僕の歌は君の歌
友人に「恋をしろ」とありがた迷惑にも連れられて行った、都内の大学の美術系サークルが合同で定期的にやっているらしい展覧会で、僕はその人の作品に触れた。それが、ファーストコンタクト。
デジタルカメラで撮ったらしい2Lサイズの写真2枚をモノトーン調に仕上げて「reflect」と名付けられた作品だった。絵画や立体の造形物の作品ばかりが並ぶなかで、写真を作品にしていたのはそれだけだったはずだ。残念ながら、会場に何がどう展示されていたかを忘れてしまっている僕には、確かなことが言えない。(何も残念なことなどないのだけれど。)そうだ、出会った展覧会の会場さえ思い出せない。
その写真は表参道の風景を反射して映し出した高級ブランドのウインドウを撮影したものだった。僕自身、趣味を写真としていた頃だったのもあって、僕が撮らない撮り方をしたそれは、とても新鮮だった。その作品を前に「これ、欲しいな」とぽつり呟いたのを今、思い出した。隣にいた友人の伝手で、その人に直接作品の譲渡を願い出ることができ、その人はにこやかに、二つ返事で「いいよ」と快諾してくれた。セカンドコンタクト。
展覧会の数日後、友人経由で僕の手元に届いた。その作品を本当に好きだったから、宝物を手に入れたように嬉しかった。
その人は二文字の僕の下の名前を“ちゃん”付けで呼んでくれた。柔らかい声だったかな、野太くはなかった。低くなかったように思うし、高くなかったとも思う。もう思い出せない。もう、その人の色々なことが思い出せない。失恋によって携帯電話のアドレス帳から消されたその人について、星霜を重ねる度に思い出す機会は自然と少なくなった。
眼鏡をかけているときと、かけていないときがあった。なぜだったのだろう。
同学年だったけれど、その人はひとつ年上だった。誕生日はいつだっただろう。
黒いキャンパス地のハイカットスニーカーを履いていた。靴紐をしっかりと結んでいたと思う。
クリスマス近くに開催された展覧会の打ち上げの二次会で英語の歌詞のクリスマスソングを歌ったのを後々、上手だったとメールで褒めてくれた。そのメールは保護したはずだ。
でも、その人から受け取ったメールは携帯電話の機種変更の過程で消してしまって残っていない。いや、機種変更は単なる理由付けだ。片思いをしていたときもできなくなったときも見れば切なくなるのが嫌で一気に全削除したのだったと思う。とにかく、消してしまった文面を二度と見られないようにしたのは他でもない、僕だ。
「恋をしろ」などと青春めいた妄言を吐いた友人の思惑通りになったわけだったが、友人には失恋をするまで言えず仕舞いだった。
恋をしていると気付いたのは、いつだったのだろうか。何しろ人間相手に「好きだ」と言う感情を持ったことが久し振りだったから、単純に嬉しかった。日常を好きだったし、世界を好きだった。
だけど、バレンタインデーには失恋を知っていた。いつかの冬の日に、その人は恋愛に興味が持てないということを知った。俗にいう“恋ばな”を酷く毛嫌いしていた。楽曲を好きだったエルトン・ジョンの“結婚”を「気持ち悪い」と言って全否定していた。
その冬の日に恋の熱は冷めていた。
それでも、僕の目は醒めていなかった。
その人を“基準”とした思考が形成されてしまっていたし、友好関係自体は良好だったんだ。断ち切れない恋を患って初夏になった。伝えてしまった「好き」に“ちゃん”付けで呼んでくれた名前も忘れられ「君」と呼ばれた僕は、その人と告別せざるを得なかった。
さようならの日になったのはいつだっただろう。
以来、好いて貰えなかった僕を僕は世界でいちばん不幸でかわいそうだと思い込んだ挙句、自身を卑下して自棄になり、泣けば過呼吸に陥って呼吸困難になるほど感傷に浸った。その傷は、死にたがりの僕には打って付けだった。
友人はアドバイスと言う名の――非難とも呼べる――冷や水を浴びせてくれた。傷口に塩、夏場に傷は膿んで悪臭を放った。
後にも先にも、この失恋ほど自分を哀れんだことはない。
はたと冷静になって、投げやりで悲しくて苦しかった僕を俯瞰して見れば、哀れむほどの人間ではないということに気づいてしまった。
僕は空っぽだった。結果、僕は僕を愛せなくなった。
失恋によってその人との関係性をなくした以外に、なくしたものは何もなかった。
得たのは、僕は僕を愛せないという今も変わらない事実だけだ。