美男華園 ~男の花園大奥~.
<<※印が打ってある所の説明>>
※-1,お江の方が最初に産んだ子・完子の子孫は
(完子の息子長男・道房は九条家へ,次男・康道
(やすみち)は二条家へそれぞれその家の当主となった
経緯で第123代天皇・大正天皇(たいしょう)嘉仁
(よしひと)の皇后・貞明皇后(ていめい)へと
その血筋を絶やさずに
織田 信長の織田氏,浅井 長政の浅井氏,豊臣 秀勝の
豊臣氏の血筋を受け継いでいる。)
この後大正天皇の皇后・貞明皇后,旧姓;九条 節子
(さだこ)からその息子第124代天皇・昭和天皇
(しょうわ)裕仁(ひろひと),
その孫・第125代天皇・今上天皇(きんじょう)
明仁(あきひと)陛下へと
今現在の皇室は織田氏,浅井氏,豊臣氏の
戦国武将の家の血筋を受け継いでいる。
※-2,原作では家光の女の名前は
千恵(ちえ)となっておりますが
こちらの“美男華園”では幼名竹千代から
取って千代姫とさせていただきます。
※-3,こちらの“美男華園”では正室・お江の方に中々
お世継ぎである男子の出生の兆しが無い為
年老いた義父・家康が気を揉み息子・秀忠に
お静の方を召し出し子を生させた結果
男子幸松(こうまつ)
後の陸奥会津藩初代藩主・保科 正之
(ほしな・まさゆき)出生
姉さん女房で恐妻家の秀忠は正室・お江の方
の体面武田 信玄の次女・見性院(けんしょういん)
に預け養育をまさせ見性院の縁で旧武田氏家臣の
信濃高遠藩主・保科 正光(まさみつ)が預かり,
正光の養子となり幕末の戊辰戦争の悲劇を生み出す
会津藩の教えを考える。
後に徳川幕府3代・家光,4代・家綱に仕え支える
ただ今執筆中です!?
作品名:美男華園 ~男の花園大奥~. 作家名:リアママ