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拝み屋 葵 【壱】 ― 全国行脚編 ―

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正直札


「ちゃうねん」

 ジリジリジリジリジリジリ……

 全方位から聞こえてくるアブラゼミの大合唱が夏の暑さを強調させる。また、太陽光をふんだんに吸収したアスファルトは、体感気温を二度も三度も上昇させていた。
「ウチが求めてる熱い体験いうんは、こんなんとちゃうねん」

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 今回彼女の師匠が持って来た仕事の場所は、石川県白山市。『はくさん』と読む。

 いま彼女がいるのは『松任海浜公園(まっとうかいひんこうえん)』というところだ。日本海に面した非常に大きな公園であり、バーベキュー、グラウンドゴルフを楽しめる他、芝生には遊具を設置してあったり、テトラポットが置かれていたりする。公園内の池の畔には風車まである。
 しかし、彼女の周りはアスファルトに囲まれている。
 松任海浜公園にはすぐ近くを通っている北陸自動車道の徳光パーキングエリアも含まれる。つまり、彼女は高速道路PAの駐車場にいるのだ。

「あ”あ”〜〜と〜け〜る〜〜」

 依頼人から「松任海浜公園で待ち合わせしましょう」との連絡を受け、そこがまがりなりにもリゾート地であることを知った葵は、密かに期待していたのだ。
 何を期待していたのか?
 豪華リゾートホテルでのVIP待遇を、だ。

 もちろん、そんなことはない。

 *  *  *

「あんたさん、三宮さんでないがけ?」
「そうやけどあんたは誰やねん?」
 背後から声を掛けられた葵は、声の主に向かって振り返る。
 そこにはやや小太りの男性が一人、ハンカチで額の汗を拭きながら立っていた。
「わたくし、北出(きたで)と申しますげん。おゆるっしゅたのんまいね。金沢までようこそおいだすばせ。今日の暑さはがんこやさけ、ひどかったんじー?」
「せやな、溶けるかおもたわ」
「車を用意してあるわいねぇ、さっそくつんだって行きまっし」
 北出は葵のバックパックを受け取ると、せかせかと車に向かって歩き出した。

 徳光パーキングエリアを出て、一般道を東へ。
 高速に乗らないのならば、駐車場で待ち合わせにしなくともよかったのではないかと思ったが、冷房の効きが悪いことを何度も謝ってくる北出の姿を見た葵は何も言わないことに決めた。口に出して言おうものならば、うんざりするほど謝られるのが目に見えていたからだ。
 ちなみに、冷房は寒いと感じるほどに効いている。

 着いた場所は徳光パーキングエリアの隣、松任バスストップという高速バスの停留所だ。直線距離にして約五キロといったところだ。
「さでは、かーで行くがいね」
 北出は葵の依頼人ではなく単なる仲介人だ。日本全国には彼のような仲介人が散らばっており、彼らを通して依頼が寄せられる。事前調査が彼らの主な役目だ。
 北出が言うには、依頼人はあまり人目に付きたくないらしく、利用客があまりいないこの場所を指定してきたとのことだ。
 通常、この手の怪しい匂いがする依頼は受け付けられることはない。だが、理由は分からないが葵の師匠はそういう依頼を立て続けに引き受けていた。
 もちろん、実際に動くのは葵一人である。

「どうぞ、お静かに」
「おおきに」

 北出の軽自動車は葵を置いて走り去った。

 *  *  *

「ウチに用でもあるんけ?」
 高架線上の停留場に向かう階段へ足を進めようとしたときに、背後からの視線を感じた葵は、その視線の主を牽制する声を掛ける。
「……!」
「ええから、出てきいや。捕って食ったりせえへんよ」
「ほんとうに?」 物陰から響く子供の声。
「ホンマや」
 葵は内心では安堵のため息をついていた。
 得体の知れない相手からの依頼の場合、命を狙われることが多々ある。その相手は商売敵であったり、逆怨みの相手であったり、ただの敵であったりする。

「かぁかやと思うたげんて。堪忍してま」
 物陰から現れたのは、十歳にも満たないであろう少年だった。
「そうなんや? お母はんと間違われたんも地味にアレやけどな。構へんよ」
「きのどくに」
 葵の傍まで駆け寄った少年は、ぺこりと頭を下げる。
「ほんで、こないなところで何してはるの?」
「かぁかを迎えに来たわぃねぇ。さを上ったところで待つんがいや」
 少年は葵が向かっていた階段を指さした。
「そら奇遇やなぁ、ウチもそこで待ち合わせしとるねん」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。

 階段を上ると、そこは高速道路の車線に面した停留所だ。ジリジリと鳴くアブラゼミの大合唱は、ここでも途切れることはない。
 少年は右から左へと文字通り高速で走る車に怯える素振りを見せていた。
「なんや自分、ここ初めてなんかいな?」
「ほうや」
「へぇ。もしかして、お母はんとなんかあったんか?」
「ケンカしてもうたわいねぇ」
「そんで、ご機嫌取りっちゅうわけやな?」
「ほうや」
「仲直りなら確実な方法があるねんけどな、どや? 知りたないか?」
「さ、かさだかやないんけ?」
「そないなことあらへんよ」
「教えてま!」
「その前に、なんでケンカしてもうたんか教えてな?」
「とぉとは死んでもうててん。かぁか、新しいとぉととつんだって暮らしまっしま言うとったがいや。さ、嫌なんや。新しいとぉとは嫌いやない。けど、つんだって暮らすんは嫌がいや」
「お母はんのこと、好きか?」
 少年はこくんと頷く。
「お母はんはな、お父はんのことを嫌いになったわけやないねん」
 少年は再びこくんと頷いた。
「ほんなら、お父はんはどう思てはるやろか?」
 少年は首を横に振る。
「きっとな、新しいお父はんが愛する家族を代わりに守ってくれはるんやったら、お父はんは怒らへんと思うねん」
「……」 少年は何の反応も見せなかった。
「せやから、ただ謝ったらええねん」
「そうなんが?」
「せや」

 アブラゼミの大合唱が、相も変わらずジリジリと鳴り響いていた。
 時刻表と葵の時計が共に正しければ、まもなくバスが到着する時間となる。それを知っているかのように、少年はそわそわと落ち着きがなくなっていた。
「どないしてん?」
「ちゃんと謝れるんか不安がいや」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
「ほんなら、ウチが手助けしたるさかい。ちょいと待ってな」
 葵は背負っていたバックパックからいくつかの道具を取り出した。
 一枚の紙切れ、毛筆、それと小瓶だ。
「ウチの仕事な“拝み屋”いうねん」
「おがみや?」
 少年は鸚鵡返しに訊ねながらも、葵の手元から目を離さなかった。何をするのか気になって仕方がないという旺盛な好奇心が見て取れる。
「便利屋さんみたいなもんや」
 毛筆を口に咥えた葵は、小瓶の蓋を外して、そのまま蓋に中身を注ぐ。
 赤い液体が注がれた蓋を地面に置き、どっかりと胡坐をかいて座った。