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第1

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障害年金申請の書面については私は筆不精で漢字もよく覚えて

おりませんし文章を体系的に組み立て論理化するのが苦手ですので、

このコンピュータの機械の力を借りて申請理由を提出いたします。

私は子供の頃から、このへんな感覚、幻視、躁鬱病があった

がその当時は何も判らずに苦しみながら学校に通い、中学卒業後は

就職し苦しみながら働き厚生年金を納めていた・・・・・

24歳の時に人生に疲れ添付の初受診記録の通り、初めて精神科、

土山クリニックを診察して医師から鬱病、幻覚と診断されて産まれて

はじめて自分が病気であると認識した。

その後、生きる気力もなく自殺を重ね失敗し、ヤケクソになり

生活維持(食糧)を得る目的のみで、死にたくとも死ねなく仕方なしに

生きるために窃盗を侵して逮捕される。

釈放後、川西クリニックを廣瀬クリニックから紹介を受け、受診、

川西クリニック医師の判断は、鬱病、解離性障害、子供の頃からの

病気であるとの診断結果。

現在も幻視、自殺願望、無気力が強く通院中。

 この産まれて36年にわたって凄絶なる懊悩、刻苦をばた

狂いながらもしかたなく生きた私は15歳から働き24歳の

犯罪を犯し逮捕されるまで一般人と同じように就職し、普通の国民と

同じように税金も滞納無く収め犯罪も犯さない普通の一般人として

努力してきた自己の病と会社の冷徹な制裁や、社員の苛めに耐えつつも。

 そして私はこの24歳、結婚を約束した女性との破談により

その24年にわたり蓄積された心の苦しみが一気に崩壊し

完全に希望を喪失し絶望し自殺未遂を繰り返すようになった

そして社会はそれまで普通の国民として努力し頑張って自分の

病とも闘ってボロボロになって生きてきた私をなんら手も差し

伸べる事も無く独り悩み死にたくとも死ねず生きるためのみに

この24歳の時期始めて、犯罪なる窃盗を犯した私をこの

36歳にわたり約10年間、刑務所なる所に打ち棄て隔離した。

 この24歳の時期にこの様な、精神障害者を助ける制度を知って

おったならば、犯罪など犯さず、刑務所にも何度も長期にわたり

隔離されて、犯罪者にもならずに済んだかもしれない。

その後36年にして産まれて始めて、自分の様な病人を助けてくれる

制度の存在を知るに至りこうやって障害者年金の申請を求めるに至る。

以下に私の幼少からの履歴を記す。

 僕の始まり  

僕の父は関西の極道らしく面識も一切ないし

父と言う観念?存在?感覚?そのものが欠如していて父親と

言う感情をそもそも僕は持合せていないみたいだ要するに

いてても、いてなくても、どちらでも、いいじゃん!って

この位の軽ぁるい感じ・・・鼻にもかけない?・・・でも

30年後の35歳の時に僕の、母を、妾に仕立て上げ、恣に、弄んだ

奴、きゃつ、として、ほんの一時的に、憎む事、甚だしく、秋毫の

秋霜の如し母の無知蒙昧さ加減にも呆れ果て更に僕に種だけばら

撒いて僕と母を棄てて其の手に、其の眼に、触れることなく

責任放棄して僕と触れ合わないままに勝手に黄泉に旅立った

とんでも無責任なきゃつとして恨んだ、んでもって、僕の、母は

大阪から地元にユウタンして帰ってきた出戻りだ、んで、一旦

祖母の所に身を寄せて地元の県庁所在地の一等地に10階建ての

長崎市江戸町十六番地松本(現在円口ビル1Fひまわり薬局)

ビルを所有するアパレル企業の社長(これ妹のおやじさん)

なんだけれど松本幸広 僕から見れば、単なる

母の、お・と・こ・でしかない・・・・と

僕が4歳位の時に一緒に暮らし始めた僕は、その養父の前に

立ちはだかり憚らて、お前は、何者だ!っと叫んで、困らせた

のを、記憶している母は僕に新しい、男、を紹介した、

この人がお前の新しいお父さんになるので宜しくお願いします

と、言うように無理やり、挨拶を、強要され、僕はあまのじゃく

で母に抗弁した僕の本当のお父さんは、何処にいるの?

と迫った所、冒頭の、極道の僕を棄てた父親らしき写真をみせられ

説明を受けたが、そのときは、今一ぴントこなかった、僕は地元の

丸山と言う街に住みそこから鶴銘幼稚園に通った、僕は女の子が好き

だった何時も女の子とばかり遊んだ、頭が歩ワーとし心惹きつけられ

てキモチヨカッタ・・・

よく其の女の子たちと思案橋、銅座界隈を闊歩し、探検、冒険を

しては帰り道に迷い迷子になって、母の、雷と厳しいお叱りと

暴行をうけた5歳の頃、妹、産まれる、僕は、妹のお締めの交換や

遊び相手、ままごとに、つきあった、とある日、僕はいつもの

メンバーの女の子と家から500メートル位、懸隔した遊び場で

ままごとや、ポンプ式の古井戸の上に登って飛び跳ね、

遊んでいたら、足元の板切れがバァキと抜け落ちて僕の足は、

その破れた穴に嵌まり込んで、自力で引き抜こうと試みたが、

5歳の僕の力では、どうしようもなくおじさん、おばさんの

キャラリーに包囲され見世物になっていた、一緒に遊んでいた

女の子が、おばちゃんを呼んでくるからぁーと叫び僕の母を呼び、

家にしらせに、行った、3分経つかどうかの内に、母は般若の

ような形相で僕に、一歩、一歩迫ってきて、僕の腕を徐に

掴むと腹一杯な力で、無理やりひっこ抜いた、と同時に履いていた

靴が井戸の中にストーンと落ちていった、僕は、脚の皮が

擦り剥け血が滲み出ていた、母は間髪入れず、僕に満座の

席で大きな声で罵声浴びせ、叱り又僕の手を掴んで、片足裸足の

僕を500メート離れた家まで、そびき、引きずられ、いえで

説教を絞られた、家はとても狭くて6畳二間で、狭くて、

夜な夜な、襖を隔てた、むこうの、部屋から、激しい獣の喘ぎ声、

吐息、(睦みあい?)に襲われ、悩まされた、僕は、息を殺して、

心臓はドキドキ飛び出しそうに、鼓動し、何が起きているのか?

想像すれば、する程に、空恐ろしく、いたたまれない哀しい

気持ちに支配され、事が終わるのを、無限に感じる位の、時間を

待たされ、トイレも堪えて、狸寝入りの、狐狸をさせられた・・・

しかも、事が終わった後に、すぐに眼を覚ますのは、怪しまれると

判断し、時宜を見計らって、溜まりに、たまった、いばり

(おしっこ)を、出しに、トイレへ走る事、が中学2年生

頃迄、続く事になった・・・・

この様に、僕はこの4歳か?5歳の頃から、非常に、神経質までに、

親の顔色や、人の顔色に、気を使い、窺うようになっていた・・・

僕は、アニメが好きみたく、よく、銀河鉄道999や、

宇宙戦艦ヤマトや、キャプテンハーロック、ルパン三世を見て

過ごして、憧れ、早く大人になって僕も、宇宙の冒険がしたいと、

強く望んで結局、是は、僕の流転人生を、招致した・・・

つまり、僕の人生を、誤らせた、といっても吝かでない。  

この頃、昭和52年(1977)代は、仮面ライダーや

ウルトラマンが流行っていて、僕は、もろに、この影響を、被り、

攻撃的な性質の、子供に、感化された・・・・
作品名:第1 作家名:万物斉同