだ、あの時に聡子と出会ったんだ。』
開店準備に忙しく、毎日遅くまで働いていた時、入社してきたのが、聡子だった。
大学受験におちた聡子は、浪人してでも大学を目指して教師になりたかったが、一人娘の彼女に親は浪人を許さなかった。 そして、進学を諦めた時、ちょうど募集をしていたそのチェーンストアに応募し、博司の子供服売り場に配属されたのだ。
開店の日が押し迫ったある日、商品が大量に入って、どうしても今日の入荷分を片付けなければ明日の作業に支障が出る事態になった。
そこで女性社員にも残業を頼み、バスの最終に間に合わない人は、店の車で送ると云う事になった。
博司は聡子を送った。聡子の家は天竜川を越えた山あいの集落にあった。バスは午後九時を過ぎるともう無い。
「ここです。 ありがとうございました。」
聡子の家は、バス停からもずいぶん遠かった。
それから、無事に店も開店してしばらく経った日のことだった。 聡子が哀しそうな顔をして帰る姿を見た。 その時から、博司は聡子を意識し始めたのだった。
「なにかあったの?」
次の日、聡子に声を掛けた。
「いえ、別に。」
「なにかあったら、言ってね。 問題を引きずらないほうが良いよ。」
「はい、ありがとうございます。」
素直な返事に、博司は好意を感じていた。
進学校を卒業していた聡子は、他の社員より仕事の習得が早かった。 その分、年上の社員からは疎まれた。 主任とはいえまだ若い博司には、彼女たちの中に立ち入る隙間はなかった。
そのとき博司は、夏目漱石の『三四郎』 に出てくる、英文のPity is akin to love. が、身にしみて理解できた、と思った。
『三四郎』の文中にある、与次郎の『可哀想だた惚れたって事よ』と言う訳が好きだった。
この訳文に、すかさず広田先生が、「いかん、いかん、下衆の極だ」と苦い顔をしたが、博司は、素晴らしい訳だと思っていた。
しばらくしてから、いつの間にか聡子の乗るバス停の近くの喫茶店が、二人のデートの場所になっていた。 高校を卒業したばかりの、しかも一人娘の彼女を、遅くまで引き留めることは憚られた。 ・・・が、遅くまでデートをするようになるのに、そんなに時間がかからなかった。
その都度博司は、聡子の家の近くまで送った。
時には、夜12時を過ぎることさえもあった。
毎日がとても楽しかった。
親しくなったある日、二人は天竜川を散歩した。
川べりに座って話をしていたときに、聡子の腕が不自然に博司の背中に廻っていた。
「なにかした?」
「ううん、なんでもないよ。」
その時聡子は、指で肩幅の寸法を測っていて、そしてその年のクリスマスプレゼントは手編みのセーターとマフラーだった。
そういえば、そのセーターを着て、聡子が成人式に着る洋服の生地を買うために二人は名古屋まで買い物に行った。
その頃から田舎の成人式は、夏のお盆に行われるようになっていたのだった。
名古屋駅前の街角で、博司は聡子に、
「あのさ、名古屋にいた時、夜ここで男の人から突然に、『ケツ貸して』 って言われたことがあるんだ。」
「ええっ!!」
「怖くなって、すっ飛んで逃げたんだ。」
二人は、大笑いをしながら地下街へ降りていった。
白のレース地を買った二人は、初めて一泊した。
もうその時は、両方の家へ行き来していて、公認の仲だった。
しかし、楽しいだけの日々は、もう終わり始めていた。
『結婚』という言葉を口にしてから、双方の親は二人の交際に難色を示し始めていたのだ。
聡子も博司も、一人っ子だったのだ。
博司は、聡子の両親に気に入られようと努力をし、なれない田圃の土手の草刈りを手伝った。 でもそれがまもなく裏目に出てしまった。
農作業で遅くなり『聡子の家に泊まるから』と家に電話を入れたあと、博司の父と母からは入れ替わり立ち替わり『早く帰ってこい』と、電話が入った。
博司は閉口した。
根負けした博司は二度と、『彼女の家に泊まる』とは言い出せなかった。
博司の父は養子だったから、『絶対に養子はやめなさい』 と、ぽつりと言った言葉が、哀しかった。
母は母で、『年をとったら、養老院があるからね…。』 と、嫌みまで言うようになった。
しばらくして博司は、新しくできた名古屋のショッピングセンターへ転勤した。
その頃のチェーンストアーの出店速度は速かった。 開店要員として、博司はてんてこ舞いだった。
博司は、休みの日の三回に一回は、田舎へ帰った。
聡子と一緒にいると、身も心も休まった。
『私と一緒にいる時は、いつも寝てるのね。』
と、不満を言った。
それでも目は微笑んでいて、いつも優しかった。
店の近くにある寮へは、聡子から毎日手紙が届いていた。
博司は聡子からの手紙がとても楽しみだった。
博司からはあまり返事を書くことがなかったが、聡子は文句を言ったことがなかった。
そんな頃、『私も転勤させてくれないかな。』と、ぽつりと言ったものだった。
それからしばらくして、休みの日には聡子が飯田線を南下して、豊橋まで来るようになった。博司は、名鉄で豊橋へ行った。
若い二人は、日の高いうちからホテルに入り、愛し合った。
結婚したら、ああしたいこうしたいと、二人はとても幸せだった。
九十三歳を数えた母の葬儀が、川沿いの宗寿寺でひっそりと行われた。
「お大黒さんがお見えです。」
参列者の受付が始まろうとしていた矢先に、和服に身を包んだ住職の奥様が、本堂の霊前にやって来た。
「このたびはご愁傷様です。」
焼香のあと、喪主の博司は急いで座り直して挨拶をした。
「ご丁寧にありがとうございます。 その節は大変お世話になりました。 母も喜びます。」
その節は・・・・・・・。
お大黒の聡子は、博司の母を一度は『お母さん』と呼んだことがあったのだった。
博司は、読経が始まると、さきほどのお大黒の聡子の母が亡くなった日のことを思い出していた。
「博司さん、母さんが・・・・。 もうダメだって。」
聡子が電話の向こうで泣いていた。
とるものもとりあえずに病院へ駆けつけた博司に、玄関で待ち受けた聡子は泣きながら言い寄った。
「母さんに言って、一緒になるって。 私と結婚するって。 ねえ、母さんに言って。」
急ぎ病室のドアを開けた そこには、点滴のチューブを付けた聡子の母の姿があった。
母は病室の入り口に立ちすくむ博司を見つめた。
その母の目を見た時、博司はそれ以上病室の中に入ることができなかった。
その母親の哀しそうな眼差しを、今でもけして忘れることはなかった。
読経の中、参列者の焼香がつづいていたが、博司はまた涙がこみ上げてきた。
母の死が哀しいのか。 ・・・・そうではなかった。 聡子との別れが思い出されて、また哀しかったのだった。
博司は名古屋のチェーンストアーに就職していた。そして入社三年後、そのチェーンストアーは博司の故郷にも出店をし、子供服売り場を担当していた博司は、故郷の店の開店準備の一員として選抜され赴任した。
『そうだ、あの時に聡子と出会ったんだ。』
開店準備に忙しく、毎日遅くまで働いていた時、入社してきたのが、聡子だった。
大学受験におちた聡子は、浪人してでも大学を目指して教師になりたかったが、一人娘の彼女に親は浪人を許さなかった。 そして、進学を諦めた時、ちょうど募集をしていたそのチェーンストアに応募し、博司の子供服売り場に配属されたのだ。
開店の日が押し迫ったある日、商品が大量に入って、どうしても今日の入荷分を片付けなければ明日の作業に支障が出る事態になった。
そこで女性社員にも残業を頼み、バスの最終に間に合わない人は、店の車で送ると云う事になった。
博司は聡子を送った。聡子の家は天竜川を越えた山あいの集落にあった。バスは午後九時を過ぎるともう無い。
「ここです。 ありがとうございました。」
聡子の家は、バス停からもずいぶん遠かった。
それから、無事に店も開店してしばらく経った日のことだった。 聡子が哀しそうな顔をして帰る姿を見た。 その時から、博司は聡子を意識し始めたのだった。
「なにかあったの?」
次の日、聡子に声を掛けた。
「いえ、別に。」
「なにかあったら、言ってね。 問題を引きずらないほうが良いよ。」
「はい、ありがとうございます。」
素直な返事に、博司は好意を感じていた。
進学校を卒業していた聡子は、他の社員より仕事の習得が早かった。 その分、年上の社員からは疎まれた。 主任とはいえまだ若い博司には、彼女たちの中に立ち入る隙間はなかった。
そのとき博司は、夏目漱石の『三四郎』 に出てくる、英文のPity is akin to love. が、身にしみて理解できた、と思った。
『三四郎』の文中にある、与次郎の『可哀想だた惚れたって事よ』と言う訳が好きだった。
この訳文に、すかさず広田先生が、「いかん、いかん、下衆の極だ」と苦い顔をしたが、博司は、素晴らしい訳だと思っていた。
しばらくしてから、いつの間にか聡子の乗るバス停の近くの喫茶店が、二人のデートの場所になっていた。 高校を卒業したばかりの、しかも一人娘の彼女を、遅くまで引き留めることは憚られた。 ・・・が、遅くまでデートをするようになるのに、そんなに時間がかからなかった。
その都度博司は、聡子の家の近くまで送った。
時には、夜12時を過ぎることさえもあった。
毎日がとても楽しかった。
親しくなったある日、二人は天竜川を散歩した。
川べりに座って話をしていたときに、聡子の腕が不自然に博司の背中に廻っていた。
「なにかした?」
「ううん、なんでもないよ。」
その時聡子は、指で肩幅の寸法を測っていて、そしてその年のクリスマスプレゼントは手編みのセーターとマフラーだった。
そういえば、そのセーターを着て、聡子が成人式に着る洋服の生地を買うために二人は名古屋まで買い物に行った。
その頃から田舎の成人式は、夏のお盆に行われるようになっていたのだった。
名古屋駅前の街角で、博司は聡子に、
「あのさ、名古屋にいた時、夜ここで男の人から突然に、『ケツ貸して』 って言われたことがあるんだ。」
「ええっ!!」
「怖くなって、すっ飛んで逃げたんだ。」
二人は、大笑いをしながら地下街へ降りていった。
白のレース地を買った二人は、初めて一泊した。
もうその時は、両方の家へ行き来していて、公認の仲だった。
しかし、楽しいだけの日々は、もう終わり始めていた。
『結婚』という言葉を口にしてから、双方の親は二人の交際に難色を示し始めていたのだ。
聡子も博司も、一人っ子だったのだ。
博司は、聡子の両親に気に入られようと努力をし、なれない田圃の土手の草刈りを手伝った。 でもそれがまもなく裏目に出てしまった。
農作業で遅くなり『聡子の家に泊まるから』と家に電話を入れたあと、博司の父と母からは入れ替わり立ち替わり『早く帰ってこい』と、電話が入った。
博司は閉口した。
根負けした博司は二度と、『彼女の家に泊まる』とは言い出せなかった。
博司の父は養子だったから、『絶対に養子はやめなさい』 と、ぽつりと言った言葉が、哀しかった。
母は母で、『年をとったら、養老院があるからね…。』 と、嫌みまで言うようになった。
しばらくして博司は、新しくできた名古屋のショッピングセンターへ転勤した。
その頃のチェーンストアーの出店速度は速かった。 開店要員として、博司はてんてこ舞いだった。
博司は、休みの日の三回に一回は、田舎へ帰った。
聡子と一緒にいると、身も心も休まった。
『私と一緒にいる時は、いつも寝てるのね。』
と、不満を言った。
それでも目は微笑んでいて、いつも優しかった。
店の近くにある寮へは、聡子から毎日手紙が届いていた。
博司は聡子からの手紙がとても楽しみだった。
博司からはあまり返事を書くことがなかったが、聡子は文句を言ったことがなかった。
そんな頃、『私も転勤させてくれないかな。』と、ぽつりと言ったものだった。
それからしばらくして、休みの日には聡子が飯田線を南下して、豊橋まで来るようになった。博司は、名鉄で豊橋へ行った。
若い二人は、日の高いうちからホテルに入り、愛し合った。
結婚したら、ああしたいこうしたいと、二人はとても幸せだった。