海竜王 霆雷9
竜王妃同士にも連絡網のようなものがある。先日の出来事については、そちらから廉の許へ、きっちりと報告されていた。現長の正妻である廉は、独自の諜報機関を手にしているから、事細かな情報というものを逐一把握している。美愛の婿選びに際しても、自分の配下を隠密裏に従わせていた。
「あれはすごかった。華梨にも見せたけど、ああいう波動というのは、俺も初めてだ。威圧感がある。」
もちろん、主人も意識を跳ばしていたから、そのことは見ていた。後で、妻にも見せて、あの波動については尋ねたが、神仙界にはない波動だと、妻も驚いていた。
「おまえ、そんなことをしているのか? 呆れた親バカだな? 」
「そんな意味で覗いているわけじゃない。いや、心配しているのかな。」
負けん気の強い自分の娘が、トラブルに巻き込まれてはいないか、という心配と、久しぶりの人間界にも興味が沸き起こっていた。数百年も昔に絆を断ち切ってしまった世界だが、懐かしいとは思うのだ。すっかりと変わってしまった人間界に驚きはしたものの、娘の選んだ相手には納得した。やはり、そうなるのか、と、自分の予想の正しさを感じた。自分には持ち得なかった体力と、カリスマ性を備えた婿だ。まだ、若いから、そのカリスマ性が完全に開花しているわけではないが、あの波動から察するに、自分のような和気藹々とした幕僚との関係ではなく、よくいえば、トップダウンの態勢、悪く言えば唯我独尊な政治力を発揮することになるだろう。ただ、婿となる人間の青年は、まだ若く、いろいろと経験を積む必要はある。それは、何も神仙界において積む必然があるわけではない。ある程度の年齢までは、人間として積めばいいだろう。
「確かに齢十数年となれば、おまえより、ずっと年下だ。私も、それでいいと思う。だが、闇雲に、『人間界におれ』などと命じたら、逆に、反発するかもしれない。」
「そうだろうか。」
「そういうもんだろう。たぶん、あの年齢なら、反抗期かもしれない。・・・・おまえだって、あのくらいの時は、滅多矢鱈に天邪鬼だったじゃないか。」
「ほほほほほ・・・・そういえば、そういう時期がございましたね。」
主人が竜になって百数十年ぐらいの頃、保護者たちの言葉に耳を貸さなかった時期があった。頭ごなしに押し付けられる言葉が、どうにも納得できなくて、反論ばかりしていたのだ。廉も嫁ぐ少し前から、主人の養育に携わっていたから、ある意味、逆らえない相手だ。自分の恥ずかしい過去を口にされて、主人も苦笑するしかない。今では、立派な水晶宮の主人となった深雪だって、子どもの頃は、虚弱ではあったが、手のつけられないやんちゃ小僧ではあったのだ。それを、育てていた廉ともなると、反論するとかいう問題ではないことになっている。余計な反論は、攻撃が三倍返しになる。
「古いことを・・・」
「だが、楽しみな人材だ。しかし、二代続いて、やんちゃ小僧とはな。」
自分が育てた現主人の姿を、上から下に眺めて、しみじみと、廉は吐き出す。先代夫婦が親代わりをしていたが、仕事が忙しいこともあって、長夫婦も、同時に親代わりをしていた。長ともなると、かなり過保護で兄バカで、今でも、主人の体調のことを気にかけているほどだ。
「今度は最初から拳で語り合えそうで、私は楽しいよ、深雪。また、手伝いはさせてもらう。」
「お手柔らかに頼むよ、一姉。」
「いや、今度は私が叔母バカになるのさ。もう、しつけはしないで、全開で甘やかしてやる。」
「あら、廉は、背の君に対しても姉バカでしたわ。今更、何を・・・・」
「程度の問題だ。おまえの兄は、信じられないくらいに、深雪に甘かった。うえっ、と、顔を歪ませた時点で、叱るのをやめて宥めてたんだぞ? 孤雲たちがいなかったら、こいつ、甘ったれの我侭小僧のやなヤツになっていたはずだ。」
「確かに、そうかもしれないな。太子府が動き出して、孤雲さんや季迪のじいさんが厳しかったからなあ。」
昔日の記憶に、三人して笑みを浮かべていたら、その厳しかった相国が、「古いことを蒸し返してないで、現実の話を進めてください。」 と、苦笑する。実際、深雪の反抗期なんてものは、普通より短くて大したことはなかった。ちゃんと理路整然と反論していたから、そろそろ、一人前の大人として扱うほうがいいだろうと、その反抗期を境にして、皆が、頭ごなしに押し付ける方式の教育はやめたのだ。
「私が言いたいのは、『竜になりたい』と、その婿殿が言うなら、その意見には耳を傾けてやるべきだということだ。当人が、ちゃんとした意見を持っているなら、それを尊重するのも、大切だと思う。・・・お前とは違うのだから、それだけは、心に留めておいてほしいと思った。」
それぞれの理由があって、竜になる。それは、それぞれの事情や理由があるのだから、一概に、「若いから」 という理由で、竜になることを拒絶してやるな、と、いう、廉からの忠告だった。
「おまえは、どうしても未練が強かった。・・・・それは、おまえの境遇からすれば当たり前だったろう。だが、美愛の婿殿は、おまえとは違う。」
「・・・うん・・・」
「おまえは泣いてばかりの自分を卑下していたけど、私は、その気持ちが、とても大切なものだったと知っている。だからな、深雪。ちゃんと話を聞いてやれ。いいな? おまえは、その痛みを一番理解しているのだから。」
「・・・ああ・・・うん・・・」
誰だって、個々に理由や信条がある。一概に、それを決め付ける必要はない。相手を思い遣りすぎて、それを見失うな、と、廉は教えてくれていた。
「お会いしたら、その辺りのことも話してみるよ。経験者として、俺が感じていたことを。」
「ああ、そうすればいい。」
話はそれだけだ、と、言い終えて、廉はさっさと部屋を出て行く。今は、執務時間だから、用件だけで引き上げてくれるらしい。親代わりをしてくれた相手には、どうあっても敵わないな、と、主人はぽつりと漏らして、仕事に戻ることにした。