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突然の転籍命令

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『突然の転籍命令』

「いいかね、君には子会社に行ってもらう」
有無を言わせぬ口調で専務は言った。
「嫌かね?」
「いえ、とんでもございません。喜んでいきます」
「そうか、喜んでいくか」
皮肉に満ちた言い方で、一種の冷笑すら浮かんでいる。それに気づかぬ梶山ではではなかったが、ただ畏まった。
高卒の梶山を大抜擢して営業部長にしたのも専務であったし、また梶山を数年前に飛ぶ鳥勢いのあった梶山を強引に営業部長から閑職の管理部長にしたのも、他ならぬこの専務である。専務は、誰であれ、自分以外の者が必要以上に力が持つことを嫌ったし、そうなりそうになると、捻り潰した。一言でいえば、専務は猿山のボス猿で人事をもてあそんでいる。梶山は自分がその犠牲者の一人だと思った。
「じゃ、来月から行ってくれ」
「え!」と梶山は絶句した。あまりにも早すぎると思ったからである。もう少し時間的に余裕があっていいはずだとも。
 あまりにも急すぎるのでは、と言おうとしたら、「もういいよ」と言って、手で“下がれ”と命じた。
 梶山は深々とお辞儀をして下がった。

「転籍をすることに決まったよ」と感慨深げに部下の加藤に話した。
 加藤は少し驚いた様子を見せたが、黙っていた。下手に言葉をかけるのは得策ではないと判断したのであろう。
「どうして、俺が転籍しなくちゃいけないんだ」
 梶山の口許は少し笑みを含んでいたが、眼はむしろ怒っていた。
「そうですね」と加藤は呟いた。
 どうとでもとれるような無難な言い方であった。加藤は梶山の部下とはいえ、決してその配下にならなかった。加藤はいわばミニ専務のように横暴な梶山に反感を抱いている者が少なからずいることを知っていた。彼の配下に下れば、必然的に敵を作ると思ったので、距離を置いたのである。
「君は賢いね」
「そんなことはありませんよ」
「いや、賢いよ」
 それ以上、梶山は何も言わなかった。話しているうちに自分無力感がこみ上げてきて、今にも泣きだしそうな思いにかられたからである。
 梶山はずっと会社のために働いてきた。少なくとも彼自身、そう思いこんできた。会社で天皇のように振る舞う専務に対し、下僕のように使えてきた。そこに微塵も邪心はなかったつもりであった。それが、突然の転籍である。
 一体、どんな罪を犯したというのか。
 机に向かっていても、その日、心は落ちつかなかった。帰宅する時間になった。まわりの誰もがそわそわと帰り支度を始めた。梶山は真っ直ぐに家に帰る気がしなかった。加藤に飲みに行こうと誘ったが、体よく断られた。
「たまにはいいだろ」と未練たっぷりに言ったが無駄だった。
「駄目です、今日は約束があります」
 こんなことは考えられないことだった。ものの考えかたが変わったというのか? かつて上司の言うことなら、どんな嫌なことでも断れなかった。これが新しいものの考えかたなのだろうか? まるで疑問の答えが加藤の顔にあるかのようにじっと加藤の顔を見つめたが、彼は笑みを浮かべてそれ以上は何も言わなかった。
 こいつは俺を馬鹿にしている。そうだ、ずっと、馬鹿にしていた! どうして、そのことに気づかなかったのか。そう思うと無性に腹が立った。誰もいなくなったオフィスで、梶山は身辺整理を始めた。
 梶山が会社を出たとき、時計の針は八時を回っていた。
 何かが頬をかすめたので、梶山は立ち止まり、空を見上げた。雪だった。そうだ。もう十二月になったのだ。雪はゆっくりと地上に落ちてきた。手を出すと、そこにも雪が落ち、みるみるうちに溶けた。雪の儚い命を自分と重ねてみたものの、落ち込んでゆく気持ちをどうすることもでない。
再び駅に向かって歩いた。その足取りは重かった。とても真っ直ぐに帰る気分になれなったので、駅前の近くにある飲み屋に入った。店は混んでいた。ふと、隣の席で飲んでいる二人の声が気になった。聞き覚えのある声だったからである。耳を澄ませた。声の主の一人は高山であった。五歳年下で長年、部下であったが、数年前に別の部署に移った。もう一人の声も聞き覚えがあった。加藤であった。用があるとは、このことだったのか!
「梶山は馬鹿だよ。単なる高卒出の分際で、威張り散らしやがって」と高山が言った。
すかさず加藤が「でも、可愛そうな気もしますね」と答えた。
「何が可愛そうなもんか。俺なんか、とことんいびられたからな。ざまあみろ、と言ってやりたいくらいだ」
 梶山は眩暈が感じた。なおも高山の攻撃は止まない。
「あんな奴、専務の威を借りた狐もいいところさ。本人は気づいていないが、虎の尻尾を踏んでしまって、左遷させられた。まあ、狐なんかもったいないな。せいぜいネズミだ」
 いつ虎の尾を踏んだのか、梶山に覚えがなかった。
「幾らなんでも、ネズミはないでしょう」と今度は加藤が大笑いした。
高山は社内でも 一、二を争うくらいの気配りの人と言われている。裏を返すと、相手の機嫌を害するような本音を言わないのだ。だが、酔いすぎて箍が外れたのであろう、立板に水を流すように次々と罵った。梶山は何も言わずただ殴り倒してやりたい衝動に何度も駆られたが、ぐっと抑えた。とはいうものの、ずっと、聞いている気分でもないので、早々に店を出た。
翌日、何事もなかったように加藤が来た。
「実は昨日、高山さんと飲んだんですよ。そして、梶山さんの送別会をやろうという話になったんです。どうですか?」
「ありがたいけど、断るよ。いろいろと身辺整理があるし、転籍は来月だ」
「手伝いましょうか?」
「それも結構。そうだ、高山君に言ってくれ、俺はネズミが嫌いだと」
ネズミという言葉で加藤は凍り付いてしまった。

梶山が本社を去る日が来た。
儀礼的に専務に挨拶するために専務室に行った。
専務は梶山に向かって、「お前が行く子会社は倒産の危機に立っている。子会社をうまく立て直してくれ」と言った。
会社は倒産の危機に対して、まず人事に手を付けることにした。リストラ用に子会社を作り、不要と思われる人間を転籍させることにしたのである。梶山もその一人だった。子会社でやることはない。ただ来る日も来る日も、辞表を出すまで雑用をやらされる。梶山はそれが分かったうえで、「分かりました」と言って部屋を出た。


作品名:突然の転籍命令 作家名:楡井英夫