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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 元はヒトであった。今は骨と皮だけになり、土気色をした木乃伊のような存在。肉体からは力を感じられない。しかし、眼や内からは、凄まじい鬼気を放っているのだ。
 怒り、憎しみ、孤独。
 幾星霜の月日の内にその者が内包する力は強くなっていた。
 今までここに封じられていたのも奇跡に近かった。
 切っ掛け――切っ掛けさえあれば、封印は解かれる。
 その切っ掛けこそが?克哉?だったのだ。
 呪文の書かれた紙の鎖が黒い炎に焼かれる。
 思わず克哉は後退りをした。
「肌が焼かれそうな鬼気だ。こんな凄まじい妖力を浴びたのははじめてだぞ」
「あのころの私とは違いますわ。克哉さんは下がっていらして」
 車椅子が押されて静枝が前に出た。けれどその身体は拘束されてまま、自由を奪われている。
 地面がひび割れた。
 封印が解かれ、骨と皮だった躰が、筋肉質に隆々と盛り上がっていく。その者は片手でヒトの首をへし折るだろう。その牙はひと噛みで虎を仕留めるだろう。その眼は見つめられただけで、気の弱い者は死に至るだろう。
 かつてその者は賊の頭領であったが、今や鬼人。
 ヒトが鬼と化した姿。
「おれがなにをした? カツヤ、おまえにはよくしてやっただろう。なのに、この仕打ちはなんだ?」
「だから俺は知らん。知らんが、退魔師としての仕事はいつも通りする。あんたが何者でもそれは変わらない」
 克哉は短剣を握った。呪文の刻まれた魔導具だ。
 魔力、妖力、巫力、呼び名はいろいろとあるが、それらは精神と精神の勝負に用いる。つまり相手が物理的な存在ではない場合に直接的な攻撃を与えることのできる力だ。
 目の前にいる鬼人は、妖力と腕力を備えた存在だった。すでに克哉は敵の妖力に当てられてしまっている。たとえ克哉が妖力で優っていたとしても、筋骨隆々の巨人相手では肉体的に歯が立たない。
 正攻法では克哉に勝ち目はないのだ。
 克哉は地面を蹴って相手に飛び込んで行った。
 武器は短剣。攻撃距離が短く、それだけ危険に晒されることになる。
 だが、それは囮だった。
 隠し持っていたなにかを克哉が投げた。それは拳に収まるほどの物だったが、一瞬のして鬼人を被う蜘蛛の巣と化した。黒い網縄だ。
 網の中で藻掻く鬼人。
 その機会を見逃さず克哉は短剣を握り直した。しかし、ぞっと寒気がして後ろに飛び退いたのだ。
 鬼人の爪が空を掻いた。間一髪で克哉は本能的に躱したのだ。
 網縄を破って鬼人の太い腕が出ている。
 克哉は眼を剥いた。
「ご先祖様の髪で編んだ縄だぞ、なんて妖力だ!」
 網縄を引き裂いた鬼人はすぐそこまで迫っている。逃げなくては殺される。一撃でも鬼人の攻撃を受ければ、躰が引き裂かれるのは必定。
 世界が軋むような悲鳴があがった。
 静かな瞳をした菊乃の手には錠。
 ぽつんと残された車椅子。
 天井に巨大な影が張り付いている!
 八本の長い脚。
 まるでそれは……しかし、そこにある顔は女。
 いつの間にか克哉の横に立っていた菊乃が囁く。
「どうか、目をつぶっていてください」
 その声には愁[うれ]いが含まれていた。
 克哉は静かに瞳を閉じた。それが危険な行為なことはわかっていた。だが、静枝の願いだ。
 すぐに聞こえてきたのは猛獣の悲鳴。
 骨の折れる音が聞こえた。
 克哉は汗ばむ拳を強く握り、瞼が痙攣するほど目を強く閉じた。
 ばり……ぐしゃ……がり……
 やがて聞こえてきたのは咀嚼音。
 地下室に腐臭が漂った。
 微かにすすり泣く声が聞こえた。若い女の声だった。物悲しい声だった。
 克哉は胸を締めつけられながら瞳を閉じ続けた。

 その少女は屋敷の敷地内の中にいた。
 しかし、もっとも懐かれているのは瑶子だが、その一日の行動の大半は知られていない。
 まるで風のような少女だった。
 その少女は突然この屋敷に現れた。瑶子に話によれば、あの鳥居の傍で見つけたのだという。素性は不明だが、名はるりあというらしい。
 夜が深くなりはじめると、るりあは姿を消す。決して屋敷には近づかない。いったいどこを寝床にしているのか?
 広大な庭の片隅に鳥居がある。その先には祠があった。ずいぶんと昔からある祠だ。
 昼間でも中は暗い。夜ともならばなおさら。洋燈などがなければ、奥まで辿り着くことはできないだろう。
 克哉と静枝が当主の間で会うよりも数時間前、るりあは寝床である祠に帰ってきていた。
 少女は明かりを持たず、その眼だけを頼りに奥へと歩いて行く。ヒトには見えない祠の中が見えているのだ。
 最奥に辿り着いたるりあは近くにあった小石を拾い上げた。
「だれだ?」
 警戒した声音だ。
 静かな暗闇だった。
 ヒトの目ではその暗闇の中になにがあろうと見えない。
 ふっと気配がした。
「警戒しないで、私はあなたに嫌なことはしない。名前は……私には名前がないの。存在のしてないモノには名前なんてないでしょう?」
 少女の声だった。一見して柔らかい花咲く春のような声だが、芯はしっかりとしている。
 るりあはなにかを握った。それは少女が差し出した手だ。
 小さな手だが、るりあよりも大きい。
 るりあはその手に鼻を近づけ、よく匂いを嗅いだ。
「あいつの匂いがする」
「あいつ?」
「上に棲んでる男だ」
「うふふ、鼻がいいのね。あのひととはいっしょに住んでいたから」
 まだるりあは嗅ぎ続けている。そして時折、不思議そうに首を傾げるのだ。
 そっと少女の手が引かれた。
「ほかに行くところがないの。いいでしょう? 今日はここに泊めて。ううん、もしかしたらしばらくここにいることになるかも」
 るりあは頷いた。
 この屋敷では瑶子にしか懐いていないのに、この者には心を許したのだ。