氷の束縛
ずっと聞こえない振りをしていた。最近では本当に聞こえないような気さえしていた。その声に振り向いてはならない、という焦燥にも似た予感を抱いていた。それは常に私の心を支配し、片時も離れることはなかった。
しかし。たった一瞬の気の迷い。そのせいで……。
地面に縫い止められたように固まっていた足を無理に動かし、私は転げるように彼の元から走り去った。走って、走って、走って。彼に追いつかれないように。しかし、いつまでも彼の声は聞こえ続けた。
どれだけ走ったろうか。疲労を感じたその刹那――。
ねえ、と耳元で絡みつくような声がした。私の身体は一瞬で凍り付き、魔法を掛けられたように動きを止めた。
「どうして逃げるんだい」
首筋に何かが触れる。冷たいそれは、首筋を辿り、するすると肩、脇、腰へとゆっくり下がってきた。瘧(おこり)のような震えが全身に走り、私は固く目を閉じることしか出来なかった。彼は左手を私の腰に添えたまま、冷たい右手で後ろから私の顎を捉える。ひくりと、私の喉が震えた。氷の指が私の唇を優しくなぞる。もう逃げられない。
「やっと手に入れた」
私の項に、冷たい冷たい彼の唇が押し当てられた。あまりの冷たさに、灼熱の烙印を押されたような錯覚に陥った。熱い。彼は、所有の証を刻むように首筋に押し当てた唇を強く吸った。あえかな声を漏らして、私は白濁した意識を手放した――。