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海竜王 竜の美愛

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その人は,いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで,遠いどこかが見渡せるように,焦点をぼかしている。穏やかで,春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ,庭に目を遣っている。四阿で,休息しているその人を,私は訪れた。
「行くのかい?」
「はい,そろそろ参ろうかと思います。」
「気をつけて・・・いや,おまえには必要ない言葉だね,美愛。」
「失礼な。これでも,うら若き乙女なのですよ,父上。」
「対術で,おまえに敵うものがいたら,竜族は滅ぶよ。・・・まあ,だからと言って無理は禁物だ。多人数の時は逃げることをお勧めしておこう。」
「私が逃げたら洒落にもなりません。最強の黄龍をナメていますね?」
 私の言葉に,その人は口元を歪めた。今だかつてない能力を私に授けたのは,その人だ。そして,現役で私ですら太刀打ちが難しいお方でもある。私が敬愛して止まない父。若くして,水晶宮の主人となり,現在まで,大した落ち度もなく完璧に水晶宮を掌握している。誰よりも強く,誰よりもやさしく,誰よりも美しい鱗の持ち主。母が自慢気に褒める言葉すらふさわしい方だ。
「別にナメてはいないけど,おまえの体力を考慮することだけは失念してはいけない。」
「三千の兵を蓬莱へ跳ばされたお方の娘ですよ,私は。」
「その後,私は三月寝込んだけど? そこまでお聞きおよびじゃなかったかい?」
 クスリと,父は優雅に笑う。私と300年と年が離れていないから,見かけでは,あまり変わりはない。私と父は,とてもよく似ていて瓜二つと評される。下手をすれば兄妹でも問題はないぐらいだ。ただし,私の中身は父とは似ても似つかない。黄龍の気性は皆,同じだと父は評価する。
「聞いておりますよ。」
「なら,そういうことさ。・・・まあ,私と違って負けず嫌いのおまえなら,そこから粘れるのかもしれないけどね。・・・よい旅をしておいで。」
「はい,ありがとうございます。父上に似たお方を捜して参ります。」
「いや,もう少し,強いのにしたほうがいい。おまえは知らないだろうが,華梨は随分と苦労したのだよ。私は身体が弱かったのでね。」
 元々,人間だった父は竜族に婿入りするために子供の内に神仙界に,召還された。とても身体が弱くて,最初は熱ばかりだしていたのだそうだ。今でも父は,竜王の叔父上たちよりも体力はない。それでも,武術で劣っていることはない。短期勝負なら,一番の使い手である三叔父上でも,三本に一本はとられる。この父よりも愛せる男がいるだろうか。私の悩みは,そこにある。
「父上より強い方がいらっしゃったら,それこそ竜族は滅びます。」
「いるよ。華梨は,まず文句なく,私より強い。それから,叔卿兄上だって,本気なら私を秒殺する。だいたい,みな,本気で私と打ちあってなどいないのだよ,美愛。・・・私が怪我でもしようものなら,華梨が確実に三倍にして返すのだ。誰だって我が身はかわいい。」
 あははは・・・と暢気に父は笑った。嘘を吐け,その三叔父上が囚われた時,助け出したのは父だ。それに,私が見る限り,三叔父上は本気で打ち合っている。
「お戯れを申されて・・・私は母上を恨みます。こんなに理想のお方を,私の父にしてしまわれた。それ以上のお方を捜すのは至難の業でございます。」
「やれやれ,私の娘は理想が低いね。」
「父上,母上に失礼ですよ。」
「なるほど。確かに失礼な発言だ。・・・・けれど,美愛,よくお聞き。親の愛情と恋愛は別物だ。おまえに相応しいお方は,この世界のどこかに必ず居る。きっと,みつかるよ。」
「母上が父上を見つけられたように?」
「そうだね。」
 やや,強引だったけど・・・と,父がこっそりと私の耳に囁いた。それはそうだろう。この世界で最強の生き物である母は,決めたら覆すことはないはずだ。
「では,後悔などなさっておいでで?」
 私もこっそりと耳打ちした。すると,父はとても優しい笑みを浮かべて,とんでもないと返した。
「私は楽園に住んでいるのだよ,美愛。」
 臆面もなく父は,そう言い切って立ち上がった。宮から人がやってくる。そろそろ仕事の時間らしい,と父は四阿を出ていく。
「楽しんでやっておいで。手加減はしなさい。」
「ええ,楽しんで参ります。たまに顔は出しますよ,父上。」
「そうしてもらえると嬉しいね。なにせ,正式に婿殿を見つけてしまったら,おまえは私のことなど見向きもしなくなるんだろうから・・・」
 そうなる相手を捜さねばならない。いつか,あの父に見向きしなくなることがあるんだろうか。現段階では甚だ疑問である。だが,いつか見つかるだろう。その相手にも,父と同じ言葉を紡いで欲しい。私と共にあることが楽園であると。



作品名:海竜王 竜の美愛 作家名:篠義