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港町のマリ

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『港町のマリ』

 二十代の頃、絵を描きながら旅をした。
南フランスの港町に行ったときのことである。海が見える綺麗な町だった。
 夏の始まりに住み着いた。レストランでアルバイトをしながら、休日になると、港に出ては海や船の絵を描いていた。
 
一人の日本人女性マリと出会った。
顔を合わせるうちに、会話をするようになった。
 彼女は港の近くのアパートに暮らしていた。
 長い髪をして、目鼻がすっきりとした面長の美人である。ただ盛りの過ぎた花のように、どこか哀れな雰囲気を漂わせていた。
よく白いワンピースと麦わら帽子で散歩した。海風で服が揺れると、豊かな臀部の形がはっきり分かって、なんともセクシーだった。最初は挨拶程度だった。やがて、長く会話をするようになった。どちらかというと、彼女がいろんな話をした。きっと日本人が恋しかったのであろう。

彼女が「どこから来たの?」と聞いた。
「長崎」と答えと、
「いいところね」
「行ったことはある?」と聞くと、
「あるわ、坂の多い街でしょ。そして猫も多かった」
「あなたはどこから?」と聞くと、マリはしばらく答えなかった。答えたくなかったのだろうと思って、黙っていたら、
「昔のことは何もかも忘れたわ。でも、生まれたところや、育ったところだけはなぜか、覚えている」
 そう言うと、彼女は目を閉じた。
「夏の日ね、両親がいた。庭で朝顔を背にして写真を撮ったの。父と母、兄、そして幼い妹、私はそのとき七歳だった。あの頃が一番幸せだった。あなたは何歳?」
「二十三歳」と答えた。
「良いわね。若くて……二十三歳なんて、遠い昔のこと」と笑った。笑ったとき、彼女の目尻にたくさんの皺ができた。
「画家になるのが夢?」と聞いた。
 うなずいた。
「夢があって良いわね。私はどこかに置き忘れてしまった」と笑った。
「いつ日本に帰るの?」
「どうぶん先だと思う。まだまだ旅をしたいから」と答えた。
「人生は旅よ。止まったら、そこで終わるのよ」
 その言葉が今も脳裏から離れない。そのときの彼女の寂しそうな顔とともに。
 
いつの頃か、マリと会話をして嬉々としている自分に気づいた。
 休みの日、海に出かけるのは、マリとの会話のためか、それとも絵を描くためか、分からなくなっていった。

 マリにはフランス人の恋人がいた。いい男だったが、気が短くて、ろくに働かないくずのような男だった。いろんな言語で会話ができた。英語、ドイツ語、フランス語、そしてマリから教わったのか日本語でも会話できた。
いつしか、彼とも知りあいとなり、一緒に飲むようになった。
 酒を飲むと、彼の饒舌は拍車がかかった。矢継ぎ早に質問をする。その日もそうだった。
「恋人はいるのか? いない? なんて奴だ! いい女を紹介してやろうか? 余計なお世話だって! もっともだ。でも、まさか女を知らないわけじゃないだろ? あまり経験ない。良かったら、マリを貸してやっていいよ」とまるで心の奥底のちょっとした変化を見逃すまいとじっと見つめた。
 思わず、グラスの酒をぐっと飲んで、「悪い冗談だ!」と怒った。
「そんなに怒るな、本当に冗談だから」と彼は笑った。
「でも、マリのビジネスを知っているだろ? 知らない? 教えてやろう? 彼女は一時、恵まれない男性のために愛を捧げているんだ。もう、随分前からだ。そして、この俺はどうしょうもないヒモだよ」と笑った。
なんともいえない笑いだった。あまりも嫌らしい笑いだったので、怒ってしまった。
「冗談だよ。そんなにむきになって怒るなんて、君は子供だな」と笑ったあと、
「でも覚えておきたまえ、冗談の中に、ときに真実があることを」と彼は囁くように言った。

 一週間、海に行かなかった。マリと顔を合わせたくなったからである。どうして合わせたくなかったか? ひそかに心を寄せていたのに、あのフランス人のせいで、イメージが壊れ、何だか裏切られた気分になったからだ。彼女のどことなく暗い雰囲気に何かあるなと思っていたが、まさか娼婦とは知らなかった。まるで、後ろから棒で殴られたような気分だった。しかし、こうも思った。あの男はろくでなしだ。嘘を言っているのかもしれないと。
 二週間ぶりに海に行った。
 マリがいた。
「元気そうね。最近見かけなかったら、心配していたの」と嬉しそうな顔をした。
「少し体調を壊した。……それより聞きたいことがあるんだけど、聞いていい?」
「いいわよ」
「マリさんはどんな仕事をしているの?」とストレートに聞いた。
「あら、前に教えなかった。私はホテルで働いているの。小さなホテルだけど、外国人相手の。何か気になることがあって?」
 やっぱり嘘つきだだった、あの男は!
「あのフランス人とはどういう関係?」
「どういう関係って、何というのかしら、腐れ縁みたいな関係ね」と淡々と言った。
 もしも、あのフランス人と別れる気があるなら、自分と付き合ってほしいと告白した。
 マリは「ありがとう」と呟いた。
 そして、遠くの海を眺めたら「私はここを離れられない。あまりにも思い出がたくさんあるの。それを捨てるには歳をとりすぎたわ。ごめんなさいね」




作品名:港町のマリ 作家名:楡井英夫