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ヒトとロボットのはなし【短編5編/BLNLどちらも有】

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 ニトログリセリン。白い、そのスプレー。ニトログリセリン頂戴。
 ねえさんが呻いた。わたしは急いでニトログリセリンを手のひらのうえに捧げ持った。白い円柱状のスプレーは得体が知れない。むやみやたらに扱って良い気がしなかった。
「心臓のあたりが」
 ねえさんの眉はぎゅっと寄ったまま戻らない。
「痛いの。こんなに痛いのは初めてなの」
 ねえさんは奇妙なスプレーを、しどけなく垂れる舌の上に入れて、しゅっと噴いた。真っ白いスプレー缶が真っ赤な唇の間に挟まる。蛍光灯が真上からねえさんを照らす。
「俶(はじめ)、怖いよう。あたしの体はどうなっちゃうの」
 オトナのオンナのヒトが、泣いていた。
「あたしはこの先どうなっちゃうの」
「イレーヌねえさん。もうこんな仕事辞めなよ」
 ねえさんは静かに頭を振った。だんだんに胸を押さえる手の力が抜けてゆく。
「生きて行けない」
 濃いアイシャドウの下で夜空の色をした瞳がぼんやり霞んだ。ねえさんは他に道を知らないヒトだった。大きくて臭う男のひとのとなりで、ワインを注いだり、下品な言葉を聞き流したりするのが、上手だった。
 仕方がない、と思った。
「イレーヌねえさん」
 わたしは右手で左腕の付け根を持って、ぐっと、引いた。
 みしりと音を立てて左腕が外れた。
「わたしの体を売って」
 袖のない服を着ていて良かった、と思った。布を無駄にしないで済んだ。黄色い肌が裂けて鉄の銀や基盤の緑が覗いた。赤いコードがだらりと下がったさきでねえさんが瞬きをした。金色の長い睫毛がそろりと上下する様はとてもきれいだった。
「わたしの体表のメンテナンスは完璧でしょう。お客が喜ぶから。だから、部分的なパーツだけでも、お金になると思うの」
 俶の名は飾りではない。ごく初期に作られた仲間のなかで、今も故障なく稼働しているのはわたしくらいのものだ。マニアが見つかれば、コレクションとしての付加価値も付くかもしれない。けれども初期に作られたわたしは性交渉には対応しておらず、店での仕事は主に受付と経理なのだった。
「片腕がなくたってだいじょうぶ。もしかしたら、足も要らないかな」
「俶」
 ねえさん。ねえさん。たくさんのたくさんの人間が出入りするこの店で、ただ一人、わたしの頭を撫でてくれた。おはようと声を掛け、ショートカットが似合うのねえと強く抱きしめ、製造日にはおめでとうと言ってくれた。
 ――俶、あたしあんたをほんとうの子どもみたいに思ってんの。
 ねえさんより長生きしているけれど、ねえさんみたいなヒトは初めてだった。ねえさんのおおらかな笑顔はメモリバンクのなかで一番に重要な部分だった。メンテナンスのたびに、そこだけは触らないように技師に念を押す。
「わたし、イレーヌねえさんのためになりたい」
 でも全部は売れなくてごめんね。こっそりと、心の中で謝っておく。ねえさんのためになりたいけど、ねえさんの傍にいたいから。わたしとねえさんの間に、ニトログリセリンとねえさんの足が白く長く横たわる。俶、俶、あんたのまっさらな体。ねえさんは小さく呟くと、両手の平で顔を覆った。ずっと覆ったままだった。



【bod・y[ bdi | bdi ] [名](複 -ies)】

1 体,肉体,身体(⇔mind, soul, spirit)

2 死体

3 解剖(手・足・首を除いた)胴体;(物・道具の)本体,主要部;(楽器の)共鳴部;(植物の)幹;車体,船体,飛行機の胴体;建築主要部分;(教会堂の)内陣

8(1)((略式))人. ▼通例女性

13 (衣類の)胴部;(女性用の)胴着(bodice).

keep body and soul together
((通例おどけて))(逆境にめげず)生きていく,命をつなぐ.

sell one's body
肉体を売る,売春する.

━━[動](bod・ied, ~・ing)(他)

1 …に形態を与える.

2 …を具体化する;…を如実に示す((forth)).



(了)