事始
胸のあたりがぱたぱたするのは、ちょうちょが羽ばたいているからだ。ぼくのなかには昔からちょうちょが棲んでいて、ときにくるくる飛び回り、ときにひとところに留まっている。昔から自然にそこにいたものだから、誰の中身もそうなのだと勝手に信じていた。だからある日ぼくはリリコのちょうちょはどんなふう、と聞いた。リリコの隣にいるとちょうちょがとても元気に胸を打つので、知りたくなったのだ。しかしリリコはあたしの中身はうさぎよと言う。ときにぴょんぴょん飛び回り、ときにひとところに留まっているのだと。ぼくはぼくとリリコがあんまり違うのでびっくりしてしまった。いま思えばそのときがリリコにきちんと恋した瞬間だった。
リリコはうさぎが棲んでいるだけあって、大きな、黒目がちな、怖いような目をしている。その目でぼくを覗き込んで、笑った。サトリはうさぎじゃないのねえ、サトリのなかみはどんななの?
「ちょうちょは一頭? 二頭? 三頭?」
そうだちょうちょは頭で数える。ちょうちょが一頭、ちょうちょが二頭。何だかきもちわるい。ぼくが言う前にリリコが言った。
「一頭だよ」
「じゃあ少し寂しいのね」
「リリコのうさぎは」
「あたしのうさぎも一羽だわ」
「並んだら少し寂しくなくなるかな」
そんなことはないのだと、知りながら言った。だってもしもぼくとリリコがすっかり混ざってちょうちょとうさぎが出会ったとして、一言たり発しないのが彼らの基本であるから、意思の疎通は無理だろう。見詰め合うくらいがせいぜいだ。いや見詰めあったりなんかしたら、ちょうちょはむしゃむしゃ食べられてしまうかもしれない。ぼくの顔がついたちょうちょがリリコの目をしたうさぎに頭から齧られてゆく。その絵はなんだか眩しかった。
「わからないわ」
リリコはいつも正しい。ぼくたちは木のうろで肩を寄せ合って眠った。夢の中でもちょうちょは一頭、うさぎは一羽なのだった。