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エレベーター

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管理の仕事をしたことがある人ならわかるかもしれないけれど、毎日なんども見回りをしているエレベーターに誰かを乗せるのは妙な気分だった。

 僕が担当していたのは百貨店にある3機のエレベーターだったのだけれど、あらゆるところが老朽化していた。照明もなんだかちらちらして暗かったし、スイッチボタンもどことなくデザインが古臭かった。移動もぼんやりとして遅いし、がたがたとよく揺れた。だから余計にそう思ったのかもしれない。

 もちろん、僕の仕事はそんな死にかけの亀みたいなエレベーターをただ見張っているだけではない。定期的に館内のお手洗いを見回ったり、はぐれたショッピングカートを列に戻してやったりしないといけない。けれどもそうしている間にも僕のエレベーターは誰かの命を箱の中に閉じ込めて持ち上げたり振り下ろしたりしているわけだ。
 僕はどうしてだかそういう状況になじむことができなかった。意志とは関係なく、自分の責任や存在と結びついた空間が移動している。夜勤明けで帰ってくるたび部屋の中でそのことを思い出して胸がどきどきした。

 それ以外は本当にのんびりとした良い職場なのだけれど。

                  ☆

「完璧に共感してるってわけじゃないけど、あなたの言ってることなんとなくわかるような気がする」と、彼女は言った。僕は男友達をつくるのが上手ではなかったから、最初にその悩みを彼女に打ち明けた。地下鉄のプラットホームから改札へ続くまでの長い廊下で、僕は思い切って彼女に相談してみることにしたのだ。

 社会に自分の拠り所を預け過ぎるのは人間にとって苦痛だし、人によって耐えられる程度は違うものだ。責任という概念は流動的で移ろいやすいものだが、それは責任の背後には常に自由がついてまわるからだ、というのが彼女の意見だった。彼女は大学でそういう法哲学の勉強をしていた。

「イェーツってアイルランドの詩人が言ってたんだけど、『夢の中から責任は始まる』んですって。想像力を磨耗させずに生きている人は、ちゃんと日常に疑問を持つことができるのよ」

 僕は彼女の抽象的な話がすべて飲み込めた訳ではなかったけれど、それで半分くらいまでは気持ちが整理できたような気がした。僕の感じていることはそういう学問的な分野に通ずるところが少なからずあるのだ、病的で個人的な悩みではないのだと思えた。でも、もっと言うなら僕が抱えている問題は彼女が言った事よりもずっと現実的な問題であるような気がした。それはもしかしたら数字で表せてしまうような事だった。しかし僕はそれ以上彼女に何も言わなかった。

 それからふたりで新しい映画を観て、僕の部屋へ帰ってから今度は古い外国の映画を見た。そして彼女から求められて口づけをして僕らは抱き合った。

                  ☆

 裸になったふたりは、まるで進化しそこなった猿みたいにみすぼらしく見えたのだけれど、緊密に抱き合えばそこにはちゃんと満ちてくるものがあった。

                  ☆

 僕が目覚めたときにはもう彼女は部屋に居なかった。代わりに〈ヨーグルトが食べたいからちょっと買いに行ってきます〉と書かれた小さな紙の切れ端がテーブルの上に置いてあった。その短い手紙を読んで僕は堪らなく寂しくなった。自分の存在がはっきりと不足している実感があった。

 鍵を失した重い扉、針をもがれた古時計、花を枯らした一輪挿し。
 そういった種類の何かに自分はなってしまったのだと僕は思った。落ち着くためにベッドの中で幾度も深く呼吸してから、僕はこの部屋がエレベーターであると仮定して考えてみた。

 僕の部屋は白煙の速度で上昇して、練乳の速度で落下していった。部屋ではたくさんのものが混ぜこぜになっていた。それは僕の運命だったり世界だったり魂だったりした。あるいは夢か責任だったのかもしれない。
 僕は彼女がいる場所の高さにこの部屋を移動させようと思った。脳が飛び出しそうになるくらいに強く強く祈って彼女を感じ取ろうとした。

 彼女が帰って来たときにそこががらんどうになってしまわないように、彼女が驚いてしまわないように、僕は僕の部屋をここへ結びつけておかなくてはいけないと強く強く祈った。
作品名:エレベーター 作家名:追試