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孝夫の家庭は・・・だ

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三柴孝夫の家庭は決して恵まれているとは言えない。福祉関係の仕事をしている母親の晴美は孝夫が小学生の頃離婚してしまい、女手ひとつで育てられた。しかし、晴美はそんな劣等感を息子の孝夫に感じさせまいと明るく振舞った。
 だが、そういう境遇をうまく受け入れられなかったせいか、孝夫はコミニケーションに多少の難があった。孝夫が住んでいるのはマンションなのだが、先日そこでこんな事があったのだ。
 孝夫が高校から帰宅した時、マンションの入口で隣に住んでいるおじいさんとすれ違った。おじいさんは孝夫におかえりと言ってくれたが、そのあと軽い愚痴をこぼした。
「若い者はいいね。わしみたいな老人になってくるとそんな重そうな鞄は持てないよ。わしにとって荷物はなんでも重いんだ」
 そう言うと孝夫は何を思ったか、「じゃあ、その杖を持ちます」と言って、おじいさんから杖を取り上げてしまったのだ。おじいさんはびっくりして転倒し、しばらく起き上がれなくなった。そこへまた住人のおばさんが通りかかり、救急車を呼ぶ騒ぎになったのだ。おじいさんは幸いなんともなかったものの、こういうことが小学校の頃から度々続いていて晴美に対する苦情も多かった。
 だから当然のごとく、孝夫には友達があまりいなかった。晴美は孝夫に色々なことを教えつつも、毎日暗い顔で帰ってくる息子に明るく接した。孝夫の行動や言動は基本的に善意からきているものだと分かっていたからだ。
「おかえり、今日の晩ごはんは焼きそばよ」
 柔らかな顔立ちの晴美は、にっこりと孝夫に微笑む。しかし孝夫はそれにあまり反応しなかった。だが、孝夫は顔にこそ出さないが、自分を大切に思ってくれている母に感謝していた。そんな孝夫が毎年その感謝を表す日があった。
 母の日である。孝夫は今年も考えた。
「何がいいのだろうか」
 去年は青と紺のチェック柄のスカーフ、その前は灰色の生地に桃色の小さな花柄が入ったハンカチ。その前の前は赤いカーネーション三本だった。だが毎年ありきたりな物なので、今年ぐらいは少し工夫したいと思っていた。
 そんな中、孝夫の家に電話がかかってきた。晴美が電話を取り、しばらく話してから受話器を置いた。
「江田さんから。孝夫君元気って」
 晴美は今年も、ゴールデンウィークにある同窓会に出席することになっており、旧友から連絡が来たのだ。同窓会に出席するメンバーは家の近所にも何人か住んでいた。孝夫はその母親の旧友たちに昔から可愛がられており、友達に恵まれていない孝夫にとっては心の寄りどころだった。
 そのメンバーには、不思議と浅い付き合いの同級生には感じられない深い人情を感じることができた。孝夫は思い切って、その中の笹村氏に電話をしようと思った。母の日のプレゼントの相談である。
 笹村氏は孝夫に近いものを持っている。笹村氏は父親を幼い頃に亡くしており、孝夫が劣等感を感じて相談するといつも不器用ながら、うんうんと小さくうなずきながら話を聞いてくれた。
 笹村氏はアドバイスらしきものはしない。黙って話を聞くだけだ。それが孝夫にとっては心地よかった。無口な者同士、気が合っていた。孝夫は笹村氏に電話をかけた。
「もしもし」
「あ、笹村さん。僕です。三柴孝夫です」
「ああ、孝夫君か」
 そこから近況をぽつぽつと報告しあい、孝夫は母の日のプレゼントは何がいいかと相談した。そして今年は変わったアイデアのものをプレゼントしたいという旨も伝えた。
 すると笹村氏はこんなことを言った。
「孝夫君、もしよかったら、こんなものはどうかな……」
 その発案に孝夫は戸惑った。でも少し考えるとそれがいいと感じた。そして孝夫はそのプレゼントにすると笹村氏に伝えた。
 
 ゴールデンウィークも過ぎた母の日の当日。孝夫は食器洗いを手伝っていた。晴美は掃除機をかけている。そこへ玄関のチャイムが鳴った。
 孝夫はインターホンの受話器を取った。そして晴美に「宅急便」と伝えた。
 晴美は突然そわそわし始めた。晴美の旧友の江田祥子の息子はコンビニでアルバイトをしており、その店では母の日に店の商品を自宅に郵送することが義務づけられているのだ。晴美はそんな話をこの間の同窓会で聞いていたので、もしかしてと期待した。
「はあい」
 晴美はうきうきしながら玄関の扉を開けた。孝夫も晴美に続いて表に出た。するとそこに立っていたのは、この間会ったばかりの笹村氏だった。
「宅急便じゃなかったの?」
 晴美は困惑した表情になった。孝夫はこう言った。
「ごめん、宅急便っていうのは嘘」
「じゃあ……」
「あ、笹村さん……」
 孝夫は笹村氏を見た。すると笹村氏は小さな箱を差し出してそれを開けてみせた。そこには指輪が入っていた。
「晴美さん、結婚してください!」
 独身の笹村氏は下を向いて大きな声で晴美に伝えた。晴美はさらに困惑した。
「あ、今日母の日でしょ。プレゼントは何がいいかなって考えたんだ。それで笹村さんに相談したんだけど、母さんが一番喜ぶのは『父さん』かなって……」
 それを聞いた晴美は怪訝な顔をした。

 それ以来、晴美は孝夫に口を聞いてくれなくなった。孝夫に話かけることもなくなり、台所ではいつもうつむいていた。
 孝夫は頑張って話しかけてみた。
「母さん、あれ、まずかったかな……」
 孝夫は同じく不器用な笹村氏が父だったらいいのになと前々から思っていた。だが、母の日のプレゼントに『父』を贈るなど、考えてみれば唐突すぎたかもしれない。いやその前に常識がなかったかもしれないと、さすがの孝夫も気づき始めていた。
 晴美のだんまりは続いた。そしてそんな日がいくつも過ぎていったある日のことだった。
 孝夫は家で洗濯物をたたんでいた。そこに晴美が帰ってきた。孝夫はなかば諦めながらもまた頑張って晴美に話しかけてみた。
「おかえり……。どこ行ってたの……」
 すると意外なことに晴美は明るい顔でこう答えた。
「ちょっとご近所まで」
 そう言って晴美はいつも以上の笑顔を見せた。今日は『父の日』だった。母はまさか……。
作品名:孝夫の家庭は・・・だ 作家名:ひまわり