何時か来る崩壊に告ぐ
君は月よりも強か(横森+利鞘+α)
※クロスオーバー要素が含まれます
利鞘縁が横森可奈を初めて認識したのは入学して間もなく、同級生である豪炎寺と共に食堂に居た時である。その日は三限目の時間が空いており、時間割を正式に提出するまでにはまだ数日の猶予があった。必修科目は埋め終わり、さぁ教養科目を埋めようということと相成ったため、こうして顔をつき合わせていたのだ。
まだざわつく食堂内の空席はまばらで、利鞘と豪炎寺の隣がそれぞれ一つずつ。つまり利鞘の右隣の席とその正面が空いている状態だった。そこに一人の学生がやってきて、空席かどうかを尋ねてきた。空いてますよ、と利鞘が言えば、その女は礼を言った後、両腕で抱えていた大きなトートバッグを机に置いてからふらりとカウンターの方へと歩き去った。そのバッグの大きさと、見るからに重そうな外見に利鞘は思い切り眉を寄せ、うんざりとしたような声を出した。
「俺たちもこんなに持ち歩く羽目になるわけ?」
「…学科にもよるだろ」
淡々としている、と思えるだろう豪炎寺の声にもやや覇気がない。おそらくそれには諦めも混じっているのだろう。
えぇ、と利鞘が声を出した後、二人顔を見合わせて何とも言えない表情を作る。言いたくはないが、二人の学部は医学部であり、考えうる最大限の参考書が多くなるだろう学部であったからだ。
しばらくして戻ってきた女はそのまま席に腰を下ろすかと思えば、トレイを両手で持ったまま立ち止まってしまった。見れば、どうやらトレイの置き場を考えずにバッグを机に置いてしまったらしく、利鞘はそのバッグを奥に押しやってあげた。女はまたも、ありがとう、と礼を言ってからトレイを机に乗せてサブバッグも肩から下ろして奥に追いやった。
ぽすりと軽い音を立てて座った女は行儀良く胸の前で手を合わせてから白いプレート上のホットケーキにナイフを向けた。甘そうだな、と利鞘がその手元を横目に見ていると、不意に女が声を掛けてきた。
「一年生かしら」
「あぁ、はい」
「そうなの、頑張ってね」
「えーと…先輩、ですよね?」
「えぇ、学年は三」
「何かお勧めの教養科目ってありませんか?まだよく分かんなくて」
利鞘の言葉を聞き、女はしばらく無言でホットケーキを咀嚼していたが、ごくりと飲み込んでから利鞘を見上げた。どうやら女はごくごく平均的な身長であったらしい。
「取りやすくて簡単な授業のことかしら。それとも、あなたたちが興味を持てる講義?」
利鞘と豪炎寺は一瞬顔を見合わせたが、利鞘がすぐさま言葉を打ち返した。
「どっちも、っていうのは?」
「欲張りさんねぇ」
ふふ、と女は微笑み、それから腕をぐっと伸ばしてトートバッグの中から白いファイルを取り出した。そしてその中から更に用紙を二枚、ボールペンを二本抜き取る。それらを一セットずつに直し、利鞘と豪炎寺に手渡した。プリントには見やすいフォントで大きく『空欄を埋めて下さい』と書いてあった。
そしてその下には三行の数字が並んでいる。イコールがそれぞれ全て10になっていることを見ると、どうやら4つ数字たちを四則演算で10にせよ、ということらしかった。利鞘が豪炎寺を伺い見るも、彼は既に脳内で数式を組立始めたらしい。用紙に視線を落とし、ボールペンを持っている。
6・0・3・5と4・2・0・3、それから1・4・2・3の三列を解き終わり二人同時に女へ突き出すと、ホットケーキをバラバラに切り終えたらしい女はまたも微笑みながら受け取った。女は二人から返却された用紙を見比べ、「はい、どちらも正解」と言った。
女はそのまま用紙をボールペンをファイルに元の通りに仕舞い込み、再びフォークを握る。それに慌てたのは利鞘で、あの、と焦ったような声を出した。
「期待したでしょう」
肩を竦めながら女は笑う。
「今、あなたたち、私に何も言われなかったのに解いたでしょう」
その言葉に利鞘と豪炎寺の目が見開かれる。
「理由は…まぁ、色々あるけれども一番はきっと『この問題を解くことで教養科目のヒントをもらう』でしょうね。意識したかは聞きません。意味がないから。でも、あなたたちが私との利害関係を計算した結果であるとは言い切れないし、また否定もできないわ。えぇと、面倒だから端的に言いましょうか。あなたたち、私に騙されたのよ」
かくり、と首を傾げた女に食ってかかるような声を出したのはやはり利鞘だった。
「まだです」
豪炎寺が目を瞬かせている。が、こうなれば止まれなかった。
「まだ、騙せてませんよ、俺を」
何を、とは言わなかったし、何故、とも言えなかった。しかし女は二度、大きく瞬きをした後にゆっくりと破顔してもう一度バッグの中へ手を伸ばした。再び抜き出された手に持たれていたのは、二センチメートルはありそうな分厚い一綴りのファイルだった。女はファイルをそのまま利鞘に差し出す。反射的に受け取ったファイルの表紙には『共通教養』と書いてあった。
これって、と利鞘が女に問い返すも、女はいともあっさりとした様子でホットケーキを食べている。使う?使わない?と質問で返されれば、利鞘は急ぎ「使います!」と言った。その様子に気分を害した様子もなく、女はさっさとホットケーキを完食し、フォークを置く。
利鞘がファイルの表紙をめくれば、科目名とレポート提出者の名前、それから右上の『S』の文字が見て取れた。科目名には見覚えがあり、シラバスの一番最初に掲載されていたものだった。
利鞘が豪炎寺にも見えるようにファイルを差し出しながら女に声を掛けようとするが、それは第三者によって遮られる。
「先輩、お待たせしました!」
こちらの机に近付いてくるのはやや高めの身長に似合ったリーチの長さを持つ女子大生で、胸あたりまで伸ばされた栗色の髪が揺れていた。
「そんなに急がなくても良かったのよ」
「いいえ、大丈夫です」
そう、と返しながら女はプレートたちを机に残したまま立ち上がる。お願いしていいかしら、と利鞘と豪炎寺に問えば、安い駄賃だと反射的に二人が頷いた。今度は利害関係をきっちりと計算できたらしい。
では、とバッグたちを抱えてさっさと立ち去ろうとする女の背に声を掛けようとしながらも、利鞘は口ごもる。そういえば学科も、名字も知らない。名も知らぬ先輩から借りたファイルをどう返却すれば良いのか、と。とっさにファイルの学生名を見て、それから二人連れでこちらに背を向けた女子大生たちに叫ぶ。
「足立先輩!」
女は振り向いた。しかし、それは先ほどまでホットケーキを食べていた女ではなかった。振り向いたのは、今まさにその女を先輩と呼び、迎えにきた女だった。
え、と利鞘が声を漏らすと、先ほどまで隣に居た女がゆっくりと振り向き、崩れぬ微笑みで言う。
「やっぱり騙されていたでしょう?」
この学校の執行委員長の、横森です。そう言って女、横森は本物の足立と共に食堂から立ち去った。これが利鞘と横森、それから足立の初遭遇と相成ったのである。
作品名:何時か来る崩壊に告ぐ 作家名:こうじ