リブレ
妖魔の中には機械に囲まれた生活をしている者もいると思えば、暗い洞窟の中でひっそりと身を潜めて暮らしている者もいる。しかし、やはり妖魔の多くの住まいとして用いられるのは中世ヨーロッパ様式の絢爛豪華な屋敷である、だがそんな屋敷に住んでいるのは妖魔貴族に限られている。
屋敷の中を歩き続けて数分経ったが、今まで屋敷の住人とただひとりたりとも出会うことはなかった。
3人が屋敷の中に入ったことは、白騎士が3人を出迎えたことからすでに知れているものと思われる。3人の行く手を阻む者が現われないのは不思議だ。そう言えば白騎士の態度も変であった、『ゼメキス様がお待ちです、お急ぎください』、あの言葉の意味は?
この屋敷に入って初めてゼロの足が止まった。
「――この先にゼメキスがいる」
この言葉を聞くまでもなかった。扉の向こう側からは凄まじいまでの鬼気が発せられている。扉の前に立っているだけ普通の人間は足がすくみ立っていることもできないだろう。
クィン額からは大粒の汗が流れ落ちた。身体の正直な反応は不安を隠すことはできなかった。
「もの凄い妖気ですね、まるで目の前にいるような……」
焦りの色を浮かべるクィンを横目で見たジェイクは、
「帰った方がいいんじゃないかな、クィン”ちゃん”?」
と冗談ぽく言い、それに続いてゼロまでが、
「自分の身を自分で守れぬようであれば帰れ」
と言われてしまった。
クィンは右手首にはめた瑠璃色のブレスレッドを握り絞め扉の先へと目線を向けた。
「大丈夫です。自分の身は自分で守れます……いざとなれば奥の手もありますから」
不適な笑みを浮かべたクィン。彼の言う奥の手とはいったい何なのか?
しなやかでいてそれでいて力強い手が装飾の美しい扉へと押し当てられた。
「行くぞ」
閉ざされていた扉がゆっくりと開かれた。刹那、中から背筋を凍らす鬼気が3人を包み込んだ。
部屋の奥には黒いマントで身体を包み込んだ銀髪紅眼の男が立っていた。この男こそが人々から大貴族として恐れられるゼメキス・ヴィリジィア伯爵である。
「御機嫌ようゼロ」
ゼメキス伯爵の挨拶を無視して無言のままゼロは相手に近づき、その後を二人の若者は付いて行く。
ゼメキスの身体は蜃気楼のように揺らめきながら、消えては現われを繰り返しゼロの目の前まで移動した。
「今日はハーディックは一緒ではないのかい?」
「つい最近、この屋敷に人間の娘が連れてこられた筈だが?」
相手の言葉を無視して話をするゼロと同じようにゼメキスも相手の答えなどどうでもいいといった感じで話を続ける。
「ハーディックの気配がしたと思ったのだが……?」
ゼメキス伯爵の紅い瞳がジェイクを見据えた。
「そこの君からハーディックと同じ匂いがする。もしかしてハーディックの親類かい?」
この言葉にクィンはジェイクの顔を見つめてこう言い放った。
「ジェイク昨日お風呂入らないで寝たからあんなこと言われるんですよ」
「おまえなぁ〜、ケンカ売ってんのか?」
「さっきの仕返しです」
クィンは扉の前でジェイクにからかわれたことを根に持っていた。クィンは恨みなどを絶対に忘れず、いつか仕返しをしようと心がけている、そんな爽やか笑顔青年であった。
ここにいる全ての者を無視してゼロの話は続いていた。
「娘の名前はミネア」
この男も周りの会話を無視していた。
「俺の名前はジェイク、ハーディックは俺の親父だ」
どうやらここにいる者たちは全員人の話を聞かないタイプらしい。
「私は忙しい、用件があるのならば早く言いたまえ」
ゼロはすでに用件を言っている。しかし、ゼメキス伯爵は聞いていなかったらしい。
クィンは改めて自分たちがここに来た理由を話した。
「貴方は協定を破りました。今日はそのことでお伺いした次第です」
「ああ、あの娘か。あの娘ならばもうここにはいない」
貴族というのは変わり者が多いというが、この男の自己中ぶりは貴族にしても酷い。この酷さは貴族以前の問題だ。
「娘はどこにいる」
「家に返した。あの娘がここに来たのは偶然が重なった手違いなのでな」
「そうか……偶然か……」
偶然――この言葉がゼロの頭に引っかかった。
全ては偶然にしては出来過ぎている。何か因縁めいたものをゼロははじめから感じていた。
伯爵は漆黒のマントをきびし反し訪問者たちに背を向けた。
「協定の事は人間たちには悪い事をしたと思っている」
「それでは早く霧をどうにかして頂けませんか?」
「それはできない」
「どーゆーことだよ!?」
ゼメキス伯爵はマントの裾を手で持ち大きくはためかせながら振り向いた。
「それはできない」
「私の寵姫が一人さらわれてしまった……こちらにも色々と事情があってな……」
「そんなこった俺たちの知ったこっちゃねぇよ」
「そうとも言えないと思うが」
ゼメキス伯爵は口の端を吊り上げ前にいる者たちを紅き瞳で見据えた。
「私の屋敷からさらわれた姫の名は薔薇姫、彼女は厄介な能力の持ち主でな。私は生憎この屋敷を離れることができない。君たちが薔薇姫を連れ戻してくれれば話は丸く収まるのだが?」
「詳しい話をお聞かせ頂けませんか?」
「めんどくさいが仕方ない。――霧の結界を張ったのは人間たちの為でもある」
霧の結界を張ったのが人間たちの為? 果たしてゼメキス伯爵は敵か味方か、話は混迷を深めてきた。
「私の領域内に私に牙を向ける者が現れてな、前々から気になっていて安全の為に屋敷の周りの森に結界を張っておいたのだが……敵の力は私の想像以上であった。そこで仕方なく霧の結界を私の全領土に張ったわけだが……」
「だからそれのどこが人間のためなんだよ」
「村に現れたモンスターの事は知っているな」
ジェイクとクィンはこの言葉に不意打ちを喰らったようにきょとんとした表情を浮かべてしまった。
「どういうことですか?」
「あれは私に牙を向ける者の仕業だ。私が霧の結界を張る事により奴らの力を抑える事できる、下等なモンスターが村を襲うことはもうないだろう。だが私の狙いはそれよりも敵を私から逃げられぬよう私の領土に閉じ込めることだ。私に牙を向ける者を生かしておけぬ」
長い間沈黙していたゼロが口を開いた。この話に興味でもそそられたのであろうか。
「敵とは誰の事だ?」
「私も詳しくも知らんが、わかることは奴らは薔薇姫の力を狙っていることと、厄介者である私の命を狙っているということ」
「薔薇姫は何故さらわれた?」
「それは言えん。まあとにかく私を倒しても霧は消えるが問題の根本的な解決にはならん。君たちの選択肢は薔薇姫を連れ戻すか、この私、ゼメキス・ヴィリジィアを倒すかだ」
ゼメキスの問いに対してゼロは剣を抜き答えを出した。
「そうか、それが君の答えか……ならば仕方あるまい、掛かって来たまえ」
静かであるがその声は背筋の凍るような威圧感が含まれていた。
二人が戦いを始めようとしたそう瞬間、この場にいる全員が頭に痛みを感じ吐き気を催し床に倒れこんでしまった。いったい何が起こったというのか?
作品名:リブレ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)