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歌い人と夜

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 俺は本当にダメだ。
 今日も上司の山口に叱られた。何がよくなかったのか、理由なんて思い出せない。それくらいに頻繁に叱られているものだから、俺自身、会社で何をしているのかわからなくなる時がある。ただ出勤して、書類を作って、山口に持っていって、叱咤され、うなだれながら帰宅する。これが一日中かつ毎日、エンドレスに繰り返されているような気がする。というか、確実にそれが俺の毎日として定着しつつあった。
 山口もこれまた短気な人だから、ほんのちょっとしたミスが許せないらしく、その怒りをフルにぶつけてくる。ひどい時は他人のとばっちりまで俺に回ってくることもある。今日だってそうだった。新人の女子社員が山口の書類へお茶をこぼしたことを、なぜか俺のせいにされた。俺の肩が湯呑を乗せたお盆に当たったとか言いがかりを付けてきたが、本当に俺は何もしていない。当たったどころか、かすってさえもいないのである。しかしその女子社員はなんと、「ぶつかってきました!」と俺を指しながら睨みつけ、山口へとおれの文句を言うのである。もはや俺は言い訳をしてもどうしようもないと諦め、不本意だったが彼女に謝った。
 昨日は床にペンを落としただけで、「うるさいぞ!」と山口に怒鳴られた。ただそれは俺だけで、他の社員がペンを落としても何も言わない。本当に意味がわからない。
 俺が一体何をしたというのだろう。何がそんなに気に障るのだろう。
 最近は気がつけばいつもこのことばかり考えている。いっそ「君は明日から来てくれなくていい」とはっきり言ってくれた方がよっぽどマシだ。だが山口は絶対に言ってくれない。「上司が部下を厳しく叱るのは、部下の成長に期待しているからであり、でなければ叱るだけ時間の無駄である」なんていうのをテレビで見たことがあったが、俺に対する山口の態度は明らかに違う気がする。きっと俺をストレス解消の標的にしているに違いない。
 とにかく、俺は己の存在意義がわからないのだ。

 俺は暗い夜の公園を一人、歩いていた。最寄りの駅から家までの道のりは、この公園を通ると近道になる。野良猫がギラギラと光る目を一瞬だけ俺に向け、そして足元を横切っていった。猫はいいなぁ、猫になりたいなぁ。心の中で呟いて、そしてたまらなく虚しくなった。いくら願ったところでそんな願いが叶うわけでもないのに、俺は何を考えているのだろうか。とにかく早く家に帰って寝よう、と自分に言い聞かせ、歩調を速める。
 誰もいない公園は、昼間の姿からは想像できないほどの静けさで包まれている。月もほとんど雲で覆われてしまっているために、頼りになるのはぽつりぽつりと佇んでいる年季の入った街灯だけだ。この明かりがなければ足元も何もかも見えない。今、俺が歩いている場所がどこであるかということもわからない。
 真っ暗な世界にただ一人で存在しているというのは、まるで人生そのものだと思った。まさにお先真っ暗である。頼りになる灯火さえも古ぼけた街灯で、中にはチカチカと今にも消えてしまいそうなものもあり、俺はますます不安になった。俺の灯火も消えてしまいそうに思えた。
 そういえば、俺の灯火って一体何だろう?
 問うてみるものの、誰も答えてくれないし、もちろん俺自身が知っているわけでもない。例えば目標だとか夢だとか、そういったものを昔はいっぱい持っていたような気がする。しかし、大人になるにつれてそれらは現実にすり減らされて少しずつ消えていき、最後の最後には一かけらもなくなってしまった。それがまさしく今の俺だ。
 目前に広がる暗闇の奥の方から、かすかに何かが聞こえた。誰もいないと思っていたのだが、どうも誰かが歌っているらしい。

大嫌い 大嫌い
この世の全て お前もお前もお前も
大嫌い 大嫌い
死んでしまえ

 よく通る男性の声の、なんともおぞましい歌だった。思わず足が止まったが、その歌を歌っているのがどんな人物なのかというムダな好奇心が働き、俺はその声につられるように近づいた。だんだんと大きくなる声。繰り返される「大嫌い」というフレーズ。しばらく歩いて、やっと街灯の薄明かりに照らされる人影が確認できた。ベンチに腰掛けたその人影が、その歌を歌っていたのだった。
 人影が俺に気付き、歌が止まった。俺はどうしてよいのかわからずに、その場から動けず、あたふたと無意味に周りを見回した。助けてくれるものなんてないのに、何かを必死に探した。そして彼はゆっくりと緩慢な動作で顔を上げ、俺を見た。薄暗くて顔立ちははっきりとはわからないが、ひどく眠そうな目をしていた。
「どうですか、この歌」と彼は一言、言った。

 彼の名前はコジマというらしい。
 白いTシャツに破れかけたジーンズ、パーマなのかよくわからないもじゃもじゃとした髪をしていた。別段格好のいい服装ではなかったが、なぜか妙にお洒落に見えた。学生なのだろうかと尋ねてみたところ、学生ではなくバンドマンで、ボーカルをしているのだという。それを知ってから彼を見てみると、なんとなくそう見えてくるから不思議である。
 俺はと言うと、コジマの隣に腰かけて一緒になって話し込んでいる。なぜかは俺自身にもよくわからないが、なんとなく話してみたいという欲求が生まれたのは事実だった。初対面の人間に自分から積極的に話しかけたことなんて、今までを振り返ってもまずなかったというのに。そんな俺を知ってか知らずか、コジマは大きなため息をつき、所属するバンドをクビにされかけているのだと言った。
「俺の歌がダメなんですって」
 コジマは眠そうな眼をして夜空をぼんやりと見上げた。
 申し訳ないが、さっきの歌を聴いている限りお世辞にも「いい歌」とは言えないだろう。歌詞がリアルすぎて、おどろおどろしい。悪いが、決して万人受けする曲ではないと俺は思う。ただ、必要以上に耳には残る歌だったが。
「俺、たぶん才能がないんです」
 そうぽつりと彼がこぼした一言が、なぜかいたく胸に刺さったように感じた。きっとその一言はコジマとしては何気なく言ったことなのだろうが、まるで俺に対して言われたかのような錯覚を覚えたのだ。
 コジマは大きなため息をついて、続ける。
「一週間以内に一曲作ってこないとクビだって、バンドのリーダーに言われてるんですよ。でも作っても作ってもボツで、結局あと3日しかないんですよね」
「はあ、あと3日ですか」
「でもバンドは好きだから、クビになりたくなくて頑張ってはみるんですけど」
「大変なんですね」
 俺はそう口にはしながらも、内心ではコジマのことが少しうらやましかった。もしも俺が「この書類が作れなければ会社をクビだ!」と言われたならば、今なら作らない気がする。いや、絶対作らないだろう。
 だが彼は違う。バンド界の事情は会社員の俺にはわからないが、言葉の端々から感じ取れるようにバンド活動がたまらなく好きなのだ。ただ、コジマの表情は全く変わらず、ぼんやりとした、やはり眠そうな顔をしたままで、焦っているようには感じられなかった。
 ふと腕時計に目をやると、十二時が迫っていた。明日だって仕事がある。
「俺、もうそろそろ帰ります」
作品名:歌い人と夜 作家名:六月水生