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第5

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僕は4年半に亘り僕の全てを与えた彼女を失った・・・

アパートは引き払い、専制体制の実家に戻りプー太郎になった

自棄になり自殺を近くの山で謀ったが死にきれず

毎日、世捨て人の様にボーット過ごした家に閉じ篭り

寝転がり、天上ばかり見ていた、彼女あずみを

愛してるのに、どうしようもない

(1996)年24歳・・・・

そんな或る日、久しぶりに、例の岩永から音信があり

焼肉をしないか?と誘われた

僕は金がない旨を伝えたら、大丈夫だからこい!

と言われ、歓待されるものと思い、岩永の招聘に快諾した。 

彼は僕を家の近くまで例の車で迎えに来て、車は郊外の

場末の某スーパーに到着した、そこで僕は焼肉用の

買い物をするものと着いて行ったのだが、岩永は

精肉コーナーから肉の束を数個、鷲掴みにすると

着用していた、ジャンバーの中に隠し入れた、僕は

唖然とし、なんしよっとや!やめろ!と

彼に盗みをやめるよう説得を試みたところ彼から

そいじゃ焼肉せんとな!そいじゃな!と言われ

僕は閉口し、困惑した僕は免許もなく、彼の車で来ている

こんな郊外山中の某スーパーに置いてけぼりにされたら

帰るにも、交通費もないし、帰るにも帰れない

僕は素早く現状を計算した、解決策は岩永と同じ事をすれば

置き去りにされず収拾出来ると・・・

考え模倣した。

中学生以来の盗みである

僕は中学卒業後、泥棒なんか、情けない恥かしい行為である

として、蔑んでいたし中学の頃に強制されて万引きをさせられた

忌わしい行為であるし、人の心に悖る行いと自負して

モットーにも矜持にも瑕疵を入れるものとして是までは

行なっていなかったが、この頃の僕は人生で最も愛した女を

失い昔の20歳になってあずみに、出逢う前の状況に舞い戻り

未来の展望もなく、金もなく、頭も悪く、何もかもどうでも良く

狂い、荒廃、茫漠し自棄になっており、之に郊外の場末某スーパー

に置き去りにされると言う、環境が重なり僕をこの

中学以来の万引きに駆り立てた。・・・・

この日を境に僕は、充たされた鬱屈のダムが堰をきり崩壊し

窃盗で、盗みをする事でフラストレーションを癒し

繰り返すようになった。 

金なし、仕事なし、女なし、低脳、短小、包茎、三段腹の僕には

絶望しかなかった・・・・

死をもとめた、いいかげん、子供の頃から、の僕に対する仕打ち

せっかく掴んだ幸福の4年半結婚も、彼女の親達に、

破壊された僕はこの道に、辿り着くようにエントリー

されていたんだ、環境に・・・・・

ヤバイ事を起こしそうな苦難も何度もあったが犯罪に

ならない様にでも負けないように24年間ふんばってきた・・・・

でも彼女を、失くした僕はもう既に時遅しだった連日

今までの蓄積された、過去の憤懣と絶望を埋めるように

万引きを繰り返しこの間約4ヶ月心を癒そうとした

が埋まらない・・・・虚しい・・・・

呵責に苛まされるここは餓鬼道か?・・・・

そうして逮捕、僕は岩永の窃盗ミスにより共犯として

捕まり拘置所で3ヶ月拘留され、懲役1年6ヶ月執行猶3年を言い渡され

釈放された僕はこのままではいけないと、強く思い釈放後

すぐに就職探しを見つけ働きだした。

1996年平成9年24歳ホテルセンチュリオン

(第二総合企業株式会社)で、宴会やレセプション歓送迎会

冠婚葬祭の配膳、設営係である働き始めて1か月経つか経た

ないかの内に彼女、あずみから電話があった今天理市で

修行をしてるとの事、逢いたい着てくれと頼まれた僕は

再び彼女に逢えるよろこびから、休暇をもらい即効で翌日

のJRチケットを予約し単身京都近辺のん天理市に向かった

大阪、京都電車で走る車窓からは、西本願寺が見えていた

あぁこれが織田信長が滅ぼした本願寺かと感慨に耽った

ぼくは迷子になりつつ天理教総本山を目指した辿り着くと

広大な敷地に瀟洒な聖堂が巨大に聳えたちあっとうされた

ぼくは、あずみと打ち合わせの場所でランデブーして

敷地内に入り、彼女が寝泊りする、寮?

に招待された、寮に入るや否や僕達は熱いキッスをかわし

布団に潜り込み、いまから抱き合おうとしていたら、あずみに

動向して来ていた70半ばのおばぁちゃんが登場し

僕達2人はばつがわるそうに顔を赤らめ

苦しいいいのがれをし、居住まいを正した

このおばぁちゃんは6ヶ月まえに、彼女の実家に

プロポーズをしにお伺いした折、彼女の母親に

あしらわれた僕を、哀れに思って諭してくれた物分りの

良い人物である、・・・

結局何事もなく、あずみと彼女のおばぁちゃんと

世間話をしてまたもや、僕は京都くんだりから撤退した・・・・ 

僕は仕事に戻った1ヶ月もすると社内辞令がきて

営業企画部に栄転配属され、毎日修学旅行の宿泊プランや

ちょつとしたパーテーィレセプション送迎会等の案内

募集の為、外回りをしたり、イベント、催し物の草稿を提案

企画をしたりした。 

時は盛夏の8月を向かえ今度はビアホールの店長として辞令がおりた

8月から10月までの3ヶ月間の大学生の求人募集をかけ

10数名が揃って僕は、彼らの勤務体系ローテンションの管理と

精算レジの毎日の売り上げ及び、累計、毎月の売り掛け

山積累計の帳簿付けを担当した10月も終わり、僕は今度は

何と島原にあるアジサイホテルと言う支店に密偵として

送られたそこの従業員は、とても朗らかで良い人々であった

其処で1ヶ月の研修という名目でフロントについて

チェツクイン、チェツクアウト、予約受付、清算

コンシェルジュを学びながら、この支店の会計不正を

暴く密偵を本部長に依頼された・・・

が僕は報告書には、あしざまな事は報告していなかったが

目付け役で僕に付いて来た44歳のマネージャーが

情報をリーク操作し支店を、訝しがっているエグゼクティブの

好感を得ようと偽善の情報を流して、支店の温和な従業員5人は

解雇され僕は心がいたたまれなくなり落ち込んだ。 

 而して僕はまた11月には営業企画部に、復帰した

が此処でもまた問題が浮上した、この企業のオーナーは

親族関連で、運営され外部の改革案を、受け付けない

保守派だ、そこで社長の下の専務が策謀を練り社長を籠絡して

自社株を40%と習得しようと、あの手この手で株主総会を開き

買収して社長を罷免し、本人は会長に就任し改革を推し進め

僕が入社当時配膳係であった頃に、世話になった

パートのおばちゃん、おじちゃん達は、人員削減の

名目で解雇されて行き、営業企画部では世話になった

部長や、係長、が左遷され、自主退職に追い込まれ

後釜には、会社を乗っ取った会長の息のかかった

親族を雇用した。 

僕はこんな骨肉の争いに利用されほとほと嫌気がさしていた・・・・

そんな時期、平成9年9月ころ、あまにも不眠と

体調不良、幻覚に悩まされ産まれて始めて精神科を受診したところ

鬱に、不眠症と診断され、分が病気である事実を認識した・・・・
 
あ~僕が幼少のの頃から得体の知れない
作品名:第5 作家名:万物斉同