りんみや 陸風2
こらこらと多賀が諌めるが、九鬼は聞く耳を持っていない。高い高いをして子供をあやしている。
「じゃあ、志郎おじさん・・・りっちゃんをちょうだい・・・りっちゃんを美愛にくれる? 仕事で遠くに行かないようにして。」
「うん、そんなことはお安い御用だ。ずっと、リッキーは美愛の傍にいさせてやる。・・・それだけかい? もっと他にはないの? 玩具でもお菓子でも、なんでも。」
九鬼がいとも容易く、城戸を子供に与えてしまう。今度は城戸がおいおいと手を振る。「横暴なオーナーだな、クッキー。わたしの意見はどうでもいいのか?・・・だいたい、おまえもそんな調子で簡単にことを決めるなんて、オーナーのすることじゃないぞ。いくらなんでも、それはないだろう。」
「なんで? さっき、リッキーが自分で美愛と約束したじゃないか。ずっと傍にいるのだろう? ・・・・リッキー、リッキーの身代わりのブレーンなんて、いくらでもいる。でも、美愛が欲しがるリッキーの身代わりはないんだ。仕事なんて、そんなものだ。誰かでないと駄目なんてことは絶対にない。そういうのは、信頼なんかじゃなくて依存だ。その人間の才能に依存して寄生するなんて、オーナーとしては失格。」
すっかりオーナー職が板についた九鬼が、簡単に城戸を黙らせる。多賀もりんも笑って聞いている。ここにいる九鬼が水野のトップだ。誰も命令には逆らえない。そういうふうに惟柾が九鬼のために道をつけてくれた。
「だが・・・それでは、おまえが困るだろう。ブレーンなんて、すぐに見つかるものじゃないし、選定するのも厄介だ。馴染みのもので間に合せるほうが楽じゃないか。」
若いオーナーだから、その仕事の手助けはしてやりたい。何より、心配してくれた若い友人に、礼を返すには、それがいいだろう。自分の持っている知識を役に立ててやれるなら、城戸は喜んでオーナーの命令に従う。それなのに、九鬼は、「やだね」と笑った。それから、子供に話しかける。
「美愛、おまえにリッキーはあげるから、ちゃんと逃げないように見張っていろよ。リッキーは約束なんて簡単に破るつもりらしいぞ。悪い人だよな、美愛。」
「大丈夫よ、志郎おじさん。・・・りっちゃんから離れないから・・・りっちゃんがいなくなっても、美愛にはわかるから、すぐに追い駆けられるもの。」
クスクスと子供は笑っている。嬉しくてはしゃいだ顔だ。しばらく美愛は屋敷で育てる。本来なら幼稚園や小学校といった義務教育を受けさせなければならないのだが、美愛の能力は強すぎて抑えがきかない。ある程度の分別がつくまでは篭の鳥として育てることになった。だから、せめて美愛が傍に欲しい人間がいるなら、それは与えてやりたいのだ。
「リッキー、美愛の教育と父親代わりが、今からのオーダーだよ。契約不履行をすると、今度は軟禁するからね。」
「もうされてるじゃないか・・・本当にそれでいいのか? おまえが困らないのか? 俺のほうはここでも仕事はできるんだぞ。おまえの手の内に止めておくほうが得策だろう。・・・ゆきとだって、半年に一度くらいしか逢っていなかったから、そういう形態でもいいと思うんだが・・・・」
「いいや、本当はみやはリッキーが傍に居てほしいって思ってたと・・・・俺は思うんだ・・・いつも、休暇が終わると、みやは塞ぎ込んで寝込んでいた。ただ、リッキーの仕事の邪魔はしたくなかったから、誰にも言わなかったんだと思うよ。そういう思いは美愛にはさせたくない。こいつが飽きるまでは付き合ってもらうから・・・・俺のほうはなんとでもなる。それぐらいは信用してよ。一応、トップなんだからさ。」
それから、どうしても困ったらヘルプ頼むと付け足した。九鬼にとって城戸は無理を頼める友人だ。それにあげ足を取られる心配もない。そういう意味では、DGと城戸、葛は九鬼にとっては一番信用できるブレーンである。十年の付き合いが、それを立証する。実務的に携わってもらわなくても、背後に構えてくれると思えば、気分的に楽になる。
「さて、真理子にお許しをもらって出かけようか? なんなら、うちに遊びにくるかい? 佐穂が最近、顔を見ないって寂しがってたぞ。」
「ううん、駄目駄目・・・りっちゃんの看病してるから、お出かけできないの。・・・りっちゃんはね、まだ寝てなきゃいけないから、みあも一緒にお昼寝するの。」
だっこされている腕から、浮かび上がって城戸の膝に戻る。「お昼寝しよう」と、城戸を誘う。
「そんなにべったりくっついていなくても、いなくならないよ、みあ。少しは、クッキーと遊びに行け。」
「だめ、りっちゃんはひとりになっちゃいけないの。・・・りっちゃんがお外に行けるようになったら、一緒に行こう。」
屋敷に戻ってから、ずっと、こんな調子だ。母親の真理子のもとへも、ほとんど戻らず、夜も城戸の部屋で眠っている。遊びに出かけようと佐伯夫婦が誘っても断ってしまう。無理に引き剥がそうとしても、子供は特殊な能力で勝手に戻ってきてしまう。とにかく、城戸が傍にいないといけないらしい。
「いい加減に退屈だろう。たまには出かければいいんだ。」
困ったように城戸が説得するのだが、これは完全に無視される。目下、城戸の看病が一番目新しい遊びであるので、子供のほうは離れる気はさらさらない。
「いいよ、リッキー。みあがそう云うなら、無理に連れ出しても跳んで戻ってしまう。・・・今日はこっちに泊まるつもりだったから、後でゆっくり話そう。」
五年の間に起こった出来事も城戸に教えてやりたいから、九鬼もゆっくりするつもりで来た。この屋敷は九鬼にとっては実家のようなもので、自分の部屋だってある。そういうことなら、と多賀も立ち上がった。治療をするのに、一緒に城戸の部屋に戻るつもりだ。「もう、おねむなの・・・りっちゃん、だっこ・・・」
子供が城戸にまとわりついて抱き上げてもらう。
「すまないな、クッキー・・・タガーが厳しくて、おちおちパソコンの前にも座らせてもらえないんだ。もう少ししたら、こちらでも情報は抑えておくから。」
「そんなことはしなくてもいいんだってば。ちゃんと身体を治して、子供とドライブにでも行ってくれたほうがいい。」
「厳しいとは何事だ。病人のくせに、医者の指示が聞けない、おまえが悪いんだ。ほら、さっさと戻れ。」
戸口で多賀は怒鳴っている。軟禁というよりも監禁に近くないか? と城戸が口にすると、多賀は力一杯、城戸の背中を叩いた。
「おい、クッキー、オーダーを監禁に変更しろ。そのほうが俺が楽だ。文句ばっかりたれてるリッキーは、縛り上げて治療したほうが話が早くていい。」
「別にいいけど・・・どうする? リッキー・・・変更してもいい?」
ふたりが楽しそうにからかうので、城戸はげんなりした顔をした。とりあえずは、早く治さないと本当に監禁されそうだ。
「おまえらなあ・・・・人権侵害も甚だしい言動だ。いい加減にしろ。」
ぷいっとそっぽを向いて城戸が出て行く。その態度は以前のものだ。子供に向ける穏やかな眼差しも、以前のままで、ふたりは安心する。大切に大切に病んだ子供の世話をしていた城戸は、やはり同じように元気なその娘を世話している。