雪のつぶて21
車を降りると雪の壁に遮られた奥に、白いアパートがぽっかりと浮かんでいた。部屋の窓にあかりはなく、洞窟を覗き込んでいるように暗い。
部屋へと続く階段は吹き込んでいた雪で角が白く染められ、中央はびっしょり濡れている。重たくなった足を引きずって、一歩一歩確かめるようにしてのぼっていった。鍵を取り出した指先がかじかんでいる。息を吹きかけてから鍵を開けると、冷気をたっぷり含んだ空気が体にまとわりつくように流れ出してきた。部屋は森閑として、あかりどころか物音一つしない。
スリッパを引っ掛けて、リビングにあかりを灯す。テーブルにはやはり真美の薬袋がのっているが、いつも散らばっているはずの薬はなかった。袋を開くと、空になった銀色のシートが一枚だけ入っていた。袋を握りつぶした後で、なんの迷いも見せず、キッチンにあるゴミ箱に投げ捨てていく。その後で風呂場、寝室と部屋を一つづつ開けていく。真美はいない。玄関には、真美のブーツがきれいに揃えられていた。洗濯機には、汚れ物が山積みにされていた。
リビングに戻った忠彦は、コートのポケットから煙草を取り出した。本数が少なくなっていた煙草は、奇妙にねじれている。二本の指で煙草を伸ばし、ライターで火をつけていく。寒々しい部屋に、そこだけがぼっと熱くなったのは一瞬だけ。大きく息を吸い込んでから、隙間風が足元に当たるのを感じた。リビングのカーテンの端が小刻みに揺れている。
「真美? バルコニーにいるのか」
吸い出したばかりの煙草を灰皿にのせ、閉じられていたカーテンを開いていく。真美がいた。肩までの髪を風に仰がせて真美が立っている。外に出ているというのにカーディガンも羽織らず、イエローのセーターを一枚着ただけの格好だった。フレアーのスカートも髪と一緒になって揺られている。
「何をしてるんだ、そんなところで」
思わず、悲鳴をあげそうになった。
真美がカッと目を見開き、そこから赤い血液が流れている。目だけではない。鼻からも口からもどす黒い液体が凍り付いていた。スカートから飛び出した足は、肛門と尿道口から飛び出した汚物にまみれていた。
首を括っている。
腰が抜けて、雪が吹き込んでいたバルコニーに尻餅をついた。尻を擦りながら、後ずさっていく。
真美は睨みつけていた。
目を見開いて。じっと。瞬きもせず。
誰かの悲鳴が聞こえた。それと同時に、家の電話が鳴り始めた。早く出ろよ、とせっつくように鳴っている。
無言電話かもしれない。真美が怯えていた。
電話は、執拗に鳴り響いている。
この電話に出れば、真相がわかるかもしれない。けれど忠彦はそこから動かず、ひぃひぃと呻き声をあげて後ずさっていくことしかできなかった。
そのうちに諦めたのか、電話の音がぴたりと鳴り止んだ。
部屋に戻ってきた静寂の中で、忠彦は沙織に責められ続けている。
逃げ回るなんて、最低なことよ。
繰返される言葉は、確かに事実だった。他の何をも信じられなくても、その言葉だけは、まかり間違うことなく、事実だった。
窓を叩く雪が、粉々に砕けていくように大きな音をたてていた。