GAME
深夜バイト帰り、俺はゲームを買った。タイトルは「GAME」。そのまんますぎるタイトルに惹かれた。どんな内容なのか気になってソフトパッケージの背面を見たが、イマイチ要領を得ない。ただ「人生多角的シュミレーションゲーム」とだけ書かれている。対象年齢は十五歳以上、定価五九八〇円、残数一個。気まぐれで買ったにしては少々高価だった気がするが、残り一個という限定数にも心動かされる要因となった。ワープワのクセに下手な買い物をした。これでまた一日二食、ふりかけご飯と納豆のローテーションだなどと、頭の片隅で実行不能な日常を描く。しかし、挫折するような計画でも立てておいた方が良いのだ。無計画に手に取った新品のゲームソフトを会計中、早くも後悔が募った。これからは給料日でも財布の中身は五千円以下に制限しよう。
ゲームショップから自転車でわずか三分、住宅地が立ち並ぶ細い路地を入り込んだ中ほどの辺りに建つ、築二十年余りの小汚い小さなアパート二階が俺の居住だ。油切れの自転車をキーキー鳴らしながら漕いでいると、あまりの寒さに体内から呼気が漏れた。月も出ず、消え入りそうな星屑だけが深い漆黒に浮かぶ夜空に、俺の息はくっきりと白く立ち上がった。
アパートに着き自転車を指定場所に停車し、しっかり施錠する。最近ここいらでは空き巣が多いらしい。盗まれて困るものはないが、窓ガラスや鍵が壊されたら修理経費などとてもじゃないが捻出できない。そんなことを考えながら軋む階段をなるべく音を立てずに上って、右手の一室の扉を躊躇なく開ける。室内は暗くうすぼんやりと俺の足元からアパート付近の街灯が時折チカチカしながら零れる。ただいまの返事は来ない。同居人のない生活はもう慣れた。四畳半の部屋に繋がる通路にある手狭の台所には、億劫になって放置されたカップ麺の容器や皿が累積している。思わず顔をしかめてしまったが、片付ける手間を考えるとすぐさまげんなりして見て見ぬフリをした。
部屋の蛍光灯を点けた俺はシャワーに浴びるよりも食事を取るのよりも先に、埃被った14インチのテレビデオの電源を入れる。以前このスイッチを押したのはいつのことか。思い出そうとしていたら間断なく箱の中から軽い笑い声が聞こえてきて、我に返った。無神経な笑い声を掻き消すように画面をビデオ1にしてテレビの片隅に転がっていたゲーム機を起動すると、黒い画面の中央に白い横線が瞬間的に揺らめいて、次に機体メーカーの表示が出た。俺はきちんと起動したことに安堵し、買ったばかりのソフトのラベルを破く。ケースを開けると薄っぺらい取説とGAMEとだけ表記された真っ黒なロムがあった。なんとなく不気味な様相に、俺はそれまで抱いていたわずかな期待と後悔とが苦く渦巻いて、恐怖心を覚えた。と同時に急速に好奇心が湧き上がる。俺の悪いクセだ。好奇心で手を出し、いろいろ面倒なことになるのだ。だが今は不安とそれを上回る好奇心に駆られて、汗ばんだ手でロムを取り出し機体のトレイに乗せる。取り込みボタンを押すのは勇気がいった。意を決して押すと、機体はするりと完全にロムを飲み込んだ。ガリガリと機体が放熱と読み込みのために唸り、それが妙に神経に障った。
長いロード画面ののち、暗い画面からぱっと映し出されたのは何の変哲もない部屋だった。取り立てて言うべきでもない四畳半の無造作に散らかった部屋に、万年床に胡坐を掻いているのは取り立てて言うべきでもない俺だった。画面の向こうに映り込んでいる世界は俺のいる世界と寸分違わなかった。だが俺とゲームの俺との決定的な差異は、コントローラーを握っているか否かにあった。向こうの世界の俺はぼんやりとテレビ画面を眺めるに留まっている。
驚愕に震える指先が不意にボタンを掠めた。しまったと思う矢先、向こうの世界の俺はすくっと立ち上がる挙動をみせ、現実の俺とは別の行動を取った。この時俺はゲームの中の俺を操作できることを認知した。恐怖に心拍数を高ぶらせたまま、随分と出来のいいゲームだなどとどこかで冷静に思う自分がいた。
俺にコントロールされた俺は俺の支配に反抗することなく、俺の命令に従った。時には無謀に思われる行動を取り、時には死に損ない、時には借金にまみれ、その度にリセットを繰り返す。その繰り返しはゲーム下の俺の人生を上方修正していき、失敗を怖れることなく社会で立身出世していった。三年間同棲していた彼女ともヨリを戻し、住まいは転居の度豪邸に変遷した。何一つ不自由ない暮らしだった。そんな順風満帆な人生を何一つ変わらない四畳半の生活の中で夢想する。幸せな人生を紡ぐ世界とうだつの上がらない日々のギャップに耐えかねて、しまいに現実を捨てた。仕事をやめて、寝る間も惜しんでゲームに時間をつぎ込んだ。つぎ込むほどに幸福感が増し、そして途方もなくむなしさに暮れた。理想を描くはずのゲームはいつしかリアルに深く干渉し、俺はリセットボタンを押した気になって、ある日往来の激しい街道に飛び込んだ。何の考えもなしに。
RESET