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「死ねばいいのに」 と兎は言った

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「死んでしまえばいいのに」

座り心地のいい回転椅子をくるくると回す。
小さい頃、勢いよく回し過ぎて気分が悪くなったことがある。
気を付けなければ。

天井から吊るされた歪な兎の人形は縫い留められた口を動かしコミカルな声でいう。

「死んでしまえばいいのに」
「ああ、そう」

キィキィと、リズムをとればさほど耳障りではない椅子の軋む音を聞きながら、僕は手の中にあるキャラメルポップコーンを食べる。目の前には壁をスクリーンに見立てた大型シアター。
しかしまだ映像は映っておらず、表面が白く浮かび上がっているだけだった。

場違いに天井から吊るされて、首を吊っているようにしか見えない歪な兎の人形は釦をはめ込んだ目でこちらを見ているようだ。

「死ねばいいのに」
「どうしてそう思うの」
退屈になってきた僕は億劫に尋ねた。
「どうしてそう思わないの」
やっと返事を貰えた人形は嬉々と語り出す。

「君にはなんの価値もないじゃないか」
「価値」
「そう価値。人と比べて特に秀でているものもないし、特徴もないし特記できることもない。それはどういう意味かわかるかい」
「ぜんぜん」
「そこらへんに転がっている人間となんら変わらないということ。つまり量産型の生物といえる」
「量産型」
「吸われる酸素がもったいないってこと。今地球温暖化なんだよ? 排出される二酸化炭素の弊害を考えてよ」
僕は手元のポップコーンを口に放り込む。口内の水分が奪われていたので、何か飲み物が欲しかった。

「1日2000人」
「ん、なに」
飲み物を探していたので適当に応える。
「この国で、死んでいく人の数だよ」
辺りを彷徨わせていた手が、止まった。
風もないの兎の人形は空中でクルクルと回り始めた。
「世界だとね、18万5000人なんだって。死んでいくね、どんどんどんどん、どんどんどんどん」
僕はくるりと椅子を回して、首を傾げる。
「でも人口って確か増加傾向にあるよね。世界人口が減ったっていう話は 聞かないし。死んでいるけど、それ以上に生まれているんじゃないの」
「38万人」
「およ? 1日に生まれてくる人数?」
「そう」
「ふーん。それだけセックスしまっくているんだね。お盛んでいいことだ」
元から歪んでいる口元をさらに歪めて笑った。
「そ。それだけ沢山の人々が生まれてくるということ。それならなおさら一人一人の存在の意味が問われると思わない?
ねえ、その時、君は自分の価値を訴えることができるかい。何か一つでも人に訴えかけるような何かがあるかい。
それがあるなら、ボクは別になにも言わないさ。見ての通りの、ただの人形に成り下がるよ」

僕は明るくなっているスクリーンに気が付いて、顔を上げた。
そこには様々な映像が映し出されていた。
女性の身体から取り上げられて泣き叫ぶ新しい命。土埃があがる戦場に響き渡る銃声、血煙を上げて倒れる人々。
公園の遊具の周りをくるくると駆け回る児童たち。病院に並べられた白い布の塊の行列は時折赤く彩られていて、ぴくりとも動かない。
そんな生死の映像が繰り返し、繰り返し流された。僕はやっと見つかった飲み物を飲む。温いしおいしくない。

吊るされた人形は不気味に笑っている。
僕は凝り始めた首を回し、深々とソファにもたれながら言う。

「君はそういうけど、そんなに価値って必要なものかな。僕たちが受動的に生を受けたとして、そんな一人一人に大層な意味があるとは思えないよ。そもそも意味ってなにさ。万人に共通する意味ものなんて、多分ないよ。僕たちが扱う言語が違うように、意味の捉え方も違ってくる」
「世界の、宇宙の広さを語り、己が矮小であることが当然だと肯定するような物言いをやめてくれないかい」
ふふっと僕はわらった。
「兎君。ぶっちゃけ君、面倒臭い」

正直にいうと、兎は嗤った。まるで勝ち誇ったように高らかに笑い続けた。
ストローを噛んでいた僕は、面倒くさくなりながらも手を振る。

「わかったわかった。言いたいことはよくわかった。では君はなんなんだい。君はさっきからぼくの文句ばかりいうけれど、君はどうなんだい。矮小でも愚直でもないだろう。
さあ、正しさを吐くその唇で自分の善を述べてみてよ。死ぬ必要なんてない、自分の正しさを吐いてみるがいい。
僕ではなく、自分の意志の正しさを肯定してみせてよ。できるならね」
人形はぴたりと動きを止めて、口を閉ざした。僕は悪戯っぽく片目を閉じて見せる。
「この限られた空間、閉ざされたボクだけの世界のなかで、それができるなら」

人形はただ垂れ下がっている。天井から紐で吊るされている。はじめから、死んでいるかのように。
僕はため息をついたあとで、再びシアターを見た。
映像には僕の姿が映っていた。写真でしか残っていない幼い頃の様子から、現在に至るまでの様子。
映像を眺めていた僕は目を細めて、頭を振って立ち上がった。
頭上には、首を吊って沈黙した人形。死んでしまったものの姿。
僕は頭を掻く。

「君みたいに、思わなくもないけれど。でも、僕は・・・」
掲げた手の中にはリモコンがあった。望めば現れる、そんな都合のいい世界。リモコンを操作し僕はシアターの映像を切る。

「願いは生まれ続ける。良くも、悪くも。それでいい」
真っ暗な眠りに似た闇の中で、目を閉じた。

「今は、まだ」