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流れてゆく花

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流れてゆく花/110424


 その花の世話をするのがわたしの仕事だ。
 日なたの川辺で汲んだお水をたっぷり持って温室へ。硝子の水差しは、水面が震えるたびきらきらきらめいた。
 銀色の枠で作られた温室にたどり着く。蔓草を象ったノブを開けて、閉じる。開けて、閉じる。二枚の扉の向こう側、澄んだ温もりは、たったひとつの花のためにあるのだった。
「ご機嫌よう」
 まんまるい花の塊がさんざめく。温室の真ん中には橙色の花で作られた球体があった。斜めに切られたゆで卵のような、白い椅子のうえに鎮座していた。
「ご機嫌よう」
 わたしは膝を折り、空の右手でスカートの裾をちょんと持ち、応えた。傾いだ頭で花を見る。まっさらな花の足の裏が、わたしに向かって揺れていた。
「お水を持って来たのです」
 繁る橙の核は、根ではない。うふふ、豊かな声音が笑う。
「下さいな」
 花の小さな口腔が、ゆるりと開いた。ミルクを飲もうとする猫みたいだ。濡れて光る舌も猫みたいにざらざらしているんだろうか。わたしはこくりと息を呑み、花に飲み口を差し入れる。
「ん」
 細長い飲み口の先っぽが花の下側の前歯に乗る。上唇と下唇がそっと硝子を食んだ。橙に埋もれた喉がゆっくりと嚥下をくりかえす。ちいさく戦慄く唇から、つと垂れたものがあった。
(花びら)
 川水をしっとりと含んだ花びらが、花の口の端から顎を伝っていた。最初は水の流れに押されるように、そして肌を離れては重たげに、落ちてゆく。落ちた途端に周りの橙に馴染んで、全体どれだったか分からなくなる。
「ふぁ」
 花は小さく息を吐いた。吸水は終わりだった。色の薄い唇に橙の花びらが、落ち切らぬままに残っていた。
「付いています」
 わたしはその花びらを、自分の舌で、掬った。嘗め上げてきゅっと花の口に押し戻した。花の歯と歯の間はざらりとしていた。
(ああ、やっぱり、花びらが)
 瑞々しくしなやかな繊維が繋がった口から雪崩れ込んでくる。逆流してわたしの舌根を撫で臓腑に降り積もる。
(あなたには、花びらが流れている)
 それはほろり零れて花の身体によく溶けた。わたしも一緒に溶けてしまってきれいな花の養分になりたかった。けれど咽喉に張り付く花びらは、決してわたしに馴染んではくれないのだった。
作品名:流れてゆく花 作家名:RIO