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理想の結婚

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『理想の結婚』

「私は分からないの、どうしたらいいの?」
 二人の男に同時に結婚を申し込まれ、悩み続けたナオミ。思いあまって、そのことを、こともあろうに結婚を申し込んだタカシに相談した。もっとも、そのとき、タカシは自分が申し込んだ人間の一人であることを忘れていた。酔った拍子につい口が滑らせてしまったのだから。
「ねえ、どうすればいい? タカシ、教えて」
 彼女は何一つ自分では満足に決められない、かわいいだけが取り柄の女である。ぽっちゃりしていて笑みがかわいい。胸も豊かだ。男の前では甘ったるい声をして子猫のように振る舞う。大抵の男なら一度は声をかけてみようかという気にはなるが、賢明な男なら決して結婚など口が滑ってもいわない。なぜなら彼女は何一つ、満足に決断できない阿呆女だからだ。
 ナオミの話を聞いているうちに、自分も軽はずみに「結婚しよう」と言ったことを思い出した。そして一夜をともにしてしまったことも。どういう意味で自分に相談しているのか考えた。まさか、自分も彼女が悩んでいる結婚相手の一人? あれはもののはずみで言ってしまったのである。もしも、彼女の方から『あの日のことは気にしていないよ』と言ってくれたなら、彼は何ら気に止めることなく、またハンサムあれでプレイボーイの男に戻れたはずだったのだが…。
「心配しなくともいい。人生ってのはね、神様が決めてくれるんだ。きっといい方向にね」
 格好つけるのが、このハンサムボーイの最大の欠点であった。ナオミがミッション系の短大を出て一度はシスターを夢見たということをちゃんと覚えていた。
「私のこと、神様はちゃんと見て下さるかしら? いいえ、見ていないわ、だって、私がこんなに悩んでいるのに、何も教えてくれいもの」
 演じるのはプレイボーイだけではない。一般的には男よりも女の方がずっと演じることに長けている。そのことを男たちは知らない。純朴そうで、かわいいナオミのことを、プレイボーイは『僕の汚れなき天使』と呼んだが、天使というのは決して演じたり打算したりしないものである。この点でも彼は大きく見誤っていた。
「大丈夫だよ、僕がついているから」
 これも単なるもののはずみで言ってしまった言葉である。
「信じていいの?」
 彼は目をきょとんした。
「実を言うと、ずっと前からあなたに決めていたの。でも、あなたが今一つ、分からなくて…ごめんなさい。でも、やっと分かったの。あなたが本当は心優しい人だって、結婚の申し込みを受けるわ。ああ、やっぱり、神様はいらっしゃるのね」
 感極まったのか、ナオミは泣き出した。
 タカシは女の涙が苦手だった。
 まあ、いいさ、後で誤解を解けばいいと思った。これもまた大きな誤算であった。

 人間の運というのは、悪いときはとことん悪いらしい。タカシの例はまさにそうだった。
 ナオミは電光石火のごとく結婚の段取りを決めてしまい、もはやどうしょうもない状況にタカシを追い込んでしまったのである。
「結婚するらしいじゃないか、このプレイボーイ! 年貢の納め時と観念したか」と彼の先輩が言ったときには、目の前が真っ白になり、思わずよろけてしまった。ナオミは勝手に社内で結婚式の招待状を配ってしまったのである。

 タカシには結婚に関して夢があった。
 朝、目をさますと、美しくて献身的な妻が夫よりも目は早く覚ましていて、朝食の支度をしている後ろ姿が目に映る。彼は欲情を感じ、布団をけっ飛ばしその小さなお尻にしゃぶりつく。「だめよ、昼間っから」と恥じらいながらも決して拒まない。そんな夢を結婚相手を求めていた。もっとも結婚はずっと先のことと考えていたが。
 それがどうだろう。まさか、こんなにも早く結婚するなんて…。想定外ではあったが、彼が最終的に結婚を受け入れたのは、ナオミがかわいい妻を演じてくれるという淡い期待を抱いたからだ。

 しかし現実は大きく違っていた。まさしく期待は淡く、そして消えた。
 ーーその日もそうだった。
 朝起きると、ナオミはまだ布団の中。け飛ばしても起きない。仕方なしに起きると、昨日の残り味噌汁を温めていると、
ナオミが「ねえ、めざしも焼いて」。
振り向くと布団からはみ出た山のような尻がある。結婚して一年も経たないのに専業主婦が楽なせいか五キロも太った。それがもろに尻や腹にきている。さすがに頭にきたタカシは「いつまで寝ているんだ」と怒鳴りにいくと、
「ねえ、昨日は何もしてくれなかったでしょう…だから、お願い」と抱きついてきた。「わたし、幸せ、神様のお願いした通りの人生よ」と彼女は呟いた。
 タカシは深いため息つくと同時に言葉にこそしなかったが、心の中で叫んだ。『どこがシスターに憧れただ! この嘘つきめ! お前は本能だけで生きている。何が神様だ! いっぱい食わせやがって! 畜生!』
作品名:理想の結婚 作家名:楡井英夫