海竜王 霆雷 年越し
どこの世界にも年の変わる日がある。神仙界にも、それはあって、やはり特別な日であった。無事に、「顔見せ」を終えて、水晶宮も静かになったが、しかし、次は正月だ。また、慌しい準備に突入する。
「来年こそさ。」
「はあ? おまえ、いい加減にしろよ? 深雪。そういうのは、俺が決めることだ。俺は、もういいよ。」
準備で走り回っている幕僚たちを眺めつつ、その準備に参加していない深雪と、その護衛である衛将軍の沢は、のんびりと公宮を歩いていた。正月を迎えるにあたって飾りつけを施したり、年賀の品物を準備したり、帰省するものたちの割り振りをしたりと、いろいろとやることはあるのだが、そのどれにも深雪は参加させてもらえない。正月二日から始まる年賀を引き受けるのに、体調を万全に整えさせておく必要があるからだ。
基本的に、水晶宮でも、十二月三十日で、一端、門を閉める。宮で働いているものは、できるかぎり帰省するために、その日から実家に戻るからだ。大晦日から元旦は、少数の傍付きの女官や官吏だけが居残り、主人の家族たちの世話をすることになっている。そして、元旦の夜には、半分のものが戻ってきて、二日から始まる年始参りに対応することになっている。竜族だけではない神仙界の他の一族が挨拶に訪れる。もちろん、こちらからも、年始の挨拶参りに出向く。長と水晶宮の主人夫婦は、竜族の本拠地である水晶宮で、挨拶を受ける立場にあるので、体調が悪いからと外れるわけにはいかないのだ。
「でも、いい加減にな、沢さん。」
深雪の護衛についてから、衛将軍は実家に出向くこともなければ、自分の家族と晦日を過ごすということもなく、ずっと、深雪の傍らに居座っていた。うっかりというか職務に忠実であったがため。妻を娶ることもなく、そのままずるずると、この年まで過ごしてしまったから、戻る必要がないのだ。実家も、すでに代替りしているから戻ることもないらしい。
二百年以上、いい加減に結婚しろ、と、深雪は言い続けているのだが、沢が是と頷いたことはない。小さかった深雪の護衛というより子守をして、さらに、その子供たちの世話もして、もう、そういうことはやりたいと思わなくなったという。
「それなりに遊んではいるから、もう面倒なんだ。」
「でもさ、夫婦になると違うんだって。」
「だからさ、それだって、ここにいれば、女官たちがやってくれるから必要じゃないしなあ。・・・ていうか、俺の私生活に踏み込むなってんだっっ。」
「俺のには踏み込んでるくせに。」
「ああ? おまえの場合は踏み込まないと、意味がないからだろうがっっ。おまえ、今度は、ちゃんとしろよ? もう、俺は、あの雷小僧の世話なんて絶対にしないからなっっ。」
「わかってるよ、心配しなくても、西王母様が、何人も子守を手配してくださったし、東王父様が、家庭教師も送り届けてくれた。ついでに、廉姉上が自分のとこの女官を貸してくれたよ。」
「顔見せ」が終った後で、霆雷と対面した、神仙界の重鎮たちは、大変な喜びようで、さっさと後見に収まってしまった。そして、その証拠として、子守や家庭教師を手配してくれたのだ。人見知りしない小竜は、深雪とは違って、誰でも世話が出来るから有り難いといえば有り難い。
「年賀の客に乱暴しないようにさせないとな。」
そして、問題点は、元気すぎることと突発乱入が得意であることだ。竜族のみにお披露目しただけだから、あまり顔を見せるのはまずいだろう。
「陸続と美愛に頼んである。とりあえず、二日の朝に、ふたりに、天宮へ年賀の挨拶に出向いてもらっている間は、碧海と焔放が相手をする。」
天宮への参内に、次代の長と水晶宮の次期主人が出向くことになっている。それさえ、乗り切れば、許婚と、深雪の次に好きな長兄が相手をしてくれるとなれば、霆雷も大人しいはずだ。もし、勝手に跳ぼうとしたところで、ふたりなら、簡単に阻止できる。同じ超常力を持っているのだから、他の竜族のものに頼むより確実だ。
「ああ、それなら、なんとかなるか。」
「なんとかならないとまずいさ。いきなり、俺の横に現れてみろよ、相手が怯えるだろ? 」
「確かにな。」
知り合いならいい。深雪の時に体験しているものが大半だ。だが、年賀にやってくるのは、普段は深雪と対面しないものばかりだ。噂で知っていても、実際、突然に姿を現したら驚くこと請け合いだ。
「話を誤魔化したな? 沢さん。」
「うるせぇー、俺は俺の思うようにする。」
結婚を勧めていたのに、違う話に逃げた沢に、深雪は、おいおいと手を振る。沢は、そろそろ壮年の世代だから心配する。
「だって・・・」
「だから、おまえのせいじゃないって、俺は何度も説明したはずだぞ? おまえの世話で婚期を逃したとかいうことじゃないから気にしないでくれ。」
回廊の欄干に座り込むようにして、沢は苦笑する。実のところは、そういうことでもあった。小さかった深雪の身の回りの世話までしていたから、休みを取ることも、結婚することも、失念してしまったのだ。ある意味、沢にとっては、深雪が自分の子供という感覚で、それ以外の子供を作ろうとは思えない。傍を離れられないのは、当たり前だ。沢にとっては深雪は、いつまでたっても心配な自分の子供なのだから。
「こういう時に、蓮貴妃が羨ましいと思うよ。あっちも同じことなのに、あっちは、曲がりなりにも廉という亭主がいるからなあ。」
続けて、沢は、そういうと大笑いする。蓮貴妃も独り身ではあるのだが、あちらは、廉が夫だと主張できるからだ。
「私は、我が上より小竜を授かったと思っております。」
蓮貴妃は、そう言って、沢と同じように深雪の養育に力を注いだからだ。今だって準備で忙しいはずだが、お茶の時間になれば、深雪を探していたりする。
「深雪、そろそろ、お茶の時間です。沢、公宮の東屋に準備させておりますから、あちらへ誘導してください。私くしは、我が上のお手伝いに参りますので、同伴はできませんが、必ず、食べさせるようになさい。」
上空から声がして、何やら荷物を両手にしている蓮貴妃が大声で叫んで、そのまま、上空へと登っていく。あれも愛情というものだ、と、しみじみと、沢は思う。
「食べろ? また、なんか余計なものを用意したんだな? 蓮貴妃。」
面倒そうに、その遠去かる姿を見送り、深雪は呟いた。お茶の時間には軽い菓子ぐらいのことが通常だが、深雪だけは違う。そこに、滋養のあるものだとか、珍しいから口にするかもしれない果物だとかが並ぶからだ。
「諦めて食えよ。」
やれやれ、と、沢も腰を上げる。とりあえず、口にさせたいというのは、沢も思うことだからだ。
いつもなら、たくさんいる世話係が、ひとりもいなくなった。あれ? と、霆雷は不思議に思ったが、どうやら正月休暇になったらしいと、宮の気配で察した。
そして、自分の許婚が、「しばらく、お傍を離れなければなりません。」 と、残念そうに言うに至って、そういや、母親が、そんなことを言ってたな、と、思い出した。
「年始参りに行くんだろ? 仕事なら仕方ないよ、美愛。」
「ええ、天宮に参内してこなくてはなりません。でも、二日で戻りますから、どうか、待っていてくださいね、背の君。」
「来年こそさ。」
「はあ? おまえ、いい加減にしろよ? 深雪。そういうのは、俺が決めることだ。俺は、もういいよ。」
準備で走り回っている幕僚たちを眺めつつ、その準備に参加していない深雪と、その護衛である衛将軍の沢は、のんびりと公宮を歩いていた。正月を迎えるにあたって飾りつけを施したり、年賀の品物を準備したり、帰省するものたちの割り振りをしたりと、いろいろとやることはあるのだが、そのどれにも深雪は参加させてもらえない。正月二日から始まる年賀を引き受けるのに、体調を万全に整えさせておく必要があるからだ。
基本的に、水晶宮でも、十二月三十日で、一端、門を閉める。宮で働いているものは、できるかぎり帰省するために、その日から実家に戻るからだ。大晦日から元旦は、少数の傍付きの女官や官吏だけが居残り、主人の家族たちの世話をすることになっている。そして、元旦の夜には、半分のものが戻ってきて、二日から始まる年始参りに対応することになっている。竜族だけではない神仙界の他の一族が挨拶に訪れる。もちろん、こちらからも、年始の挨拶参りに出向く。長と水晶宮の主人夫婦は、竜族の本拠地である水晶宮で、挨拶を受ける立場にあるので、体調が悪いからと外れるわけにはいかないのだ。
「でも、いい加減にな、沢さん。」
深雪の護衛についてから、衛将軍は実家に出向くこともなければ、自分の家族と晦日を過ごすということもなく、ずっと、深雪の傍らに居座っていた。うっかりというか職務に忠実であったがため。妻を娶ることもなく、そのままずるずると、この年まで過ごしてしまったから、戻る必要がないのだ。実家も、すでに代替りしているから戻ることもないらしい。
二百年以上、いい加減に結婚しろ、と、深雪は言い続けているのだが、沢が是と頷いたことはない。小さかった深雪の護衛というより子守をして、さらに、その子供たちの世話もして、もう、そういうことはやりたいと思わなくなったという。
「それなりに遊んではいるから、もう面倒なんだ。」
「でもさ、夫婦になると違うんだって。」
「だからさ、それだって、ここにいれば、女官たちがやってくれるから必要じゃないしなあ。・・・ていうか、俺の私生活に踏み込むなってんだっっ。」
「俺のには踏み込んでるくせに。」
「ああ? おまえの場合は踏み込まないと、意味がないからだろうがっっ。おまえ、今度は、ちゃんとしろよ? もう、俺は、あの雷小僧の世話なんて絶対にしないからなっっ。」
「わかってるよ、心配しなくても、西王母様が、何人も子守を手配してくださったし、東王父様が、家庭教師も送り届けてくれた。ついでに、廉姉上が自分のとこの女官を貸してくれたよ。」
「顔見せ」が終った後で、霆雷と対面した、神仙界の重鎮たちは、大変な喜びようで、さっさと後見に収まってしまった。そして、その証拠として、子守や家庭教師を手配してくれたのだ。人見知りしない小竜は、深雪とは違って、誰でも世話が出来るから有り難いといえば有り難い。
「年賀の客に乱暴しないようにさせないとな。」
そして、問題点は、元気すぎることと突発乱入が得意であることだ。竜族のみにお披露目しただけだから、あまり顔を見せるのはまずいだろう。
「陸続と美愛に頼んである。とりあえず、二日の朝に、ふたりに、天宮へ年賀の挨拶に出向いてもらっている間は、碧海と焔放が相手をする。」
天宮への参内に、次代の長と水晶宮の次期主人が出向くことになっている。それさえ、乗り切れば、許婚と、深雪の次に好きな長兄が相手をしてくれるとなれば、霆雷も大人しいはずだ。もし、勝手に跳ぼうとしたところで、ふたりなら、簡単に阻止できる。同じ超常力を持っているのだから、他の竜族のものに頼むより確実だ。
「ああ、それなら、なんとかなるか。」
「なんとかならないとまずいさ。いきなり、俺の横に現れてみろよ、相手が怯えるだろ? 」
「確かにな。」
知り合いならいい。深雪の時に体験しているものが大半だ。だが、年賀にやってくるのは、普段は深雪と対面しないものばかりだ。噂で知っていても、実際、突然に姿を現したら驚くこと請け合いだ。
「話を誤魔化したな? 沢さん。」
「うるせぇー、俺は俺の思うようにする。」
結婚を勧めていたのに、違う話に逃げた沢に、深雪は、おいおいと手を振る。沢は、そろそろ壮年の世代だから心配する。
「だって・・・」
「だから、おまえのせいじゃないって、俺は何度も説明したはずだぞ? おまえの世話で婚期を逃したとかいうことじゃないから気にしないでくれ。」
回廊の欄干に座り込むようにして、沢は苦笑する。実のところは、そういうことでもあった。小さかった深雪の身の回りの世話までしていたから、休みを取ることも、結婚することも、失念してしまったのだ。ある意味、沢にとっては、深雪が自分の子供という感覚で、それ以外の子供を作ろうとは思えない。傍を離れられないのは、当たり前だ。沢にとっては深雪は、いつまでたっても心配な自分の子供なのだから。
「こういう時に、蓮貴妃が羨ましいと思うよ。あっちも同じことなのに、あっちは、曲がりなりにも廉という亭主がいるからなあ。」
続けて、沢は、そういうと大笑いする。蓮貴妃も独り身ではあるのだが、あちらは、廉が夫だと主張できるからだ。
「私は、我が上より小竜を授かったと思っております。」
蓮貴妃は、そう言って、沢と同じように深雪の養育に力を注いだからだ。今だって準備で忙しいはずだが、お茶の時間になれば、深雪を探していたりする。
「深雪、そろそろ、お茶の時間です。沢、公宮の東屋に準備させておりますから、あちらへ誘導してください。私くしは、我が上のお手伝いに参りますので、同伴はできませんが、必ず、食べさせるようになさい。」
上空から声がして、何やら荷物を両手にしている蓮貴妃が大声で叫んで、そのまま、上空へと登っていく。あれも愛情というものだ、と、しみじみと、沢は思う。
「食べろ? また、なんか余計なものを用意したんだな? 蓮貴妃。」
面倒そうに、その遠去かる姿を見送り、深雪は呟いた。お茶の時間には軽い菓子ぐらいのことが通常だが、深雪だけは違う。そこに、滋養のあるものだとか、珍しいから口にするかもしれない果物だとかが並ぶからだ。
「諦めて食えよ。」
やれやれ、と、沢も腰を上げる。とりあえず、口にさせたいというのは、沢も思うことだからだ。
いつもなら、たくさんいる世話係が、ひとりもいなくなった。あれ? と、霆雷は不思議に思ったが、どうやら正月休暇になったらしいと、宮の気配で察した。
そして、自分の許婚が、「しばらく、お傍を離れなければなりません。」 と、残念そうに言うに至って、そういや、母親が、そんなことを言ってたな、と、思い出した。
「年始参りに行くんだろ? 仕事なら仕方ないよ、美愛。」
「ええ、天宮に参内してこなくてはなりません。でも、二日で戻りますから、どうか、待っていてくださいね、背の君。」
作品名:海竜王 霆雷 年越し 作家名:篠義