あやかしの棲む家
7
瞼の裏が眩しい。
「起きろ花咲、起きろ!」
男の声。親しみのある声だった。
瞳を開けた花咲の目の前には克哉の顔があった。
「お父……様?」
いったいなにが起きたのか?
起き上がった花咲は辺りの風景を眺めた。
似ていた。
しかし、どことなく違う。
自然が息吹いている。
開かれた平野を囲うような不自然な丘。
鳥居がぽつんとあり、その先には洞窟が見える。
花咲は不思議そうな顔をして克哉の顔を見つめた。
「ここは何時[いつ]でしょうか?」
「俺もついさっき目覚めたばかりで、鳥居と祠はもう調べたんだが、帰ってきたら居なかったはずの花咲が居て……時間を越えたらしいことはわかるんだが。あの鳥居やけに新しかったぞ」
風を切る音が聞こえ、克哉の足下の地面を矢が穿った。
驚いた克哉と花咲が矢の放たれた方向を見ると、そこには角の生えた女の影が見えた。
「おめぇらなにもんだ!」
その声を花咲は知っていた。
「起点が変わったんです。これからはじまる未来の起点が違うものになったんですお父様!」
「ん? なんのこと言ってるんだ?」
「起点が違うということは、繰り返してないんです!」
矢を構えた女が近づいてくる。
「おめぇら、なぁにごちゃごちゃしゃべってる」
元気そうなるりあを花咲は嬉しそうに指差した。
「ここには屋敷もない、盗賊もいない、るりあさんは自由なんです!」
刹那、風を切るような音が聞こえた。それは矢ではなく鳴き声だった。
小さな蛇が牙を剥いて花咲の足に噛み付こうとしている!
矢が放たれた。
射貫かれた蛇は呆気なく死んだ。
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げ、顔を上げたときに花咲は異変に気づいた。
「丘がなくなってる。大蛇が円を描くような小高い丘がなくなってる!」
「そげなもん、はじめからねぇよ。おかしな奴だな」
不審そうな口ぶりでるりあはぼそりと呟いた。
るりあは花咲の顔をまじまじと覗き込んだ。
「おめぇ、おらたちと同じ鬼の血を引いてんだろ?」
「わかりますか?」
「わがるとも。こっちの男は人間くせぇな」
克哉は苦笑いを浮かべた。
「悪かったな普通の人間で。こいつは俺の子供で花咲だ。俺は克哉」
るりあも名乗ろうとして、ふとおかしなことに気づいたようだ。
「なんでおらの名前知ってんだ?」
花咲が先ほど指を差して呼んだのだ。
意味深に、少し意地悪そうな、まるで悪ガキのような笑みを克哉は浮かべた。
「そりゃ、花咲はお前さんの遠い親戚だからだよ」
「はぁ? おらの親戚だぁ?」
るりあは顔をぐいっと近づけ、鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、克哉の瞳を覗き込んだ。
「嘘付いてるようには見えねぇな、人間のくせに」
「人間のくせってのは余計だろう」
克哉は人なつっこく笑った。
なぜか花咲も笑った。
「お父様は嘘が下手ですから、嘘をつくと鼻が動くんです。覚えておくと損はありませんよ」
「俺が嘘をつくと鼻が動くだと? ないない、そんの嘘っぱちだ」
克哉の鼻が小刻みに膨らんだ。
腹を抱えてるりあがげらげら笑う。
「ほんとだ、おもしれぇな、ぐははははっ!」
上機嫌になったるりあは弓を背負って、少し歩き出し手招きをした。
「気に入ったからついてこい。うめぇもんでも喰わせてやる」
「はい!」
花咲は元気よく駆け出そうとした。
その腕を引いて克哉が引き止め、そっと耳打ちをする。
「なあ、大人になったるりあってえらいべっぴんだな」
「お父様ったら!」
花咲は克哉の頬をひねってから、るりあのあとを追って駆け出した。
「いてて。おい待てよ、俺を置いてくなよ」
世界は澄み渡っていた。
天から降り注ぐ陽の光の下に、無邪気な笑い声が木霊した。
新たな未来はここからはじまるのだ。
隠された物語(完)
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)