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娘と洗濯物と私

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昔から不安定な立場というのに弱い。思えば中学生の頃からそうだった。定期考査の度に点数が落ちてないかと結果発表まで眠れぬ夜を過ごし、大学では単位取得の可否で胃腸を痛めつけ、資格試験も受けているときより結果を待つときの方が酷く緊張した。雀百まで踊り忘れずとは言うが、人間だって四十を過ぎたからと言って昔の習慣が抜けるわけもない。
「吉か凶かでドキドキさせられるんなら、いっそ今すぐ凶だと分かった方が良い」なんて考え方は結婚し、娘を持つに至った今も変わっていない。
――娘。そう、問題は娘なのだ。

 親の欲目と依怙贔屓に恋は盲目を掛け合わせた結果だが、うちの娘は世界一可愛い。私はとにかくとして、こちらも彼女の世代において世界一可愛い妻から産まれたのだから当然と言えば当然だ。そして可愛い子から冷たい言葉を浴びせられると傷つくのは幾つになっても同じだ。まして自分の子供からのものとなれば痛みは数倍に跳ね上がる。
 それでも世間一般の娘、特に思春期の娘というものは父親に大変厳しいらしく、TVドラマなどで父親たちはケチョンケチョンにあしらわれている。それが明日は我が身か、いや明後日は我が身かと想像するだに私の心は冷え上がっていく。

 かくして不安定な立場に弱く、世界一可愛い自分の娘に拒否されることを恐れる私はポリ袋を片手に玄関のドアをそっと開けるのだ。向かう先は歩いて10分ほどのプレハブの建物。薄汚いと言っては失礼だが、綺麗とは言い難いその建物に私は週に2,3回通っている。若い者ばかりが多いこのような場所に、私のようなオジサンが入るのはいささか躊躇うところもあり、運悪く彼らに遭遇したときは肩身の狭い思いをしているのだが、幸いにも今日は先客はいなかった。

 ポリ袋の中身を落とし込み、コインを投入する。50円をケチって持ってきた袋入りの洗剤を投入すれば、後はスイッチを押すだけだ。ガタピシと震え出す洗濯機。そう、私はコインランドリーにいた。

 自宅にも洗濯機はある。そこで洗えばいいのは分かっている。しかし、私は怖いのだ。娘から汚いもの扱いされるのが。コリオリの力か運命のルーレットか電動モーターのいたずらか、まるで抱き合う恋人同士のように絡まってしまった私の下着と娘の衣服を彼女が指先でつまむようにして持つ日が来ることが耐えられないのだ。
 愚かな父親だと笑わば笑え。しかし、娘の心と私の心、そしてなけなしのプライドを守るためにはこれしか方法はなかったのだ。
 かくして私はコインランドリーに通い詰める。妻の呆れた顔に見送られながら、ご近所の奇異な視線に晒されながら、若者たちの無言の圧力に耐えながら。

 それにしても、今日は暑い。洗濯機と乾燥機に囲まれエアコン一つ無いこの建物はなおさらだ。コインランドリーの近所にはコンビニがあるので、そちらで涼を取ることにする。洗濯物を残していくことにためらいはなかった。四十過ぎのおっさんの下着は、窃盗罪のリスクを乗っけた天秤と釣り合うものでは断じてないだろうから。

 入ったからには何か買わないと申し訳ない。そんなことを考えるのは性格か歳のせいか、とにかくエアコンの冷気という恩恵を賜った身としてはただ眺めて帰るというのは心苦しい。この暑さの中スナック菓子を食べる気にはなれなかったから、目と足は自然と冷たいものの方へ向かう。

 アイスが納められたボックス、そのスライド式の扉を開ける。まず目に入ったのは赤いかき氷。チョコレートをコーティングしたコーンを従えたバニラアイス。カップアイスはちょっと面倒だろう。どれにしようか。伸ばした手が触れたのは銀紙でくるまれた四角いアイスバー。私が学生の頃からあるから、ロングセラーと言っていいものだ。
 代わり映えのしない、よく言えば素朴なその味は私の好みに合っていて、娘に買ってあげるという大義名分で買いながら、実は自分が食べるのを楽しみにしていたものだった。たまには、良いかもしれない。私はそれを手に取り、レジに向かった。

 コンビニから出ると再び暑さが私を包んだ。だけど、アイスを手にした私はもう何も怖くない。アスファルトを焦がす陽光でさえキラキラと輝いて見える。銀紙を剥いてアイスを口にする。舌の上に広がる冷たさと甘さ。思わず目を閉じてしまいたくなるようなハーモニー。その幸せな感覚に酔いしれていた私は——
「お父さん?」
 後ろからかけられた声に背筋を凍らせた。

 振り返るとそこにいるのはどう見ても娘だった。輝きが違う。今日は図書館に行った後、友達の家に行くと言っていたのにどうしてここに? しかし、ここで動揺するわけにはいかない。私は冷静さを保ったまま……
「アイス、服にたれてるよ?」
「ええっ」
 慌ててお腹の辺りを観る。確かに白いものが零れていた。
「もうお父さんったら」
 ポケットからティッシュを取り出して、拭いてくれる娘。なんて優しいのだろう。その上、世界一可愛い。絶対、誰にもやらん!

「でも、お父さん何してたの? コンビニでお買い物……にしてはアイスしか買ってないけど」
「え、えーと。散歩?」
「なんで疑問形なの」
「えーと、家事?」
「お外で?」
 むむっと睨んでくる娘。長いまつげをパチクリとさせ、口をキュッと引き結ぶ。そうすると妻に大変似ており、そして私はこの表情に大変弱い。
「せ、洗濯をしてたんです」
 そうして、私は洗いざらい白状することになった。洗濯だけに。

「どうしてそんなことしたの? お母さんと喧嘩したの?」
「そ、それは……」
 流石に娘に「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで」と言われるのが怖かったとは到底言えない空気になっていた。
「もしかして、私がお父さんのと一緒に洗濯されるの嫌がるって思ったの?」
 バレていた。流石は妻の娘であり、世界一可愛いだけはある。でも、その顔は悲しみに歪んで、今にも雨が降り出しそう。
「私、お父さんのこと大好きだよ? 一緒に洗濯嫌がったりしないよ? もしかしてお父さんがいつも一番最後にお風呂に入るのは私に気を遣ってたの?」
「い、いや……」
「そんなの水臭いよ。私、お父さんの後にお風呂に入っても気にしないよ? ううん。一緒に入っても気にしない。だから、だから——」
 すっと白い頬を一筋の雫がこぼれ落ちる。
「私の下着、お父さんのパンツと一緒に洗ってっ!」
「はい、喜んで!」
 学生時代のバイトの癖が出てしまった。でも、おかげで娘は笑ってくれた。良かった。

 その後のことを話すと、私のコインランドリー通いは終わりを告げた。一緒に入浴というのは流石にかなわなかった上、私は妻の手により全治2週間ほどの裂傷を負うことになってしまったが、それも今となっては笑い話だ。
 コインランドリー代は浮いたが、それが私のために使われることはない。娘から「罰」として毎週あのアイスを買ってくるようにと言われているからだ。
 でも、娘のためということは結局は私自身の為なのかもなとポリ袋の中、銀紙がこすれあう音をBGMに歩く私はそんなことを思うのだ。
作品名:娘と洗濯物と私 作家名:あおはね