君から遠く離れて
その日、一月振りほどに都内のアパートに帰った。バストイレ別の1Kだが、オートロックのない木造であること、築年数が夢子の年齢を軽々と超えることなどの理由で仮宿にうってつけの格安さを誇っていた。隣家の話し声と、上階の足音、家鳴りの激しさなどを気にしなければもってこいの良物件だ。
ポストの中にはぎっしりと郵便物がつまっていた。ピザや寿司をはじめとする宅配料理の投げ込みチラシに区民新聞が殆どで、それらやダイレクトメールの中から用のある郵便物を取り出すだけでも一苦労だった。
山の仕分けを終えると、夢子宛の郵便物は驚くほど少ない。実家の住所から届いた荷物の不在表と、夢子自身の作品が載っている雑誌類が殆どを占める。その中で一際浮いていたのが、大学の同窓生からの手紙だった。シチリアの浜辺の絵葉書に一筆、同窓生の結婚式があると走り書きしてあるだけのものだ。肝心な招待状は来ていない。そもそも来るだなんて、夢子は思っていなかった。
新郎は、七住悠太だった。新婦の名前はうっすらとしか覚えていないが、夢子は彼女を知っていた。愛らしく屈託のない少女であった。大学に通っていた頃の話であるので、今はどうなっているかわからない。夢子の抱える憂鬱と悲しみに嫌気が差した悠太が、明るく無邪気な少女に惹かれたのは道理だ。しかし彼女が悠太と出会った時は既に十九歳だった。十代後半以降の無邪気なんて邪気の塊だ。だったら自分の方が、隠さない分余程捩れていないのに。それが不思議だった。
アパートを出て、電車と併走しながら川沿いを歩く。大学時代に住んでいた街とは違い、ごみごみとして忙しない。そのくせビルの切れ間から覗く空はあの日よりもずっと青かった。時間の流れは無常で、置かれた状況も感性も次々に変えてゆく。
今ならわかる。こと男女の仲において、心根の正しさなど問題ではないのだ。相手が魅力的に見えるか、それにいつまで騙されていられるかが肝要だ。そして時に、人は好んで騙される。
あれから五年。振り切るには短いが、悟るには十分な時間が経った。五年間、未だ安住の地は見つかっていない。
姫子はジーンズのポケットから煙草を出し、火をつけた。煙を深く吸い込み、吐き出す。二十一の頃にはなかった皺が僅かずつではあるが刻まれ、咥え煙草をする夢子の顔つきを歳より気難しく見せている。
唇には自然と、笑みが浮かんでいた。何故かはわからないが、奇妙に晴れやかな気分だった。
人生は、嵐の海だ。ある時には荒天の中に一筋の航路を見つけた気がする。またある時は、高波に押されて流されそうになる。人生と言うものは、そんな浮き沈みの中にある。完璧な多幸感も完全な不幸せも、きっと存在しない。
今は少し、舵取りができそうな気がしていた。
二十六歳、きっとまだ若い。海風が短くなった髪で遊んだ。そういえばあの日の川は淡水で、驚くほど風が吹いていなかったのを思い出す。そう、思い出さなければいけないようなことなのだ。
暁夢子、二十六歳。それでも立ち直る日は、まだ遠い。