熊
たいていその生き物たちは、あなたを見かけると逃げ出す。あなたにだってそんな生き物と関わる時間などない。しかし視界の生き物は、なにやら細長い物を取り出し、その先をあなたに向けた。もちろん、あなたはそれが何であるかなど知らない。
その先端が、オレンジ色の光のような物を発したと思った瞬間、あなたの頭は大きく後方に向いた。何かがあなたの頭を直撃したのだ。あの細長い物の先から、灰色のもやもやしたものが出てくるのを見ながら、あなたは衝撃に耐え切れず倒れた。
嗅ぎ慣れた土の匂い。しかし今あなたは、その優しげな匂いよりも、頭を襲うひどい痛みに、感覚を持っていかれてしまっている。温かい液体が顔を伝う。木や草で少し体を切ったとき、出てくるあの赤いやつだと、あなたは気付いた。
痛みに慣れてきて、しかしまだ動けないでいるあなたは、なぜ突然こうなったのか、考え始めた。あの生き物が持っていた、細長い物。あれが小さく光ったかと思うと、こうなったのだ。ああ、あれはもしや、自分たちが時々話していた、自分たちを殺す道具ではないだろうか。それを、自分は頭に受けてしまった。理由はわからないが、頭に受けることは腹に受けることより数倍ひどい気がした。
ほら、新たな音が。がさりがさりと藪を掻き分け、何かがあなたに近づいてくる。土を踏みしめる足音も聞こえてきた。あなたは目を閉じている。でも意識はまだある。あなたはわかる。音が、あなたの顔の前で止まったのを。
目の前にいる生き物が、何か叫んだ。あなたには言葉はわからないから、何を言ってるかなんてわからないだろう。でもそこから、その生き物はどうやら嬉しそうだということが感じられた。
……あなたは怒っている。生き物を殺そうとして、なぜ喜ぶ? 魚や虫ならわかる。あれらは生きるために殺すのだ。だが、山を下りて戻ってきた仲間の話では、この生き物が魚や虫のように自分たちを食べるのは稀で、自分たちに特殊なことをほどこし、この姿のまま、住処に置くというではないか。何のためだ。なぜ殺した仲間を土に返さない。山の糧としないのだ。なぜ既に存在しない物を、いつまでの残しておく。生き残るためでもないのに、なぜ自分たちを殺す。
怒りが、あなたの体に力を取り戻させた。この生き物は、自分たちで植物を作り出すことができる。しかし自分たちにはできない。植物がなぜか最近減り、自分たちの食べる動物も減ってきている。この生き物はいつもある時期になれば、かならず植物を生やし、必ずたくさんの実をつけさせることができる。それを、自分たちが少しもらっても、痛くないではないか。もっと下にはたくさんこの生き物がいて、食べ物もたくさんあるだろう。食べ物が減っているのも、この生き物たちが山の中にまで住処を作り始めたからだ。
あなたの手が、動いた。どうやらもう一度立ち上がれるようだ。目の前の生き物の気配はまだある。さっきよりも気配が近い。叫んだ口が、下のほうにあるようだ。あなたたちのように、四本足になったのかもしれない。
さあ、起き上がれ。あなたは何も悪くない。この辺りのあなたの仲間は、誰もこの生き物を殺していない。あなたはこの生き物の作った実を食べただけ。住処を荒らしてもいない。あなたは今までのように、決まった距離だけ山を下りただけ。この生き物の住処がたくさんあるところに、行きたかったわけじゃない。
あなたに非などありはしない。それなのに、あなたが立ち上がっただけで、あなたはこの生き物に攻撃された。そう、あなたは悪じゃない。あんなに距離があったにも関わらず、何もしていないのに攻撃した、この生き物こそが悪だ。これはあなたがあなたの命を守る、正当防衛だ。
さあ。
……ほうら、生き物が倒れた。何か言ってるようだが、あなたにはわからない。ただ、ひどく怖がっているようだ。あなたはまず、あの細長い筒を投げ飛ばした。藪どころか、その向こうの山林の中に消えた。
一歩進む。生き物は立ち上がることさえできないようだ。足がふらつくが、生き物よりはましだ。
あ、とうとう生き物が立ち上がった。なかなかすばしっこいが、あなたには敵わない。あなたは四本足になって、走る。すぐに追いついて、まずその爪で生き物の後ろを裂いた。魚や小動物を殺しても、こんなに血は出ないし、叫び声も上げないだろう。手間がかかるし、やかましい獲物だ。
生き物はまた倒れたが、しぶとく立ち上がり走り出した。だが遅い。あなたの傷が深くとも、優勢なのはあなただ。
あなたは生き物に近づくと立ち上がり、吼えた。あまり吼えるのは好きではないが、もうあなたは自分の命がなくなるのを知っている。この憎き生き物を殺した後で。
あなたの吼え声に、生き物はこちらを振り向いた。そこをあなたは両手で掴み、牙を突きたてた。あなたの顔のすぐ横で、生き物の口からまた叫び声が上がった。本当にうるさい。黙らせるために、あなたはより深く牙を潜りこませた。よけい叫び声がひどくなった。
噛み付いた場所の肉を食いちぎると、生き物はばったりと倒れた。しかし生き物はまだ生きている。あなたは魚や小動物を仕留めるときと同じように、生き物の腹に食いついた。うまくないが、別に食べるためじゃない。叫び声がますます大きくなった。
腹の中身が見えたところで、生き物はとうとう静かになった。あなたは満足した。安堵すると同時に、あなたの傷が痛み出す。もう長くはないようだ。
あなたは、この野蛮な生き物の隣で死ぬのは嫌だった。だから力を振り絞り、あなたは歩く。すぐそこを下ったところにある、川原へ。
あの赤いやつが音を立てて地面に落ちているのを、あなたは川原の石の上を歩いているときに、気づいた。おそらく、あの生き物を殺していたときも、ずっと流れていたのだろう。脚が震える。手もだ。
もう一歩、進もうとしたところで、あなたは倒れた。痛みはもうない。代わりに、猛烈な眠気があなたを襲った。
あなたにはもうわかっている。理由もなく自分を傷つけた生き物を、同じ目に合わせてやっただけで、あなたは十分だった。あの生き物に怪我をさせられた時点で、わかっていた。この傷は、自分を死に至らしめるものだと。大抵、そういうことはわかる。
あなたは逆らうこともせず、眠気に任せて目を閉じた。死。死など怖くない。ただ眠るだけ。眠ってしまえば、自分の存在がどうなるなど、わからない。知ることなどできないから、逆に幸せだと、あなたは思いながら、眠った。