暗夜に行路を求めて
話は姫路から尾道である。帰り路はお濠沿いをゆっくり走った。途中、千姫の銅像をじっと見つめたり、ぱたぱたと夕方の水面を飛んでいく白鷺を横目で眺めたり、繁華街を横目に、人気のないネオン街あたりを走り抜けていった。レンタサイクルを返却し、姫路の駅ビルで本を買い、立ち食いうどんを食べ、日本酒をニンニク揚げと明太子の炙り焼きを肴に呑んで帰った。
話が一周した。山の上の尾道のホテルを出て、志賀直哉旧居へ向かった。細く急な路地を転げ落ちないように小走りで下りて、民家を横目に迷路を進み、やっと辿り着いた。あの「暗夜行路」が生まれた部屋。生まれた尾道の風景。係のおじさんの指示でその6畳間に横になって、ここからの眺めとその情景を綴った個所の朗読を聞いた。
「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなるとすぐごーんと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫山の燈台が光り出す。それがピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す」
ワタシは冷房が届かないこの三軒長屋の端にある部屋の真ん中で正座をし、文机の前に座った。机の右上には硯と筆と鉛筆が入った箱があった。その右には籐で編んだような旅行鞄があった。左にはガラスのランプが立っていた。汗がシャツに浸みてくる。腕の皮膚や折り曲げた膝の後ろの辺りに汗が垂れるのがわかる。だんだん見えてくる。その志賀直哉の眼になってくる。この小説世界を越えたものが伝わってくる。彼はいったいどういう想いで第一行を書き出したのか。そこにはおそらく明確なものはないのかも知れない。書き出しなんてどうでもいい。偉そうな岡目八目者がもっともらしく解説するけれども、書き出す時の筆の、ペンの動きは「こうだ」なんてものはない。飛行機が、船が動き出す時のようなゆっくりだが力強く、確実に前に進んでいるが空に浮く瞬間、海に浮かぶ瞬間までの不安はある。つまり、第一行とは、印象に残ると言うよりは残らずとも結末へ辿り着いた時に、その意味が、その言葉が「ああなるほど」と感じられるくらいのものだと思う。「青い鳥」の話ではないが、そこに味噌汁の出汁のように味わえる舌があれば感じられるぐらいのものが理想的なのではないかと思う。
そんなことを思いながら汗を流して、ワタシはワタシの第一行を探しあぐねていた。
「私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月(ふたつき)程経って、不意に祖父が私の前に現れてきた、その時であった。私の六歳(むっつ)の時であった」 (『暗夜行路』より)
〈了〉