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美しい喜劇

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3


 窓の無い部屋で、時間の感覚は否応無く狂う。頼りとなるのは腕の時計だけだ。遅い夕食を済ませ、交わす言葉も少なく過ごすうちに、日付は変わろうとしていた。それでも、誰も眠ろうとはしない。強張った表情で、ある者は俯き、ある者は壁を睨み、またある者は天井を見つめながら、絶えず周囲を警戒していた。まるで、一瞬でも気を抜けば殺されてしまうとでもいうように。
 疑心暗鬼にとらわれ、皆で力を合わせることのできないこの状況が、坂上には悲しくてならなかった。ちらりと視線を移せば、ずっと向こうの角に武器類のダンボールが見える。極力視界に入らないように男子四人で運んだものだ。意識しまいと考えれば考えるほど、その存在が気になってしまう。遠ざけたのは、誰も武器をとらないように牽制する意味合いを持っていた。
 空のダンボールは既に何人かによって排泄に使われ、早くも独特の異臭が漂い始めている。こんな状態が、一体いつまで続くのだろう。殺すか、死ぬか以外に、終わらせる術などあるのだろうか。気を抜いてはならないと思うのに、次第に瞼は重くなっていく。ぽつりぽつりと交わされていた会話もいつしか途絶えて、坂上は泥のように眠った。


 次に目を覚ましたとき、腕時計は六時を指していた。日野、荒井、新堂はまだ眠っていて、福沢や細田も眠そうに目を擦っていた。岩下と風間は、どこか険悪な雰囲気で言葉を交わしていたが、詳しい内容までは聞き取れない。やがて日野が目を覚まし、細田がトイレの為に立ち上がった。風間はこれで何度目だ、という目でそれを見送り、肩を竦めて見せた。その前で福沢は「臭い」「顔を洗いたい」「シャワー浴びたい」などと文句を言い始め、それは皆同じだと岩下に睨まれた。日野は起き上がって体勢をただすと深いため息を吐き出し、横たわったまま観察していた坂上に向けて微かに笑いかけた。

「おはよう。みんな無事だな」

 その言葉で実感する。生きている。まだ、生きている。誰も死んでいない。誰も殺していない。
 坂上は起き上がるとそっと笑い返した。ペットボトルのキャップを捻り、水を口に含む。多少ぬるくともそれは喉を潤し、身体中に染み渡っていく。

「日野」

 坂上がペットボトルから口を離したとき、風間が神妙に口を開いた。
 
「ん?」
「その……悪かったよ、疑ったりして」
「ああ」
 
 驚きに目を開く坂上の隣で、日野は穏やかに頷いた。

「気にするな。こんな状況じゃ、誰だって混乱するさ」

「あら、私は冷静よ」

 ペットボトルの水で濡らしたハンカチでそっと顔を拭きながら、岩下は日野を睨んだ。

「貴方を、完全に信じたわけじゃないわ。共犯ということもあり得るでしょう?」

 その言葉に、場はしんと静まり返る。 誰も口を開かないうちに、荒井と新堂が目を覚ました。

「ん?……お前ら、どうしたんだ?」
「何かあったんですか?」

 新堂は訝しげに頭を掻きながらペットボトルに手を伸ばし、荒井は皺の寄ったシャツを伸ばしながら首を傾げた。

「だから岩下、さっきも言っただろ?よく考えてごらんよ。日野は共犯者に裏切られたら命を落とすようなリスクは負わないよ。どうせやるなら自分に被害が一切無いように取り計らう筈さ」

 風間は苛立たしげに吐き捨てると、ペットボトルのキャップを捻った。どうやら先程の言い争いはこの事だったようだ。

「そうかしら?日野くんのことですもの。きちんと退路を確保した上で、私たちを欺くためにわざと袋の鼠を装っているのかもしれないわ」

「お前たち……それはいずれにしても人聞きが悪くないか……?」

 日野は彼らの言い分にひくひくと口許を引き攣らせ、食料の乾物に伸ばしかけていた手を引っ込めた。

「またその話かよ……」
「風間さんも日野さんを信用する気になったんですね」
「別に日野を信じるってわけじゃないよ。普通に考えたら日野が犯人なわけないじゃないか、ってだけのことさ」

 風間はフンッと鼻を鳴らしてペットボトルを傾ける。残りを温存するためか、喉を二三回上下させると、あっさり口を離してキャップを閉めた。

「大体ねぇ、日野を疑うなら、君たち全員が疑わしいじゃないか」
「それを言うなら、あなただって容疑者になり得ますよ」
「何を言うんだい。このボクが、こんな下らないことをするわけがないじゃな──ぐふっ!?」
 
 ──ごぽっ。

 紅い泡が、風間の口の端から零れた。それはどんどん量を増し、顎を伝ってシャツを染める。

「か、風間さん!?」
「ぐっ、う……がぁっ……」

 風間は言葉にならない呻きを漏らしながら、仰向けに倒れ、喉元を押さえてのたうち……やがて、動かなくなった。

 全員が青白い顔で、それを見下ろす。

「……んだよ、こりゃ!?」

 怒りと恐怖に染まった表情で、新堂は掠れた声をあげた。

「誰かが毒を盛ったんですよ。風間さんの水に……皆が寝静まっている間に」

 荒井の淡々とした言葉が、遠く聞こえる。しんだ。死んだ。風間さんが、死んだ。どうして?──殺された。誰に?──この中にいる誰かに。何の為に?風間さんに恨みがあったから?──違う違う違う違う違う違う違う違う!

(いきる、ためだ)
 
 生き延びるため。生き残るため。

(ころした……)
作品名:美しい喜劇 作家名:_ 消