虚構世界のデリンジャー現象
木虎と陸奥と胃痛とホットミルク
「胃痛が痛い」
聞きとれるか否かの音量で漏らされた「胃が痛い」という木虎の呟きに、プレイしていたPSPの画面から視線も上げずに陸奥は「おや?」と首を傾げた。
木虎の「〜〜が痛い」という発言は、そうたいしてめずらしい事でもなく、よく木虎はあちこち痛がっている。目とか肩とか腰とか頭とか、そのあたりを主に。特に一番多いのは頭痛で、それは大抵が眼精疲労と肩凝りからくるもので、要するにネットヘビーユーザーである木虎の自業自得の痛みだった。
なので、陸奥が反応したのはここ最近はあまり聞かなくなっていた「胃」の単語の方にだ。
「めずらしいね、胃痛って。久しぶりに聞いた気がする」
「俺も久しぶりに胃痛が痛い」
鳩尾あたりを押さえて、木虎がうめく。
ちゃららちゃちゃ〜♪と聞き慣れたBGMでクエストが終了したのを確認し、PSPを机に置くと、陸奥は眉間に皺を寄せた木虎に改めて目線を向けた。
顔色は悪くはない、と思う。
もう日暮れも間近で、節電だ経費削減だなんだと理由を付けて蛍光灯の本数の減らされた教室内は薄暗いので、いまいちわからない。
「ホットミルクか何か飲む?胃粘膜保護したら?」
当然のように胃薬など持ち合わせていないので、陸奥は急場しのぎの対処法を提案してみた。紙コップ式の自販機の設置されたホールまでは歩いて5分もかからない。
特に用事もあるわけでもないので、別にそのまま帰宅しても何も問題はないのでPSPの電源を落としてケースに仕舞う。
「紙コップの自販機ってホットミルク売ってないよな」
「そういうえばそうだねぇ」
木虎の言葉に自販機のラインナップを思い出しながら、陸奥は「そういえば」と肯いた。
そういえば、ホットミルクが売っているのは見たことがない。紙パックの自販機の方にはミルクはあるが、そちらは確かコールドだ。ホットの場所にミルクが置いてあるのはみたことがない、気がする。確証はもてないが。
「紙パックの方は冷たいのしか売ってないと思うし、冷たいのでも効果あると思う?」
冷たいのじゃ意味がないような気がするねぇ、と陸奥が困ったように笑うのに、木虎は何故か胸を張って答える。
「というか、それ以前に俺はホットミルクは飲めても冷たい牛乳は嫌いだ」
「……桂秋さん」
ふふん、と勝ち誇ったようなよくわからない木虎の表情に陸奥はがっくりと項垂れて、ショルダーバッグのジッパーを閉じた。木虎はストールを捲いてケープに袖を通している。
「そのふたつにいったい何の違いがあるのか、ぼくにはよくわかんないんだけど」
「俺もよくわからん」
椅子から立ち上がって、ふたり並んで教室の出口へと向かう。
既にホールに寄って自販機でホットミルクを買うという案は却下されているのか、木虎の向う方向は大学の出口の方だった。
「で、どうするの?」
「コンビニ寄って普通に牛乳でも買う」
「飲みきれなくない?」
「飲みきれないから今日はシチューにする。陸奥も消費に手伝え、絶対余る」
「あ、食べる食べる」
「ついでだから泊ってけ。明日は講義なしだろ? DVDでも借りてなんか観るか」
「そうだねー」
木虎にシチューを作る気力があるというなら、まぁ大丈夫なのだろう。何がとは言わないが、体調的なものとか精神的なものとかまぁいろいろと。
淡々と自分勝手に予定を埋めていく木虎に特に反論するでもなく、流されるままに陸奥は頷いて夕食のおかずに思考を巡らせる。
さて、シチューと一緒に食べるならいったい何がいいだろう。
「思うんだけどさ」
「うん?」
「シチューの食べ合わせって地味に困るよね」
「それはまさしく今、俺もどうしようか困っていたところだ」
*
胃痛と木虎と陸奥と。
木虎と陸奥は歩いて5分くらいの距離にある学生専用アパートに住んでいます。
草鹿陸奥(くさがりくおう)、薬学部。
木虎とは中高一緒で大学は学部が別になった。
初出:2011/04/20 (Wed)
作品名:虚構世界のデリンジャー現象 作家名:ふちさき