死ぬことについての考察(彼女の場合)
死という概念の先に何があるのか、彼女には見えていたのだろうか。
私には分からない。
だってそれはリアルではないし、死なんてものはまるで玩具みたいにそこに転がっているけれど、実際には触れることも叶わないものだし、触れてしまったら最後、二度と此方側には戻ってこられないのだし。
だから彼女が死ぬことにしたとき、本当にそれがリアルだったのかどうかすら怪しいと思う。
それはただの妄想だったのではないか。
それがいつの間にか本物のような顔をして、彼女の意識というやつをすっかり覆い隠してしまって、だから彼女だって何が何やら分からないうちに、自分が死ぬことになっているのだということを、すっかり信じ込んでしまったのじゃないか。
そもそも何故彼女は死のうと思ったのか。
そこが重要である。
私がもし自ら死ぬとしたら、それはどういう時だろうか。
学校の宿題が難しくて解けなかった時?
晩御飯のおかずが嫌いな物だった時?
はたまた道で転んで膝を擦りむいてしまった時だろうか?
否、そのうちのどれでもない。
きっと、生きていることがつまらなくなったときだ。
では彼女は飽きてしまったのだろうか。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、呼吸をしたり、食べたり、寝たり、歩いたり、走ったり、見たり、聞いたり、話したり、叫んだり、触れたり、触れられたり……そういう色々のことに、すっかり飽きてしまったのだろうか。
そういう気持ちは私には分からない。、
分からないからいけなかったのだろうか。
私は友達として、彼女を止める事ができなかった。
友達として彼女を止める?
何だかドラマのワンシーンみたいだ。
たとえ私に理解できたとして、理解できたなら尚更、私には彼女を止めることなど、できなかったに違いないのだ。
では矢張り私は、指をくわえて彼女の死というやつを甘受するしかなかったのではないか。
結局、考えても考えても、今とは違う結末というものを想像できないでいる。
だから彼女は死ぬことにした。
その現実だけが、今、私の前に聳え立っている。
作品名:死ぬことについての考察(彼女の場合) 作家名:ハル