自分の誕生日に亡き母の悪口を言う
彼女は次男のワタシをいつも差別していた。長男のことに一生懸命で、ワタシはいつも比べられ、責められた。なのである意味自由だった。目の届かないところでも、そうであってもワタシは怯むことなく反抗しつつ、その反動でのびのびと育った。彼女のいい子である必要もなく、求められもしなかった。大事なのは長男だけだった。
ただ矛盾なのはワタシと彼女は性格が似ていたのだった。否が応でも避けられない、遺伝子的な類似性が知らず知らず露見し、おのずと気づき始めたのは小学の後半だったろうか。兄が思春期になり、その兄に脅威を感じた彼女は、そのはけ口をワタシに向けた。ワタシが悪い子という設定になり、父に殴られるワタシを見て嬉しそうだった。そしてそんな母の気持ちが何故か分かってしまうのが不思議だった。
けれどやはり告げ口をする彼女をワタシは憎んだ、と思う。ただ表には出さない。悟られてはまた告げ口されるから。勉強と部活をやればいろんなものをカモフラージュできたのだ。ワタシは彼女を信頼する気持ちはおそらくとても薄れていた。
長い間似た者同志の葛藤と軋轢があった。今思えば変わった女性だった。口が軽いのか近所の噂話をワタシによくしゃべっていた。聞く相手がワタシしかいないのだ。6つ下の妹は兄と似ていたので大事にされた。ワタシとはやはり正反対だった。彼女は父にも兄にも妹にも気を使って話せない。心を開かない。ワタシはそのストレスのはけ口となり、言葉のゴミ箱と化していた。
でも、何故か相手をしてしまうのは似ているからだと知っていた。その奇妙に開放的な、壁を持たない、能天気な性格。炬燵で横になってTVを観ているワタシにずっと話しかけている姿が目に浮かぶ。
受験以前にも家をできるだけ早く出ることだけを考えた。そして念願の大学が決まったとき、衝撃的な言葉を彼女は吐いた。
「世の中ははアタマだけじゃねーど。」
この意味は良きアドヴァイスにも聞えるが、それは違う。十数年に渡って、ワタシよりも優れていた兄と比べながら、出来の悪さを指摘しつつ、そのことで兄の価値を喜んでいたのだが、兄よりもランクの高い大学に入ったことへの嫌味だった。そう悪意だ。忘れもしない。土曜日の午後だ。おめでとうと言わない母親がここに確かにいたのだった。
早めに帰宅して家にいた時に学校から合格の電話があった。そのときは偶々父親が電話に出ていた。無口な父は「決まった」としか言わなかった。そのあと奥の部屋で父の古いギターをつま弾いていたところに彼女は現れ、先ほどのセリフを吐いたのだった。
思い起こせば、様々な局面でワタシはそういう風に扱われた記憶がある。けれどもそれを受け入れてしまう自分もいる。なぜならばわかってしまうから。歪んだ性格をそのまま素直に理解してしまう自分がいたのだった。
亡くなる数年前、ワタシは帰省する度に兄嫁にの苦言を聞き、同情しつつもアドヴァイスをした。しかし頑なだった。うまくできなかった。どこまでも兄を溺愛してしまったのか。愚かにもノイローゼにまでなってしまった。電話口で泣く彼女をワタシは心配した。そしてそこまでにした兄を今度は憎んだ。
結局、兄がそれなりの病院に送り込み、そこで亡くなった。死因は曖昧だった。お見舞いに行ったのはたった一度だけ。その時はもう話もできない患者になっていた。「バカめ。」そう言っても理解しているのかどうか分からなかった。最後に聞いた言葉が思い出せないもの辛い。
今日、ワタシは49歳になったよ。あなたにはかなりいろいろ聞きたい事や話したい事、確認したい事がある。どこまでワタシを分かっていたかも知りたいし、歳をとったから話せることもあるはずだ。溜まり溜まった問いに答えて欲しいと思うのだ。あなたがワタシを生んで、どう思っていたのか。本当のところを知りたいのだ。いいんだよ本音で。分かるから、その歪んだところは。それに輪をかけて歪んでるのがワタシだから。半分は責任はあるが、責めはしないよ。
あなたに褒められた事は一度もなかった。いつも否定されていた。ただ一つ覚えているのは、小学生の時、飼い犬が死んで家の敷地の片隅に穴を掘り、埋めるのを見ながらワタシが泣き続けていた時、「おまえは、やさしいところがあっから。」と言ったのだった。生まれて初めて「やさしい」という意味を体で感じた経験だった。しかしそれ以外は残念ながら記憶にない。
兎に角、愚かな母よ、生んでいただきありがとうございました。
そしてこうやって、いつまでも悪口を言うのでよろしくお願いします。
〈2010.12.24 京都にて記す〉
作品名:自分の誕生日に亡き母の悪口を言う 作家名:佐崎 三郎