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雪のつぶて17

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一年前に代えたばかりだというベージュ色の実家のカーペットは、すでにあちらこちらに茶色いシミがついていた。食卓となるべきテーブルは隅に押しやられ、史子はその真ん中に座り込んで洗濯物をたたんでいる。淡い緑色のセーターだった。
「セーターって普通の洗濯機で回せるんだ」
「今はいい洗剤があるからね」
 たたんでいた手を止めて、部屋に入ろうとしない忠彦を見上げる。口元に寄った皺が、しばらく会わないうちに増えていた。
「あんた達、本当のところどうなのよ。真美さんて、どうかしちゃったの。いきなり電話かけてきてわけのわからないこと言うのよ。こっちもどうしたらいいのかわからないから、はあ、とか、そうですかあ、なんて言って適当に誤魔化したけど」
「このところ体の具合がよくないから不安定なんだよ。たいしたことじゃない。病院にもちゃんと行ってるしね」
「あら」
 史子の目が大きく開かれ、口元に笑みが浮かぶ。洗濯物を押しやり、正座をした格好で、膝を進めてくる。
「ねえねえ、それって、妊娠したってこと。それならわかるわあ。妊娠すると情緒不安定になりやすいからね」
「そんなんじゃないよ。それより茂はまだ帰ってこないの?」
 壁にかけられ、音を立てずに回る静かな時計は、七時になろうとしていた。
「今日は休みで、朝から出掛けちゃってるわよ」
 洗濯物に戻された手は、せわしない動き開始する。
「そか」
 三つ年下の茂は、高校を卒業した後、大学にも進まず、かといって就職をするわけでもなく、三年ほどフリーター稼業に精を出していた。就職が決まったのは、それこそ父親が死んだ二年ほど前だった。今、この家で暮しているのは史子と茂の二人。二つ上の兄は東京の大学に受かったことを理由にし、就職のときも帰ってこなかった。渋谷区に実家があるという家付きの嫁を貰い、こっちに帰ってくる気配もない。
「それでもちゃんと帰ってくるからいいわよ。あんた達なんか大学まで出してやったのに、さっさと家を出て行っちゃうんだもの。学校の勉強なんかろくにできなくて、就職もなかなか決まらなかったけど、今となっちゃあの子が一番いい子に見えるわ。茂はね、ずっとお母さんのそばにいてくれるって。さっさと出て行った人達と大違い」
 たたみ終えた洗濯物を、史子は丁寧にタンスに仕舞ってから、崩してしまった膝を揃え、背筋をぴんと張りなおした。
「好き勝手やるのはけっこうだけど、お嫁さんにわけのわからない電話をかけさせるのは、やめて欲しいわね。お母さんに迷惑かけなきゃ維持できない結婚生活なんておかしいわよ。あんた、浮気してるの」
「ばかばかしい」
 手胡坐を組んで、そっぽを向いた。視線の先に、窓があった。いつから降り出したのか、白い雪がちらついている。
 浮気をしているのは真美のほうさ。
 咽元までせりあがってくる。奥歯を噛み締めて、耐えた。
「浮気はいいけど、ばれないようにやんなさいよ。ばれたらそれは浮気とは言えないの。浮気っていうのはね、奥さん子供にばれずにやって、家庭を壊さずにやるから浮気」
「じゃ、ばれたらどう言うんだよ」
「リスクの高いくだらない遊び」
 父親の浮気に散々悩まされた史子らしい考えだった。随分昔のことだが、若い女が泣きながら玄関に立ち尽くした光景を、今でもよく覚えている。女は腰まで届く長い髪をしていた。泣きじゃくる女から逃げて、父親は勝手口から外に飛び出していた。とりなしたのは史子だった。
 あんな男、忘れちゃいなさい。あなたはそれができるんだから。わたしはそれすらできない。許されないんだから。
 史子の心の中も煮えくり返っていただろうに、取り乱す様子も見せず、ご丁寧にタクシーまで呼んでやって女を帰していた。
 あんた達、何見てんの。子供の見るもんじゃないんだから。早くお風呂に入って寝ちゃいなさい。
 階段の影に隠れていた忠彦と茂は、顔を見合わせると風呂場に飛び込んでいった。狭い湯船につかって顔を突き合わせながら、さまざまな想像を巡らしたが、子供の頭で思いつくことは何もなかった。ただぼんやりと、父親が浮気をしていたという事実だけがわかっただけだった。
「浮気なんか、してないさ」
 長い時間をかけて、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「あ、そう。ならいいけど。それならそれで、お母さんに迷惑をかけることはやめて頂戴。いつまでもお母さんの役目なんかしていたくないんだから」
「真美とよく話しをしてみるよ」
「それがいい。会話をしている間はなんとかなるもんよ。折角貰ったお嫁さんなんだから。大切にしなくっちゃ」
 頷いてはみたものの、真美と話しをするつもりはなかった。柿崎のことを今すぐにでも問い詰めてみたいが、確たる証拠を掴んでからのほうがいいだろう。
 笑いが、こみあげてくる。
 隣の犬が吠えているのか、地を這うような唸り声が響いてきた。
作品名:雪のつぶて17 作家名:李 周子