落ち椿【01】
「ユイ様、いっそ夜這いするべきですか?」
「・・・待ちなさい。まだその技は早すぎるわ」
「でももう私も二十を越えてるんですよ。食べごろですよ」
「そうだな。ユイには負けるがかなりいい線いくと思うぞ」
「ですよねーオルフェ様話分かってくれますね」
何時ものように国で二番目に権力を持つ者の部屋の中で一番権力を持っている人、即ち王と部屋の主、即ち王妃と三人で午後のお茶兼対策会議を始めていた。無我夢中でみた事もなかった悪の精霊とやらを消滅させ(本来なら封印すればいいのだがそれでは生ぬるいと王様自ら手を煩わせた結果そうなってしまった)、元の世界に戻るかどうかという問題で半年悩んだ末選んだこの世界に留まるという選択肢。小説、漫画、ゲームではよくある結末の一種だがそれを選びきるまでに半年かかった。今でも時折郷愁にかられ涙を流しそうになるがそれを根性で留め、彼の人への想いに上乗せしていった。藍の髪に碧の瞳。灯華の居た国、日本ではみられない色合いにまず目を惹かれた。はじめは一目惚れだった。それも一年経てば立派な恋となり、灯華は立派な恋する乙女となったのだ。
「いい加減振られれでもすれば諦めもつくんでしょうけどね」
「本当か?」
「多分、ですけれど」
「アストの場合”巫女姫の願いを断るだなんて恐れ多い”といいそうね」
「なら、いい加減私の気持ち受け入れてくれてもいいと思いません。三年、ですよ」
灯華の想い人、アスト・クロイツェルはこの国の筆頭騎士として王、オルフェ・サクリエス及び王妃ユウィーク・クロイツェルの傍仕えを任される程の信の厚い騎士だ。その事もあり国に巫女が現れた時も巫女守の騎士として真っ先に名が挙がったのもアストであり、オルフェもその案を推した。
「なんで、中途半端にしか応えてくれないんでしょうねー・・・」
灯華の想いを否定するでもなく受け入れるでもなく。何度対策会議をしても結局はこの一言に終ってしまう。そして今のオルフェとユウィークのように灯華の話を聞いた者は皆、困ったような悲しそうな顔をするのだ。その事に気がついたのは最近だったのだが雰囲気的にそれについて問う事ができなかった。それがアストの煮え切らない態度の原因だとは薄々気付いていたのだが仲の良い騎士団長にも一言も聞ける雰囲気ではない。今日もここでお終い、とテーブルの上でだらしなく項垂れていたら声が降ってきた。
「――トモカ、知りたいか?」
「オルフェ!」
その言葉にがばりと体を起こして視線を向けると、ユウィークが怒鳴っていたがオルフェは真剣な眼差しで此方を見ていた。多分これを断れば、この先一度たりとて聞ける事はないだろう。灯華は姿勢を正して頷いた。
「知りたい。アスト様を手に入れられるなら、なんでもいいから知りたいです」
「いい返事だ」
オルフェはたまにみせる人の悪い笑みを見せた。
王都から馬車を使い一週間。精霊の加護の篤い国で最もその加護をうける灯華にとってその行程は思った程辛いものではなかった。追剥といった盗賊まがいや凶暴な動物といったものは精霊が引き離してくれ、必要な飲み水や更に果物のような甘味を道すがら示してくれたので付いてきてくれた御者と護衛の者達もかつてない程の楽な行程だったといっていた。普段であれば一週間でつくような地ではなく、それだけ目的の場所は遠いのだと。
「トモカ様、あのお邸がそうですよ」
「うわー綺麗ー。街も綺麗だけどお邸もきれいね」
「ええ。ここは街並みで有名でしたから」
写真でしかみた事の無かったようなヨーロッパ風な街並みの先の高台にそれとわかる邸が現れた。色合いといい建物といい綺麗な街、なのだが聞いていた通りどこか静か。こんなに綺麗であれば旅行客で賑わっていそうなのだが閑古鳥とまではいかずとも閑散としている。もったいないな、と思いつつ街並みを眺めた。
邸の前にある門の前で馬車は一旦止まった。既に先触れは到着していたようであっさりと馬車は中に通され、邸の玄関の前に止まった。やっと馬車とおさらばだ、とまた勝手に扉を開き外に下りると御者にまた怒られていると扉が開き中から一人、出てきた。彼女だ、灯華にはすぐにわかった。
『アストの家族について何かしっているか?』
オルフェにそう問われ、とまどったが小さく頷いた。小耳に挟んだ程度だが、それなりの事は収集している。九年前の出来事も灯華が呼ばれた事に関係しているため知らない訳ではないが、それを聞くとアストが辛そうな顔をするので詳しくは聞いた事はなかった。
『では、アストに姉がいる事は?』
『お姉さんですか。知りません・・・聞いた事なんて一度も』
『だろうな。――誰も、言わないからな』
オルフェの言葉に急にユウィークは立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。本当に急な事だったので灯華はおどろいてその後姿を見送ったが、扉が閉まりオルフェにいいのかと視線で問いかけるとかるく肩をすくめた。
『アストの姉は、ユイにとっても痛い所だからな。だから尚更誰も言わない。――王妃の不興はだれも買いたくないしな』
『そのような方なのですか?』
痛い所、それを聞いて単純に仲の悪いもしくはこの国にとって悪しき人なのかと思い描いたがすぐにそれをオルフェは強く否定した。
『いや、そうではない。彼女自身は凄く穏やかな人だ。酷く、とても優しい人だ』
『ならば何故』
『そうだな。彼女は、九年前の戦争の犠牲者――俺たちの親の世代のせいで、何もかも犠牲になってしまった人だ。だから皆何も言えない言わない。自分たちの罪をまざまざと見せ付けられているようだからな』
声音は軽く取り繕っていたがその目は酷く暗く、灯華は思わずそれから目を逸らしてしまった。そうして聞き及んだ者が今目の前で御者と灯華のやりとりを笑って見ている。
「遠いところをようこそいらっしゃいました巫女姫様。この領を任せて頂いておりますリフェリア・クロイツェルと申します」
アストと変わらない藍の髪に碧の瞳、そして少し陰のある笑顔すら同じで灯華はどうしようもなく胸を締め付けられた。