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この手に短編集

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練胆会



 仙台地方幼年学校には、「練膽會」という行事がある。俗に言う「きもだめし」のようなものだ。一年の課程も終わりに差し掛かり、夏期休暇を目前に控えた、夏至の前後に行われる、度胸を鍛える訓練。大越生徒監発案である。
 方法はいたって単純である。生徒は、一日につき二名ずつ指名される。日没後、まず一人が「練膽」と墨で書かれた木の札を持ち、校舎から少し離れた火葬場まで行く。あらかじめ置かれたブリキの缶にその木札を入れ、その場で十分間待機の後、帰ってくる。その後、もう一人が火葬場へ向かい、缶の中の札を持ち、やはり十分間の待機の後、戻ってくる。それでその日の練膽會は終了する。
 一見、意味のなさそうな十分間待機の規則だが、これには真面目に取り組まなければならない。翌日、火葬場での十分間に思考していたことを、練膽會参加報告書としてまとめ、提出が義務づけられている。
 これが約二十日間、連夜行われる、練膽會であった。
 話だけ聞くと、大したこともないと感じるため、この肝試し自体を表立って嫌がる生徒はいなかった。たとえ怖いと思ったとしても、それを口に出せば臆病者のレッテルを貼られるだろうから、平然としていなければならない。
 むしろ憂鬱は参加後の報告書提出である。学年末の考査を控えた今、余計な課題の追加は大きな負担だった。そして、練膽會は夕食後の自習時間に行われる。ただでさえ、足りない時間内で課題や予習復習をやりくりしているというのに、その貴重な時間が失われることになる。その日の練膽會参加者二名は、当日の夕食時に発表されるため、全くもっていつふりかかるかわからない、不幸な行事なのだった。
 板垣はその夜、二番目の参加者だった。
 手には提灯を一つさげ、校舎の横から伸びた、茶色い土剥き出しの道を歩く。月のない夜で、暗闇が重くのしかかってくるようだった。
 何もないことは分かっていたから、怖くはない。
 そう、この道には誰もいないし、もちろん、こんな時間に火葬場にも誰もいないだろう。
 お互いに驚かしあうような、遊びの肝試しなんかより、ずっと簡単だ。誰もいないところに一人なんて、危険なわけがない。十分間だって、あっというまだ。
 火葬場までは、半里もない。黒くそびえる煙突が見えるところまでたどり着くと、さすがに少し不安になった。昼間に見るのとは、全然違う感じがした。火葬場を取り囲むブロック塀の間が、両側から迫り、入り口が狭くなったように思えた。
 夕方に降った雨の影響で、地面は少しぬかるんでいる。
 ブリキの缶を探すために、提灯を高くかざして辺りを見回す。ぬかるんだ地面の先に、先に来た級友のものだろう、軍靴の足跡が見えた。この地面の状態なら、足跡だって実際よりは大きく残るもの……と慰めてみたところで、自分の足との差は歴然としていた。
 そこで、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
 出発の前、戻ってきた級友が、頭一つ分ほど上から、頑張れよ、と笑って肩を叩いた……楽しそうな笑い声。
 案の定、ブリキの缶は火葬場のブロック塀のひときわ高いところ、それも縁よりだいぶ奥……に置いてあった。最初からあんな所に置いてあったわけがない。板垣は軽く舌打ちをした。別に大人と子供ほどの身長差があるわけではないから、たかが知れている。しかし、からかいとしては、充分に機能していた。
 思い切り飛び上がって取れないこともないが、地面はぬかるんでいて足場が悪い。上手くつかめなくて塀の向こう側に落としでもしたら面倒だった。提灯を下に置き、塀を少しよじ登ることにする。幸い、足場を取るのは容易で、難なく缶を掴むことに成功した。
「そうだ、札」
 缶ごと持って降りれば良かったのだが、何故かその考えは頭に浮かばなかった。缶をひっくり返して札をブロックの上に落とした時、不意に強い風が吹いた。軽い木札が飛ぶことを恐れ、とっさに勢いをつけて押さえたら、その拍子に足がずるりと滑った。
「うわっ」
 と叫ぶ間もなく、地面に落ちる。腰を打ちつけた衝撃を堪え、瞑っていた目を開くと、提灯の明かりが消えていた。
 尻の下の地面の感触から、いけない、とは思ったが苦痛に耐えかねて背中を地面に預ける。
 さて、どうしたものか。
 板垣を待ちかまえているであろう彼らは、この汚れた格好を目敏く見つけて、予定以上に大笑いするに違いない。何だか癪だ。
(別に、気にしなければいいんだけど)
 だいたい、缶が高いところに置かれていたことを、あいつの仕業だと決めつけている自分が嫌だ。歪んでいる気がする。
 視界の真っ直ぐ先には、夜空があった。月がないからよく見えるのだろう、降るような星空だ。
 そういえば最近、夜に空を見ることがなかったな、と思う。なんだか懐かしい。
 理科の講義で聞いた星座をひとつ、ふたつと見つけることができて嬉しくなる。嫌なことをも全て忘れて、吸い込まれるように空を眺めていた。
 暫く経って、ふと我に返る。
(そうだ、戻らないと)
 すでにたっぷり十分はたっているだろう事には気付かずに、ポケットをまさぐって渡された時計に手をかける。
(いや、その前に十分待機……)
「おい、大丈夫か?」
「!」
 突然かけられた声と、夜空を遮った人影に、板垣はこの夜はじめて、肝を冷やした。

「なあ板垣、お前肝試しの報告書に何書いた?」
 昨日練膽會を経験した藤井が、数日前に報告書提出を終えている隣席の友人に尋ねる。
「火葬場でのこと」
 試験勉強から視線を上げずに、板垣はさらりと答える。
「だから何をだよ」
「俺のを聞いてどうするのさ、自分で考えたことを書くだけだろ」
「参考だよ。使えない奴だな……おい土肥原、週番一回代わるから」
 藤井は身を翻して、後ろの席の今年度主席候補に声をかけた。
「なんだよ」
 板垣が抗議の声をあげたが、藤井は気にしない。名を呼ばれて振り返った土肥原はにこやかに、
「俺、暇じゃないんだけど」
と、しかし厳しい口調で言った。
「お前はどうせ考えてもいないことを、あとからもっともらしく書いたんだろう、俺の分ぐらい余分に思いつくだろう」
「そりゃあ、あそこで考えていたことを正直に書くわけがない。でも、十分待機はしないとまずいんじゃないかな」
「え?」
 首を傾げる土肥原の前で、藤井が固まる。
「だって、監視してるでしょ、生徒監」
「えっ?」
 藤井が青ざめる。彼は札を置いて、数分もしないうちに馬鹿らしくなって早々に帰途についたのだった。焦って隣の板垣の肩を掴む。
「板垣、知ってたか?」
「うん、まあ……」
 ついてきていることには気付かなかったのだが、生徒監が見ていたことは分かったので、そう答える。土肥原が後を継いだ。
「上級生にそう聞いたことがあるし。それに、そんな気配しなかった?」
「しねぇよ!」
 再び首を傾げる土肥原に、藤井は「そういう情報は事前に流せ」と怒りだした。
 板垣は、すこし落胆していた。
(なんだ、自分だけじゃなかったんだ)
 あそこで大越生徒監に声をかけられて、提灯の火を入れてもらって、その後少し話をした。それは二人だけの秘密だ。そして、生徒監が練膽會の間、一人一人の態度を見守っていることも、自分だけが知っている秘密のような気がしていた。
作品名:この手に短編集 作家名:くりはら